「…は?」
コトコトと竃の蓋が揺れているのを視界の端で捉えていながら、火を弱めなければという考えは目の前の男の発言によって吹っ飛んでいった。
「お前の咽び啼く姿が見てみたい」
「…繰り返さなくていい」
真面目な顔して何を言うかと思えば驚くほど頭の悪い内容だったため雫は額を抑え深く溜息を吐いた。くそ、竃が吹きこぼれてしまった。慌てて火を弱め、無駄にならなかった夕飯に胸を撫で下ろす。
「夕飯の邪魔だから出てって」
相手にするのも阿呆らしいと背を向ければ大きな腕に包まれ心臓が跳ねた。ちなみにキュンとしたのではない、グツグツ煮える鍋の側でくっ付かれたら誰でもびっくりするだろう。危ないから。
苛立ち交じりに背後の男を睨みあげれば思いの外近くにギラついた瞳と挑発的に笑んだ薄い唇があって心臓が跳ねた。今度はさっきとは違う意味である。
「…危ないんだけど、」
「抱きたくなった」
「…は?」
言うが早いか子供のように抱き上げられて台所から連れ出された。夕飯が、との文句はかさついた唇に吸い取られついでに舐め上げられる。良く空気の読める女中達が主に頭を下げて夕飯の支度の続きをし始めたのを雫だけは気づかなかった。
「いやいや昼間から何を」
行儀悪く脚で襖を開けて布団に放られた雫はずりずりと後退りしながら逃げ道を必死に探していた。いざとなったら背後の窓から飛び降りる覚悟をしながらもゆっくりと近付いてくる夫を睨みあげる。
「もう夕方だろうが」
確かに夕日が障子紙を照らし部屋を橙色に染めているがそういう問題でもない。夕焼けに照らされた男は獰猛とも言える笑みを浮かべ、此方を見下ろしている。戦場に行くような鬼気迫る姿に背筋が泡立った。鼠が猫に追い詰められたら、こんな気分なのだろうか。
「観念しやがれ」
極殺モードで妻に言う台詞ですかソレ
「…最低」
この人私を殺す気なんじゃないだろうかと真剣に思うくらいの夜だった。抵抗しても捩じ伏せられ無抵抗だと嬲られ最終的に泣いて許しを乞えば更に貪られた。まるで四肢に鉛を流し込んだようだ。貪られたと表現するように全身に噛み傷がありじくじくと痛む。喰われるかと恐々としていたのが面白かったのか甘噛みから跡が残るのまで至る所に歯型が付いていた。
着物から見えるような所には残さないだけの理性は残っていたようだが、やり過ぎだ。もはや感覚のない下肢の惨状を思い涙を堪える。満足そうに私を抱き込む男の頬でも張ってやろうかと振りかぶるも抑え込まれた腕に力は入らず、へろへろと情けなく頬を撫でるだけであった。
珍しく眉間に皺がない顔をまじまじと見つめる。普段は鋭い眼光に顰められた眉で強面にしか思えないが、意外に整った顔をしている。はらただしいが睫毛も私より長い。
「…物足りないって面だな」
気付けば天井を背後に前髪が乱れた夫の姿が。言われた言葉をたっぷり数秒後に理解し罵ろうと開いた唇を塞がれ乾いた掌が太腿を撫で上げる。ぞくりと震えた体は恐怖か期待のどちらだろうか。突き放すつもりで伸ばした両手はいつしか、必死に背に縋っていた。
「酷い旦那も居たもんだねぇ」
「…猿か」
蒸した部屋の襖を開ければ涼しい朝の風と共にいけすかない声が入り込んできた。普段ならさっさと追い出すだろうが今朝は頗る気分が良い。放っておいても同盟国の忍だ、悪さはしないだろう。
「最後ホントに泣いてたじゃんか」
悪趣味ーと笑う男を鼻で笑い、艶のある黒髪を一筋掬う。自分や政宗様とは違う、柔らかい猫のような髪に口付けた。
「覗きは悪趣味に入らねぇのか」
「俺様は通り掛かっただけだもん」
きつい言動も、何度も肌を重ねたのに慣れない反応も子猫のように愛らしいだけだ。今だ快楽が怖いのか耐えようとする様がいじらしく、理性が飛ぶほど善がらせてみたくなる。
逃れようと暴れるのを難なく抑え込まれた時の悔しそうな表情も、抵抗を諦め受け流しきれない快楽に打ち震える様も、子供のように泣きながら子猫のように啼く姿も思い出すだけで下腹部に熱が燻るほど愛しい。
「旦那、悪趣味」
「毎回覗きに来てるお前ほどじゃねぇよ」
「アハッ、やっぱりばれてた」
でも、知ってて追い返さない旦那の方が悪趣味だって
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