雨の臭いがする。噎せ返るほどの湿った土と繁った緑の臭いが鼻を擽った。梅雨独特の生命の歓喜する臭いが奥州を包んでいる。
蛙が鳴いている。鈍い音を立てて曇天に走る稲光を見上げれば自然と笑みが浮かんだ。嵐も、雷も心が踊る。人間の頃から変わらずに好きだ。大きな梔子(くちなし)に登り、ウットリと空を見上げた。
歌でも歌おうか?機嫌良く口を開こうとした時に不意に聞こえた騒音…いや雄叫び?
『…砂煙?』
音の方を見ると雄叫びと共に宙に土砂が散っている。しかも何だかこっちに向かって来ている、よね?
…えらく目立つ襲撃者だな。客かと思ったけど人形に門をぶち抜いてるし、止めようとした門番吹っ飛ばしてるから敵だよな。そんな客が居てたまるか。
『お仕事お仕事〜』
強ければ良いな、と思いながら傘の代わりに道場から拝借した木刀を肩に乗せアオは侵入者の方に足を向けた。
「うぉおおおおおおおおおお!!!!!」
物凄い勢いで城へと向かう侵入者。なんだか赤い彗星のようだ。仮にシャアと呼ぼう…やめとこう世代が違いすぎる。直線を突っ走る赤い奴の進行方向に立ち突っ込んで来た男の足を引っ掛けた。
容易く引っ掛かった男はスピードを殺す事なく城壁に突撃した。死んだかと思ったけど壊れたのは男ではなく壁の方だった。半端ないなコイツ。
「はっ!?某はなぜ壁にぶつかっておるのだ!?」
赤い奴は驚いたように両手を見ている。怪我が一切ない所が恐ろしい。若い男はアオの存在にも、足を引っ掛けられた事にも気付いていないようだった。
『・・・ねえ、』
「ぬ?なんでござるか?」
振り向いた真ん丸な目と視線が合った。強い意思が瞳の中で炎のように燃えている。ざわりと血が騒いだ。コイツは強い。
「・・・お主」
僅かに警戒に眉を寄せた青年が立ち上がる。両手に構えた槍が鈍く光を弾く。幾度も血脂に塗れて来たのであろう刃はうっとりするような匂いを纏っていた。
「迷子でござるか!?」
『…は?』
遊ぼうよ、と木刀を構えようとした瞬間に迷子と言われ目を丸くした。馬鹿にされたのかと思ったが青年の瞳はどこまでも真っ直ぐだ。
「うむ…こんな所に1人とは、親はきっと城に勤めておるのだな。政宗殿に聞けば分かるだろうか…」
『…お兄さん?』
「案ずるな、某が無事城まで届けてみせる!!見ていて下され御館様ぁああああ!!!!」
『えええええ』
ビックリする程話を聞かないお兄さんは私を迷子と決め付けたらしい。否定しようにも片手で抱き上げられ反論は封じられた。とりあえず敵ではなさそうなので攻撃しなくてよかった…
「うぉおおおおおおおおおお!!!!」
え?さっきと同じスピードで行くの?私は大丈夫だけど人の子なら死にかねんぞお兄さん。ガクガクと揺すぶられながら雄叫びをBGMにアオは城まで連れて行かれた。
「…政宗様、」
「Ha!聞こえてるぜ小十郎…真田が来やがったんだな?」
「は、」
暑苦しい声が近くなっている。毎回のように門や人を吹っ飛ばしながら走っているのだろう。日本一の兵、虎の若子。政宗の好敵手。実力は相応で幾度とない戦いでも決着が付いた事がない。今日はどんな戦いが出来るかと考えるだけで口角が吊り上がる。
「まぁああああさぁぁあむねぇどのぉおおおおお!!!!!!」
ドドドと地鳴りを響かせながら現れたのは待ち望んでいた男。出迎えてやるとその手に何か抱えられていた事に気付く。青い衣に珍しい濃い水色の髪。見覚えのある…
「Ah?アオ、何してやがる」
「む、やはり政宗殿はご存知であったか!!」
――――――迷子でござる!!!
犬の子のように勢いよく差し出されたどこか疲れた顔をした子供。真田が叫んだ台詞に2人は固まった。ついでに潜んでいた忍の皆さんも固まった。え?まいごって迷子だよね?なんで自分の住んでる城で迷子になるんだよ。
「…アオ、迷ったのか…?」
『…まさか、有り得ない』
青い瞳が小十郎を見る。ストンと地に降りてまずは体を伸ばし、関節を鳴らす。そしてくるりと振り向いて赤い青年に人差し指をビシリと向けた。
『お兄さん』
「む!何でござろうか?」
『私だったから良いけど、あんな事したら人は死ぬよ』
「死っ・・・?!」
大人でも揺すぶられっ子症候群になるんだと知ったよ。茶色い瞳をまん丸にして驚愕の表情を浮かべた青年は直後雄叫びを上げた。
「申し訳ございませぬぅぅうううう!!!!!」
『ぐぇっ』
力強く肩を掴まれガクガクと揺すぶられる。揺すぶられっ子再び。怪我は御座いませぬかぁ?!と一応心配されているらしいが今まさに首が折れそうでござる
「ちょっ旦那!!1人で先に行くなって…えぇえっ!?」
回る世界に映る鮮やかな橙色に聞き覚えがある声。スポッと青年の腕から奪われ、地に立たされる。手慣れた動きで乱れた髪や服装を直してくれた忍は大きな溜め息を吐いた。
「だぁ〜ん〜なぁ〜??」
「っ!?」
「人様に迷惑かけるなって俺様言ったよねぇ〜?口が酸っぱくなるほど言ったよねぇ〜?」
仁王立ちする忍に怯える赤い青年。あれ?橙色の忍…の主だよね赤い青年?なんか主従逆転してね?てか母子に見えたんだけども…
「…Hey猿、じゃれあいなら帰ってしな」
「じゃれあいって何よ竜の旦那!!」
キッと睨み付ける忍と政宗様。あぁ、忍の主だから同盟国だなこの赤いの。なら倒す必要がないなぁ…残念、つまらない。
「俺様猿じゃないし!…ってアオちゃん?!」
『寝る、おやすみ』
くるりと背を向けお気に入りの木を目指す。あそこは好きだ。誰にも邪魔されないし、良い匂いがする。ここにいる必要もないし、寝るに限る。
物言いたげな視線を感じながらアオは梔子の木を目指して足を進めた。
『…なに?』
「アハ、やっぱり気付いてた?」
片目を開けると夕陽と同色の髪が見える。苦笑いしてる演技の下の瞳は酷く冷たかった。
「ウチの旦那が迷惑かけたね〜痛くなかった?」
『痛くはないよ』
「そ、なら良かった」
『・・・』
「・・・」
『・・・』
「・・・ね、何か話そうよ」
『話して良いよ聞いてあげる』
「…冷たいねアオちゃん、」
俺様泣いちゃいそう、と涙を拭う振りを眺めながらアオは無表情で呟く。
『私の事が疑わしくて仕方がなくて嫌いって顔に書いてあるくせに、よく言う』
「・・・」
『あ、嘘だ。演技は完璧、でも目に書いてあるんだよ。お兄さん』
「…何者だ、アンタ」
『言ったよ?春雨第十二師団の夜兎、アオだって』
「調べても、そんな奴等は見つからなかった」
『宇宙(うみ)の向こうの事だから、分からないのも当然』
「アンタが嘘を言ってない証明にはならないし、危険な事は変わらない」
『そうだねぇ。でも1つだけ安心して?』
――――――あの赤いお兄さんは殺さないよ?
「・・・」
『同盟国だし、アンタもその部下も殺す気はないよ』
そっちから仕掛けて来たり、命じられない限りはね?ふわっと欠伸をしながらある方向を指差す。
『呼んでる』
「・・・・・・旦那、」
佐助の前に気付いた少女は再び寝る体制に入っていた。瞼は無防備にも閉じられているが、恐らくほんの少しでも殺気を感じれば飛び起きるに違いない。そして、あの戦場で見た様な動きで敵を狩るのだろう。
「佐助!探したぞ!」
「飯前に勝手に彷徨くんじゃねェ…」
「右目の旦那…俺様くじけそう」
「…何があったか知らねェが、気色の悪い事言うんじゃねェよ」
「む、アオ殿は…」
「…おいアオ!飯だ!」
『ご飯!』
嬉々として両手を上げながら現れたアオに佐助は目を丸くした。
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