「うん、やっぱり地球のご飯は美味しいね」
隣でご飯を掻き込む上司を横目で見ながら自分も秋刀魚をバリンと咀嚼する。もちろん骨ごと。ちまちま骨を取ってたら私のご飯は隣の男の胃袋に奪われてしまうから。
しかし夜兎ってやっぱり大食いなのね。あの運動量を考えたら妥当なのだろうが。尋常ではないあの力を出すにはそれ相応の食事が必要なのだろう。
『別嬪さんがいるから美味しさも一入(ひとしお)だよね』
ニコッと遊女の皆さんに笑いかけると上品に袖で口元を隠して微笑まれた。はんなりと優美な動作は見てて感心するほど。
「アオには逆立ちしたって無理だよね」
『煩いですよ団長』
腹が立ったので団長の前にあった刺身の皿を引ったくって口に流し込む。見事な鯛の造りをゴクリと飲み干すと皿の向こうの花魁が目を見開いてこちらを見ていた。
そりゃ、体積以上の物食ってりゃビックリするわな。
団長の半分くらいとはいえアオの周りには大皿が積み重なっている。豪華な食事あっという間に胃袋に納められた。満足満足。
『…で、仕事って何だっけ?』
「アオは馬鹿だなぁ…アレだよアレ、ねぇ阿伏兎?」
「どうせ分かってねェんだろうがこのすっとこどっこい…はぁ、」
ガリガリと頭を掻きながら阿伏兎が溜め息を吐いた。うんざりした表情もワイルドでカッコいいとアオは思う。お腹も一杯になった所で仕事を頑張りましょうか。
「転生郷の売上金をくすねている馬鹿の始末だ」
『てんせーきょー?』
「麻薬だ。地球でもばらまいてんだがどうも春雨(うち)に帰ってくる金が少なくてな、調べてみたら案の定ってこった」
「ふぅん…」
バキンと団長の口の中で鈍い音がした。多分、さっき食べてた牛肉の骨だと思う。少年は油で光る唇を親指の腹で拭い、ニヤリと笑った。
『で、始末って事は全滅させるの?』
「嗚呼、奴ら全員始末しろって事だ」
「ね、阿伏兎…強い奴はいるの?」
「さぁな、今回は団長が満足する奴が居るとは思えねェが…」
「それじゃアオ、頑張ってね」
盛られた肉を流し込んだ団長が此方に視線をやった。自分が楽しめない任務は部下がやれって事ですね、解りますコノヤロー。
「やれやれ…つー事だアオ」
『えー、私ですかー』
「大丈夫だお前さんなら、殲滅なんて簡単だろ?誰か残したり、半殺しなら難しいだろうが…」
『え?なんで難しいの、半殺しが?』
「ならさっき殺してる時の事覚えてるか?」
『・・・』
いえ、さっぱりです。気付いたら肉塊の中に血塗れで立ってました。
「覚えてないだろ?アオはまだまだ夜兎の本能に踊らせられてるだけだ…殺気に反応して勝手に体が動いてんだろうが」
『…そうなの?』
「分かってねェからそうなんだろ。まだまだ簡単な任務しか任せれねェな」
『はーい』
簡単な任務が殲滅って流石夜兎族…ただ殺し続けるだけの簡単なお仕事って奴か。
『場所は?』
「吉原(ここ)の椿夜っていう遊郭だ。くすねた金で奴ら楽しんでやがるのさ。店の奴らも周りの奴らも全員春雨(こっち)の関係者だ。お前さんが暴れても文句言う奴はいねェよ」
『お腹一杯になったし…行って来ま〜す』
「おう、すぐそこの遊郭だ。」
降ろしていた髪を適当に左耳の後ろに束ねる。窓から示されたのは眼下に見える小さな店。自分たちが居る店よりは遥かに小さいが、それなりに賑わっているようだ。
「アオ」
『はい?』
黙々と食べていた筈の団長に名前を呼ばれて振り向く。青い瞳がニコリと細められ、背筋が粟立った。
「こんな任務で死んだら、殺しちゃうぞ」
「…」
『…はい』
死んでたら殺せなくね?とか突っ込む以前に団長の本気が伺えたから黙っておく。団長に殺されるのは嫌だな。なんか弄ばれそうだ。
『アオ、いっきまーす!』
某ガンダムの台詞を思い出しながら窓から飛び降りる。風を感じながら傘を広げてブラリと足を揺らした。軽い音を立てて屋根に降りる。見上げると団長がヒラヒラと手を振っていた。軽く手を振り返して窓へと降りる。小さな店で騒がしいのは、1部屋だけ。
廊下を靴で歩いても通り過ぎる従業員は意ともしない。呼ばれたのだろう芸者の娘が白い指先である部屋を示す。
「1人攘夷志士(部外者)が居られますが、あの部屋です」
『どーも』
傘を背負ったまま騒がしい部屋の襖を思い切り開く。驚いた奴らの見開いた目を無感情に見下ろしながら溜め息。刀の代わりに盃を持つ奴らは明らかに手応えなさそうだ。
「なっ…なんだ貴様はっ!?」
『別に誰だって良いでしょ?死に行くのに名前が知りたいの?』
1人が焦ったように刀を構えれば皆習うように刀を抜いた。つまらない。強そうな奴が誰1人居ない。
「貴様…春雨か!?」
『身に覚えがあるんでしょ?ならそれで良いじゃん』
「っやれぇっ!!!」
『言い出しっぺのアンタがやれよ…ってもう聞こえないか』
偉そうに叫びながら自分は1歩も動かないおっさんの脳天に傘を振り下ろした。うん、潰れたトマトって表現はトマトに失礼だと思う。ぐぢゃりと崩れた肉塊が畳に倒れた。
「か、頭ァアアアアア!!!!」
『大丈夫、アンタらもすぐに送ってあげるから』
彼らに血の付いた先端を向けると怯えたようにずり下がった。恐怖を振り払うように誰かが上擦った声で叫ぶ。
「この糞餓鬼がっ!!殺せぇっ殺せェエエエエ!!」
『…出来るもんなら、どうぞ?』
混乱ゆえに一斉に刀を振り上げて走ってくる男たちを冷めた目で見詰める。大きな体の男が集まれば互いが互いの動きを抑制してしまうのは目に見えているのに。
真横に振られた刀を屈んで交わして足払いをかける。無様に転んだ男たちの頭を踏み潰し、振り向く事なく背後に立つ男を傘で殴った。うん、多分首が折れた。
「ば、化け物っ…!!!」
『あぁ〜あ、つまらないねアンタら。』
近付けばその分下がって行く男たち。3分の2程の数に減った彼らは逃げようと襖に手をかける。非情にも、軽い音を立てるだけで襖は動かない。
「あっ、開かない!?」
『おーいい仕事してくれてるね。逃げられても面倒だし…』
「ヒッ…!!」
『さようなら』
後は、抵抗される事もなく檻で逃げ惑う彼らを追うだけで済んだ。うーん…前の様に理性が吹っ飛ぶ事もなく、戦闘本能を擽られる事もなかったな。団長が強い奴に執着するのが、分かる気がした。
今回は血塗れってか手足と傘に血が付いただけで終わった。乾いた掌を眺めていると、その向こうで鮮やかな色が揺らめく。
地獄のようなこの部屋で1人、男は杯を傾けていた。まるで周りの場景には目をくれず、自室で寛ぐような格好だった。
『・・・あれ?お兄さん何時から居たの?』
男の前に屈んで素朴な疑問を投げ掛ける。さっきの奴らとは違いまだ若い男は自分に怯える事もなくゆるりと杯を飲み干した。白い喉が晒され、食い付きたくなる衝動を抑える。杯を降ろし、右目と目が合った。
『…わお』
ゾクッとした。鋭い眼光に射られる。狂気に満ちた瞳…多分普通は恐怖に怯えるんだろうがアオの心を支配した感情は、狂喜だった。強い、この男は強い。団長クラスで本当に強いんだと感じた。
「ほォ…変な餓鬼だな、テメェ」
ニヤリと笑い首を傾げる。動作1つ1つが優美で見とれるようだ。崩した着物も下品ではなく、似合っている。派手な着物も相まって不意に思った。
『お兄さん花魁…んな訳ないか、』
それぐらい妖艶だった。つい口にしてしまったらお兄さんは一瞬目を見開き、喉で笑う。
「ククク…面白ェ。餓鬼、名前は?」
『アオ』
「…名は体を現すと言うが、そのまんまだなァ」
『ねぇねぇお兄さん、強いでしょ?遊んでよ』
周りの哀れな奴らはちっともつまらない。一度火を付けられた闘争心は燻ったままだ。男の瞳の中の炎が揺れる。
「気違いだなァ、テメェ…俺に勝てると?」
『いんや?お兄さんは経験も技術も私の格段に上だし、私は昨日生まれたばっかだし』
「…生まれた?」
『まぁそんな事どうでも良いじゃない、遊ぼうよ』
やれやれと言った様子で立ち上がった男は刀に手を伸ばす。強者と殺りあえる事に自然と口がつり上がる。嬉しくて、楽しくて、傘を構えた。
「…後悔すんなよ、あの世でなァ?」
一瞬だった。刀が煌めいた瞬間に体が横に吹っ飛ぶ。蹴られたと解ったのは壁に叩き付けられてからだった。半分埋まるような衝撃に一瞬息が詰まったと同時に粉塵の向こうから銀が輝いていた。凄い、容赦がない。
「夜兎は夜兎でも呆気ねェな…まだまだ餓鬼だったって事だ」
首に突き刺した刀には確かに手応えがあった。ポタポタと血が伝って足元を汚す。無邪気に遊ぼうと笑った子供、血に塗れながらもぞっとするほど無垢な瞳に驚いた。自分との力量の差を分かっていながらもかかって来たのは夜兎ゆえか、成長すれば強くなっただろうに。
パサリと髪の束が落ちた。海とも空ともつかない色が自らの赤で滲み紫に変わっていく。
「!」
視線を上げると血塗れの腕が頬に伸びてきた。驚いている間に頭を引き寄せられ、刀を抜く前に抱き締められる。首筋に顔を埋めた子供が笑う。
『良いなぁお兄さん、すっごい良いよ』
即死は避けても首筋を裂かれた子供から血が吹き出している。それでも子供は楽しそうに笑んでいた。
「ッ…」
『まぁた遊んでね?』
チクリと首筋に痛みが走り反射的に刀を振ると子供はクルっと宙を回って離れた。おそらく赤い花が咲いているだろう。このマセ餓鬼が。同じ場所を子供は抑え、止血を試みている。歪に切られた髪を触って残念そうに溜め息をついた。
『髪は女の命なんだよお兄さん、知ってた?』
「あァ?女だったのか餓鬼、知らなかったなァ」
『あはははっ!!お兄さんこそ女みたいに別嬪さんだね?』
侮蔑でもなく本心だろう。子供は笑っているも徐々に顔色が悪くなっている。動脈裂いたから当然だが。
「!」
「おいおい…何してんだアオ?」
『あ、阿伏さん』
あぶさんと呼ばれた男は閉じられた襖を蹴り開けて辺りを見回す。肉塊になった彼らを確認した後、溜め息をついて子供を見下ろした。
「何遊んでんだこのすっとこどっこい、勝てない奴に食い付く程馬鹿とは知らなかったぞ」
『阿伏さん!!このお兄さん強いよ!!むちゃくちゃ強い!!』
「…見りゃ分かる。俺も出来りゃ相手したくねェような奴にひよひよひよっ子のお前さんが敵うわけねェだろうが」
「ククク…天下の夜兎にそう言われるとは光栄だなァ」
なんだか知り合いの雰囲気に首を傾げる。仲間とかはあり得ないが、手は組んでいるようだ。
『・・・あ、思い出した』
隻眼、包帯、黒髪、緑眼、狂気、着物、蝶々、黒獣…それらの特徴から1人の人間を割り出す。
『“高杉晋助”だ』
今更気付いたけど間違いない、鬼兵隊総督で過激派攘夷志士の筆頭。
『初めて見た〜へ〜』
「あのなァ…ってお前さん?!」
しみじみ見てたら呆れたように阿伏兎に頭を叩かれた。衝撃で止血してた腕が離れ、血が吹き出す。それに慌てた阿伏兎に笑うと急に視界が歪んで立てなくなった。
『あれ…?』
「馬鹿野郎、血を流し過ぎたんだ…失血多量で死ぬぞ。肌まで青くなってんだろうが」
『阿伏さ〜ん、眠たいよ〜』
「ハァ…手に負えない上司に手のかかる部下たァおじさん泣けちゃうぜ」
首に布を当てて押さえられ、肩に乗せられる。ぶらんとお腹に体重がかかるが苦しさを感じる事もない程血が足りないようだ。
『また遊んでね、お兄さん』
「大人になったら遊んでやらァ」
片手でヒラリと手を振ると妖艶に微笑まれた。うん、違う意味で遊んで貰っても良いかも知れない。
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