雫さんを置いて逃げる事に渋ったけれど、残っても何にも役に立たないとニャンコ先生に鼻で笑われて逃げるしかなかった。
「…もう良いかな」
先導していた子狐の言葉に皆足を止めた。街中に近付いたようで、路地裏に潜む夏目達の耳に喧騒が聞こえてくる。
「雫さん…大丈夫かな」
「ある程度足止めをしたら、すぐに来るさ」
だから待っていよう、と名取が帽子を被り直す。薄く笑みを描いた頬を音もなく蜥蜴が登っていった。
「!」
不意に子狐の耳がピンと立った。嬉しそうに金色の尾がフワリと揺れたと同時に聞こえた足音。建物の影から音もなく待ち人が現れた。
『お待たせ、怪我はない?』
「うん!僕頑張ったでしょ!?」
『いい子だ、彼方。ありがとう』
誉められるのをねだる子供のような台詞に遥は子狐の頭を撫でてやる。艶のある黄金色の耳が嬉しそうに動いていた。
『…さてと、一気に大人数になったな』
夏目。名取に雫、そして各々の式。子狐に猫。大人数だと目立つので隠れて貰い、3人と2匹で動く事にした。
「…ここは、どんな世界なんだい?」
雫と八雲以外の誰もが感じてる疑問だろう。異世界…天人と呼ばれる宇宙人が闊歩する日本。
『私もよく知らんが…』
今は江戸時代。攘夷戦争は侍と侵略してきた天人との戦いで、幕府が降伏。事実上天人に乗っ取られた事。人に似ていたり獣だったりする天人がいる事。飛行機の代わりに船が空を飛ぶこと。妖は一般の人の目にも見える事。さっきの奴らは宇宙人を日本から追い出そうと“攘夷”を目指すテロリストだという事。
『それくらいしか知らん』
雫とて此方では1日と少ししか過ごしていない。知ってる事は片手で足りるだろう。
「早く帰り道を探さないといけないな」
『浦島太郎はごめんだろう?』
「…君も嫌だろう?」
『さぁ、どうだろうか』
名取と雫は言葉遊びのような会話をしながら歩いて行く。とりあえずは寝床の確保をしなくては。
「どこか信頼できる所があるのかい?」
『ああ、まずは万事屋に行く』
「…」
胡散臭いとでも言いたげな視線を呆れたように見返す。お前も十分胡散臭いぞ名取。
「…主を愚弄するのは許さんぞ」
『口に出した覚えはないぞ柊』
話しているうちに万事屋に辿り着く。この扉から出たのは1時間ほど前だろうか。行きは八雲と“妖道を抜けた”から早かったが、帰りはそれなりに時間がかかった。
『お邪魔します』
「あ、いらっしゃい」
「なんか増えたアルか?」
「え〜と、お邪魔します…?」
「失礼します」
彼方を肩に乗せ、少年に案内されたソファに座る。机を挟んで座った銀髪の赤い瞳が名取、夏目を眺めて溜め息を1つ。頭を掻きながら問うた。
「…あの黒い兄ちゃんはどうした?」
『?何か用があるのか』
「…まぁ、またで良いか。」
―――――それで、
「依頼の内容は?」
『話が早くて助かる。どこか部屋を借りたいんだが。小さくても構わない』
「…アンタ、雫って言ったか?両隣との関係は?」
依頼内容に疑問を感じたのか赤い瞳が細められる。成人男性と男女の学生、性犯罪に加担するとでも思ったのだろうか。
『生憎だがアンタが疑ってるような関係じゃあない…関係は、』
「僕達は兄弟で、雫とは従姉なんです」
名取がニコリと人好きのしそうな笑みを浮かべて話す。流石俳優、演技は完璧だ。
「仕事の関係で急に田舎から出てくる事になってしまったので…お恥ずかしながら住む所も決まってないんです」
なので、よろしくお願いしますと軽く頭を下げた名取を見て夏目も慌てて頭を下げていた。
「…分かった。探しとくよ」
「ありがとうございます」
名取と夏目が兄弟か…可哀想に。夏目、許せ。
「だから主を愚弄するな、」
「「!!」」
『プライバシーの侵害で訴えるぞ柊』
「…アンタ、今誰と話した?」
姿を隠した柊は3人には見えていない。突如聞こえた女の声に雫が返事を返した事に疑問を感じた銀髪が目を細めた。
「やれやれ…柊」
「申し訳ございません」
「ひっ人…じゃない!?」
「…妖を見るのは初めてかい?」
「シスコンの式神なら何回か見た事あるネ」
興味深げに柊を見上げる少女とは対称的に若干怯えている少年。銀髪の表情は変わらない。
「アンタらは陰陽師か?」
「いや、妖の祓い屋だよ」
――――――弟は違うけどね…
名取がちらりと夏目を見た。フワリと欠伸を一つ噛み殺し、寝床の事を思案する。今夜くらいはゆっくり体を休めたい。夏目も休んだほうが良いだろう。
「今夜はどうする気だ?」
当たり前だが今すぐに部屋を探すのは無理だと告げられる。雫の財布は依頼で空に近いし、名取の財布も宛にはならないだろう。
『今夜も野宿かな…』
「…僕がそんな事をさせると思うかい?」
子供はお金の心配なんかしなくて良いと髪を撫でられる。野宿じゃないのは正直に嬉しいが、なるべくなら出費を押さえたい。
『なら、ラブホテルか…』
「な!!!!ら、らぶっほ…!!?」
ガタンと何かが落ちた音で皆の視線がそちらに行く。動揺してソファーから落ちたらしい夏目は赤くなった頬を押さえながら狼狽えている。純粋だな夏目。
『大丈夫だ夏目、お前の貞操は守ってやる』
「て、ていそっ!?!えぇえぇ!?」
「…雫、その台詞は男性が言うべきだと思うんだが」
『お前の魔の手から夏目を守ろうと思ってな』
「えっ、僕かい!?」
「…夏目、らぶほてるとは何だ?」
「!?え…」
赤くなったり青くなったりしている夏目は大変面白いがこれ以上苛めては可哀想だろう。
『柊、現代の出逢い茶屋みたいな物だ』
「・・・・・・・・・・・ほぉ」
たっぷり間を開けた後に柊が呟く。何故だか非難がましい視線が向けられた。
『…安心しろお前の主にも手を出す気はないから』
「…お前、やっぱりズレてるな」
『?そうか』
「…その前にガキ混じりでラブホは不味いだろうが」
銀髪が癖毛をかき回しながら正論をひとつ。今は2人共制服だ。となると名取が性犯罪者になる訳だ。
「無礼だぞ小娘!主様とてお前らみたいなまな板は好みではない!」
『名取は巨乳派か…つうか今普通に夏目も含めただろ』
怒って躍り出てきた瓜姫が威嚇してくる。まな板って…夏目に乳があったら怖いだろ。
「…わいわい出てくるんだな」
『そうだ、アンタ八雲に用が有ったんだろ?』
喋りながら心の中で八雲を呼ぶ。いつも通り雫の後ろに現れた黒髪の男に銀髪の男が目を見開いた。ゆらり、影を纏わせた男が銀髪の目の前に立つ。鮮やかな灰色が瞬いた。
「…アンタも妖だったんだな」
「嗚呼、」
シスコンの所々の式神は妖怪らしい特徴があった。人に近い外道丸さえ角があり、一目で妖怪だと分かる姿だった。しかしこの男は見た目は人と相違ない。ただ、気配が一切無かった。一枚の絵のように、視覚からしか認知が出来ない。
「…これ、返しとくわ」
懐から取り出した茶封筒。無造作に差し出すが男は手を出さない。
「…」
『八雲お前、何した?』
スッと目を細めた少女が低く問う。凛とした声は一切の嘘や誤魔化しを許さない。色の薄い唇がゆっくりと開かれた。
「…依頼をした」
『言え』
射干玉(ぬばたま)の瞳が曇天の瞳を射抜く。身長の高い男を見上げている筈なのに少女は明らかに高い位置から話していた。
「虚の情報があったとしてもお嬢には話さないように、と」
言い終わった直後に響いた破裂音。僅かに傾いだ男に片手を上げた少女。一切の容赦なく平手打ちを食らわせていた。
『私がいつそれを命じた?私がいつそれを望んだ?』
闇色の瞳が静かに瞬く。
『勝手な行動は契約に反する』
――――――名前を奪ってやろうか?
「!!」
その言葉に反応したのは4人…正解に言えば1人と3匹の妖。1人と1匹はもちろん夏目で、にゃんこ先生。残る1匹は…
「いやだよ雫っ!!!!」
悲鳴と共にぽふりと煙を纏って現れた子供。大きな瞳に涙を浮かべて雫にすがり付き、額を擦り付ける。金色の耳も、柔らかそうな尾も今は小さく震えながら地に垂れている。
「取らないでっ!!お願い取らないでっ!!僕から名前を取り上げないでぇっ!!」
哀願する声は最早悲鳴。絶望を目前にして神に祈るように、子供は少女にすがっていた。
『…彼方、落ち着いて』
名前を呼ばれて子供は少女を仰ぎ見る。ぼろぼろと零れる涙を拭いて、遥は頭を撫でてやった。
『別に彼方から名前を取ろうとはしてないから、大丈夫』
「…ほんとう?」
『彼方が良い子なら、取らないよ』
「…僕、良い子になる」
『よろしい』
子が母にするように、子狐は両手を広げる。慣れた様子で雫は子供を抱き上げてやった。首筋に顔を埋めた狐をあやしながらチラリと曇天の瞳を見やり、小さく口を動かす。
―――――――虚言じゃねぇよ…
「…御意」
この状況を理解出来ているのは当事者達と、名取くらいだろうか。状況を飲み込めてない者達の中の銀髪は咳をひとつ、本題に論点を向けた。
「あー、何か良く解んねぇけど…アンタら今日の寝床を探してんだよな?」
『そうだ』
「ラブホ以外で泊まれそうな場所がある」
――――この眼鏡の家だ…
「えっ?!ええええぇぇぇぇぇえええ!!!!!」
「煩いネだメガネ、だからお前はいつまでたっても新八アル」
「新八は関係ないでしょう!!てか何で僕ん家なんですかっ?!」
「お前ん家は広いだろ?万事屋は狭いからな…面倒だし」
「最後が本音だろうがこの天パ」
『嫌なら無理にとは言わないよ、眼鏡クン?』
「新八です!!って、あ…嫌な訳じゃなくて…」
『もうすぐ日が暮れるし…早く寝床探そうか』
「女の子に野宿はさせられないしね」
『財布の中身が厳しいから…危ないけど野宿にしようか?』
「でも危ない人が君に何をするか解らないだろう?」
『勿論ホテルが良いけど…お金がないじゃない…』
「雫…泣かないでくれ…」
「あああああ!!!良いです!!もういくらでも泊まって下さい!!!」
『助かるよ新八クン』
「ええええ嘘泣き?!?今の嘘泣きだったの!?」
『そう簡単に泣く訳ないだろ』
「悪いけど、お世話になるよ」
けろりとした顔で外に向かう雫達。騙された形で泊める事になった新八は顎が外れそうなほど呆然としていた。
『夏目…夏目?』
「…あ、」
『行こう』
「…うん」
差し出された手を握り、歩き出す。ひやりと冷たい掌の感触にいつぞやの妖を思い出した。
「…」
『何か言いたそうだね、夏目』
振り向いた黒い瞳が細められる。吸い込まれそうな闇色に肩がピクリと跳ねて、思わず手を離してしまった。
「あ…」
『後で話をしようか』
離してしまった掌を一瞬眺めた雫さんが呟く。再び手が伸ばされる事はなく、少女は歩いて行く。遠ざかる背に無意識に手を伸ばすが、少女はもう振り向きはしなかった。
そんなつもりはなかったのに、と思うのに言葉が口から出ることはない。
『よろしく頼むよ、眼鏡クン』
「新八です!!」
「男に二言はないよね?」
「どこのチンピラですかアンタ!?」
階段の下で騒ぐ人々を見下ろす。夕日に照され、延びる影が長い。たった数メートルの距離が酷く遠く感じた。
「夏目…気付いたか」
「ニャンコ先生…?」
「見ろ、あの小娘…」
―――――――影がない…
「…それは、どういう…」
呆然とする夏目を名取が手招きする。視線を送る少女は振り向かない。
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