照り付ける太陽が真上から照らす。じわりと汗が滲むようだ。街を歩く人々に混じり、万事屋へと向かう。建物や人々の真下に濃い影が存在していた。

24時間ぶりの万事屋に辿り着く。1日やそこらじゃ情報は集まっていないだろうが、行動しないよりはマシだ。カン、カンとゆっくり音を立て階段を登っていく。

「…じゃあ旦那、そう言う事でィ」

「ケッ、とっとと帰りやがれ税金ドロボー」

「は、税金一円も払ってないだろうが」

…数人が言い合う声がする。一人は坂田とかいう店主の声だが、後の2人は知らない人間だ…当たり前か、此処で知り合いと呼べる人間は片手で足りるのだから。

「おーお客さん来たからとっとと帰れ、お前ら真撰組なんか店の前に居たらマトモな商売してないように見えるだろ?」

「旦那、万事屋はマトモな商売じゃあないですぜ?」

遥に気付いた銀髪が黒服の2人を追い払う仕草をした後、此方を手招いた。それに釣られ、2人の視線が向けられる。年の近い茶髪と、煙草を加えた黒髪。そのどちらも同じ制服を着て、帯刀していた。

『お邪魔します』

此方に向いた視線を無視し、家主と引き戸の間を潜って中に入る。2人の視線は背中に貼り付いたままだ。奥に居た大きな白い犬が吠える。

「…アイツ」

ポツリと呟かれた台詞。猜疑心の滲んだその声には気付かない振りをした。

「あ、いらっしゃい」

どうぞ座って下さいと示されたソファに座る。横に八雲を座らせ、帰ってきた店主と向き合った。

「…悪ィけど、まだ何も情報は集まってないぜ?」

『嗚呼、知ってるさ』

たった一晩で探せるとは思ってない。そう返せば男は僅かに首を傾げた。ならば何故?と言いたいのだろう。

『少し聞きたいことがある』

「…お嬢、」

『!』

問いかけようと口を開いた瞬間、懐かしい感覚に浸る。スカートのポケットに入れた手鏡が熱を持っていた。名取か、あの世界の誰かが来たのだろうか?

「どうかしたアルか?」

不思議そうに首を傾げた神楽ちゃんを横目に立ち上がる。ソファに座ったままの店主と視線が合った。

『悪い、また来る』

「あ…」

お茶を運んで着てくれた少年の横を詫びながら通り抜ける。パタパタと足音を立てながら、急いで階段をかけ降りた。

『おっと、すまない』

「アンタは…さっき旦那の所に居た、」

『悪い、急いでるんだ』

角を曲がった所で黒服の少年の背中に軽くぶつかった。直前で八雲が手を引かなければ思い切り突っ込んでいただろう。何か話し掛けられたが途中で切って走り出す。

路地裏の薄闇に飛び込むとヒヤリとした冷気が体を包む。誰かの気配はまだ遠い…少し足を早めたと同時に冷たい腕に包まれた。

「急ぐのなら、俺が走った方が早い」

ふわりと足が地面から離れた瞬間、影に包まれ景色が歪む。一片の光さえ見えない闇に包まれた直後、今度は光の色彩に溢れた世界に落とされた。

目を細めた雫の目の前に立って居たのは…

「雫!無事かい!?」

『やっぱりお前か…名取』

驚いたように目を見開かれ、頭の天辺から足の先まで見下ろされる。胸元が僅かに茶で汚れたセーラー服に一瞬目を細めたが、肩の力を抜いて小さく溜め息を吐かれた。

『心配かけて悪い』

「いや、元は俺が巻き込んだような物だ…すまなかったね」

ぽすぽすと頭を撫でられる。子供のような扱いに眉をしかめたが、温かい感触は嫌いではない。

「しかし…ここは何処なんだ?」

くるりと周りを見回した名取の首筋を蜥蜴の影が這う。それを眺めつつ、名取の問いに答える事なく疑問を返した。

『お前、どうやってここまで来たんだ?』

「それは…」

名取が答える前に静電気が弾けるような音が響き、薄青い小さな稲妻が近くで破裂する。八雲が雫を背後に庇った直後、ドサドサっと大きな荷物が無造作に落ちたような音がした。

「イテテテテ…」

「退け夏目!ワシのキュートな体が潰れるだろうが!」

「雫っっ!!!うわぁああああん!!!!」

驚きに目を見開いていると泣きそうな声と共にお腹辺りに軽い衝撃を感じる。ギュッと腰辺りに抱き付かれ、小さく震える金色の耳を撫でてやる。

「その子が連れてきてくれたんだ」

そう言った名取の手には太陽を弾く小さな鏡。それを見てなるほどと納得した。対の鏡を共鳴させてここまで飛んで来たのか。対の物はお互いを呼び会う。それを利用したのだろう。

『ありがとうね、彼方』

「うううっうぇっ雫…うぇええんっ!!!」

ぐずぐずと涙を流しながら胸元に額を擦り付けて来るのは何故だか懐いた小さな稲荷神だ。

「雫さん、無事で良かった…」

「怪我はないようだな」

駆け寄って来た夏目も安心したように溜め息を吐いた。彼らにこんなにも心配されていたとは、嬉しいような申し訳ないような。

「…しかし、何故此方に来たんだ?」

静かに佇んでいた八雲が小さく問いかける。灰色の瞳が瞬くのをその場の全員が見つめたと同時に、八雲が爆弾を落とした。

「鏡が揃えば、帰れないだろう」

「「「「・・・あ」」」」

鏡が呼び合うのを利用するのなら雫を呼べば事足りただろうに、と冷静に告げた八雲に此方に来たメンバーは今気づいたような表情を浮かべた。

「オイ!どうするのだ子狐!帰れなくなったではないか!」

「煩い狸!僕は雫の所に来たかっただけだもん!勝手に付いてきたのはお前だろ!」

「むむ!狸だとうっ生意気な子狐めっ!」

『ハイハイ喧嘩すんな2人共』

「すまないね雫…勢いで来てしまったが、どうやら帰れなくなったようだ」

飛び掛かってきたニャンコの頭を鷲掴みして止めつつ、帰る方法を考えてなかったらしい名取を見やる。

「君が一週間も見付からなくて、焦っていたからね…」

『一週間、ねぇ?』

此方ではたった1日しか経っていないのに、あちらでは既に7日経過しているらしい。本当にここは異世界なんだな、と妙な所で関心してしまった。

「…雫はここで何日過ごしたんだい?」

『1日と少し…それくらいだ』

「・・・差詰めここは竜宮城かな?」

竜宮城で楽しんだ浦島太郎が現実世界に帰ると既に何十年も経っていた話。自分はこの世界をちっとも楽しんでなんていないが時間の経過は浦島太郎と酷似している。帰ったら何年も経っていたなんて笑えやしない。

『私はともかく、お前ら早く帰らないとヤバイだろう』

夏目は遠野夫妻や学友が心配するだろうし、こんなんでも名取は俳優だ。雫と違い、待ってくれている人間が多々居る。長らく居なくなれば大事になるだろう。

『お前ら軽薄過ぎるぞ…特に夏目』

「…え?」

『遠野夫妻が心配するだろうが』

「雫、夏目は…」

『お前もだ名取。良い大人なんだから自分が居なくなったら大騒ぎになる事くらい分かるだろうが』

「ふっ、小娘にかかるとお前ら形無しだな」

ニャンコが鼻で笑う。ニンマリとした口が更に歪んでいた。

「…それだけ君が心配だったんだよ」

何故か少し寂しそうな名取が頭を撫でた。理由が分からず、キョトンとした表情で見上げる雫に対し、夏目が呟く。

「雫さんが居なくなっても、大事ですよ…」

『大事にはならんだろう。心配する人間が居ないからね』

「…え?」

『私が居なくなって1週間経ったらしいが…夏目、警察に何か言われたか?』

「…いや、何も」

『学校で女子高生が行方不明と噂が流れたか?』

「…」

『私が居なくなって』

―――――――お前ら以外で、心配した人間が居たか?

「・・・家族は、」

『私が居なくなった事に気付いたかどうかすら怪しいな、アイツは知らんが』

そんなもんなんだよ、と雫は呟く。他人事のように告げた少女の顔は変わらない。悲しみも怒りもない、凪いだ表情。

「・・・」

夏目は何も言わなかった。言えなかったのだ。もしも、自分が遠野夫妻に引き取られる事が無かったのなら…目の前の少女と同じ立場だったかもしれない。厄介者扱いは見に染みて覚えている。今まで夏目を引き取ってくれた彼等の元で行方不明になったとしても、家出として都合良く片付けられたのだろう。厄介払いとでも思ったかもしれない。

「雫、君は自分を卑下し過ぎてる…昔からね」

君は自分が居なくなったってどうもないと言うけれど、僕らは君が居なくなって凄く心配した…

「だから、そんな悲しい事を言ってはいけないよ」

『・・・』

雫は何も言わない。何処か嫌そうに、でも照れ臭そうに目を逸らしただけだった。

―――――嗚呼、そうか…

彼女は人との触れ合いに慣れていないのだろう。心を通わせる事も、人の温もりに触れる機会も少なかったのだ・・・少し前の夏目のように。

「お嬢、」

波の音が小さく響く小さな波止場。八雲の視線の先には赤い船底の船。滑るようにゆっくりと此方に向かって来ていた。

『…物凄く見覚えがある気がするけど、気のせいだよな』

「現実逃避しても無駄だ」

『…逃げるぞ』

「え?」

訳がわからないと言う顔の夏目の手を引き近くの倉庫の影に滑り込む。名取は少し厳しい顔で何も言わずに着いてきた。とりあえず、逃げ場がないので少し開いていた倉庫の扉に逃げ込んだ。

「小娘、何から逃げているのだ?」

『…危ない人からだよ』

此処でゆっくりこの世界について彼らに教えている時間はない。疑問を秘めた夏目を視線で黙殺し、近くに無造作に積まれた荷物の後ろに隠れた。

「雫…」

『静かに』

子狐型になった稲荷神を胸に抱き、息を殺す。夏目と名取も何も言わずに従った。ニャンコは変わらず、にんまりと笑っている。

「…来たな」

ニャンコが呟いたと同時に耳障りな金属が擦れ合う音が響く。倉庫の扉が開かれたようだ。薄暗い中に光が伸び、そして閉じられた。

「…チッ、人間のくせに偉そうに…」

「負け犬がキャンキャン煩ぇんだよ!!」

誰かを罵りながら入って来たのは天人。隣で夏目が息を飲んだ。そりゃあそうか、初めて見た宇宙人に驚くのは当然だ。

「あれは、」

『この世界では天人と呼ばれる宇宙人だよ、地球に侵略して来たらしい』

「…本当に異世界なんだね」

名取が呆れたように溜め息を吐いた。此方に気付く筈もない2人は変わらず喚いている。

「最近は付いてねぇな…折角春雨に入れたと思ったらあの野郎…」

「本当だぜ鬼兵隊との取引邪魔しやがって…許せねぇあの女」

・・・何だか覚えがある単語が聞こえた気がする。

そろっと2人を盗み見る…そういえば八雲がぶちのめした奴らの中に居たかも知れない。生暖かい目で彼らを見つめ、再び荷物の後ろに隠れた。

「あの女…次会ったら気が済むまで殴ってから吉原に売っ払ってやる」

「ばぁか、その前に俺らが可愛がってやるんだろ?吉原に行く前にお勉強させてやらないとな」

「ギャハハ!!そりゃ良い!!」

下品な会話で確信する。多分私の事だろうな、と思いつつ顔を赤くした夏目を見やる。あれか、今の会話で赤面したのか…そうかまだ中学生だもんな。純粋だな夏目。

「…オイ!何してるッスか!」

突然背後で聞こえた大声に反射的に小刀に手を伸ばす。全員が居場所がバレたかと体を固くした。

「さっさと荷を運ぶっスよ!」

…どうやら此方に気付いた訳では無さそうだ。慌ててさっきの奴らが大きな箱を持ち、倉庫から走り去る。彼らが持って行った2つで荷物は終わりのようだ。

『…良く会うな』

鬼兵隊との取引に立ち会うのは2回目だ。バレないうちにさっさと逃げようとした瞬間、視界に写った鮮やかな紫に固まった。

『…』

しかも、思い切り目があった。ニマリと口角が上がったのは見間違いだと誰か言ってくれ。



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