『黙せよ』
いつもの名取からの依頼。助手という名のアルバイトだ。小遣い以上の稼ぎにはなる。独り暮らしの自分には実に有難い。大嫌いな妖に関わるのは御免だが、生活資金のためなら致し方ないのだ。
「やれやれ、思いの外に手間取ったな…助かったよ雫」
『数だけだろ?一匹なら相手にもならん』
「数だけ、ね…」
名取に依頼して来たのはとある神主。どうやら大切に祀っていた御神木が枯れてきたらしい。樹木医に頼っても駄目。原因すら不明の出来事に神主は参ってしまい、藁をも掴む思いで依頼してきたそうだ。名取の調べで鼠の妖が大木に巣食い、枯らしていた事が判明した。
「群で襲って来るから結構な脅威な筈なんだけどね…数だけなんて言えるのはきっと君だけだ」
普通の鼠とは違い、体毛から瞳まで淡いグレーの鼠の妖は恐らく千単位で巣食って居たのだろう。うぞうぞと無限に樹の洞から這い出て来たのは鳥肌が立った。
『後は専門に孔を塞がせたら大丈夫だろ』
チチ、と鳴いた鼠は少女の足元に寄って撒かれた餌を貪っている。小動物型の妖は諜報に使えると残したのだ。流石に大半は消滅させたが、百匹程いるのではないか。
「…ん?」
虚を見つめた名取が不思議そうな顔をする。視線の先は雫の脚・・・の向こう。つまりは雫の背後にある御神木の根元辺りを見ていた。
『どうし…』
雫は一瞬目を見開いた後、御神木を睨み付けた。鼠を大量に育んだ洞が、綺麗に無くなっていた。まるで最初から何もなかったかのように、窪みすら見当たらない。
…オオオォォ…
「『!』」
風の音のような声に反応すると背の高い御神木の真ん中辺りにポッカリとした穴が開いていた。さっきまであんなもの無かったと断言出来る。暗い穴にギョロリとした目が現れた。
「ひひひひ人が…我に何の用だ?」
『・・・孔自体が妖か』
「そそそそその通りだ…」
ピッと封印符を構えると妖がニマリと笑った。表情所か顔すらないが、瞳だけが愉悦に歪んだのを感じる。
「わわわわ我を封印する気か?」
『さて、どうだろうか?危害を加えないなら見逃してやる』
「雫、依頼は済んでる…此処は引こう。奴も今すぐ危害を加える気はなさそうだ」
「カカカ、みみみみ見逃すとな?我を見逃すとな?生意気な人間共よ…」
瞬きをする瞳がギョロリと2人を睨み付ける。底知れぬ孔の闇が蠢いていた。
「ここここ小娘、お前は危険だな」
ピクリと反応した名取が雫を背に庇う。背中越しに雫もいつでも封印出来るように札を構えた。
「カカカ、ここここ転ばぬ先の杖。石橋は叩いて渡れとな?お主ら人間の知恵じゃろうて…」
「めめめめ目の上の瘤は邪魔であろう?」
『!』
「雫っ!」
いつの間にか背後に回った洞の闇から無数の手が伸びる。闇が雫の手足に絡み、引きずり込む。驚いた表情の名取がこちらに手を伸ばす…が、指先を掠めただけだ。柊が刀を抜いたが間に合わないのを悟る。
『…八雲』
「此処に」
ブワリと暗い闇が切り裂かれる。思い切り手を引かれて抱き込まれた。その背に再び闇が伸びて絡み付く。既に半分以上洞に飲まれた体は自由が効かない。
「くそっ!!雫!!」
名取の叫びも遠い。ズルリズルリと闇に飲まれていく。嗚呼、眠くなってきた。八雲の腕に硬く包まれる。
「お嬢、アンタは死なせない。それが契約、俺の全て。」
右目が熱くて痛い。八雲の冷たい唇が右の瞼に落とされる。
「アンタは俺の物だ。」
時を同じくして、とある船の上。美しい満月を眺めながら紫煙を燻らしている人影。
「・・・」
ピクリと反応したのは一人の男。煙管より紫煙が揺れている。ふわりと流れが変わり、男の前に白い帯が溶けていく。
「…月見を邪魔するたァ風情のない奴だな」
「お前…見えるのか?」
音もなく目の前に降り立ったのは一人の男。腰に携えたのは日本刀。両手にセーラー服の少女を抱えている。攘夷浪士かはたまたただのゴロツキか?身に纏う雰囲気が後者ではない事を物語っているが…
「ククク…生憎こっちは良く見えて見えて困ってる位だ」
―――――この世の腐りきった部分とかなァ?
「・・・」
男は僅かに目を細めただけで何も言わない。スッと視線を流し背後を伺っている・・・また子に気付いたか。
「晋助様から離れるッス!!」
二挺の銃から弾が叩き出される。男は軽い動きで飛び上がり、甲板の荷物に着地。やはり音はしなかった。腕の中の少女は目覚めない。
「何の用か知らないが…鬼兵隊の船に乗り込んできたからには容赦しないっスよ!!」
「きへいたい…」
まるで言葉を知らない幼子が大人の言葉を真似るかのように男が呟く。不思議なグレーの瞳が無表情に此方を見つめていた。
『…ん、』
少女が漸く眼を醒ました。男に降ろされて、不思議そうな顔で周りを眺めている。また子が警戒心を剥き出しにして銃を突き付けるのを意に介した様子はない。
『・・・アンタ、人間?』
「お前には何に見えてる?」
『・・・人間だな、』
睨み付けるような視線が高杉を射る。何度か瞬きと何故か手で片目ずつ隠してから漸く納得したように呟いた。
「2人揃って妙な事を…やれ!!」
「いや、捕まえろ」
「晋助様っ?!」
いつの間にか周りを囲んだ無数の浪人たち。刀を抜いてじりじりと近付いてくる。
『…よく分からんが、とりあえず逃げるか』
「そうだな」
一斉に飛びかかってきた男たちに向け、懐から紙を取り出す。人形に切られたそれを投げ付けると、ニョロリと大きくなり人々を押し倒していく。奇妙な出来事にざわめく男たちを押し退け走り出す2人。
『!』
「…ふむ、所詮は紙でござるか」
紙人形が破られた事に少女は気付く。半紙を一閃した男は崩れた人形を感慨深く眺めている。
『ッ!?おいおい、何の冗談だ…』
乗り越えようと飛び上がった船の縁より見えたのは遥か下の美しい夜景。その上を泳いでいく船。
『船が飛んでる…』
「何を当たり前の事を…もう逃げれないッスよ」
振り向くと包囲する男たち。中心には煙管の男と銃の女、サングラスの男も居る。もう目眩ましの紙人形は使えない。
『高い所好きじゃないんだけどな…』
「怖ければ見なければいい」
八雲の冷たい手が瞳を覆う。視界が暗くなった瞬間に感じた衝撃。体はいとも簡単に重力に従い、堕ちていく。
『…あぁ、良い月だ』
実際には頭から真っ逆さまになるのは体の比率的に頭の大きな幼児だけだ。成人は体幹が重たいので腰を下に堕ちていく。地面に着いたら脊椎が脳に突き刺さってサヨナラだ。
続いて飛び降りた八雲の腕に包まれる。肩越しに見えるのは抉りそうな程鋭い隻眼。緑の瞳は何故か愉快そうな色を秘めている。零れ墜ちそうな月を背後に煙管を燻らす姿が自棄に似合っていた。
『狂気的…ねぇ。』
「もうすぐ地面に着きますが」
『そ、ならさっさ帰ろうか』
「御意に」
音も衝撃もなく降り立った地もまた見知らぬ場所。木造建築物に提灯、歩く人々は着物を纏っている。時代劇でしか御目にかかれない世界が、目の前にあった。
『…お前の姿がまともに見えるな』
着物に帯刀している八雲は馴染めるだろうが、セーラー服の自分はどうか…答えは既に出ているのだが。
『・・・は?』
不意に見えたのは馬の頭。しかし服を着て2本足で歩いている。あ、洋服も存在してるんだ…とか驚きはソコじゃない。
『妖じゃ・・・ないな』
人々にはしっかり見えているようだ。しかし驚いた様子は全くない。むしろ、居酒屋の親父が明るく声をかけている。
「…俺の姿も見えていた」
『なるほど、分からん』
試しに目眩ましの札を八雲に持たせ、歩く人々の歩みを遮らせてみた。何かにぶつかる感触に一瞬不思議そうな表情をするも気にせずに去っていく。
次になにも持たせずに通路に立たせると人々は歩みを止めずに避けていった。
『・・・完全に“視認”されてるな』
普通は妖は人には見えない。しかし船が飛んで馬が服を着て二足歩行の世界では当たり前に八雲の姿が見えてしまう。
『意味が分からん…あの妖なにしやがった』
「アイツはうろ…大木の樹の洞が妖になった奴だ。樹の洞と読みは同じだが漢字では虚と書く」
「…虚は思うがままに空間と空間を繋げれると聞く」
『無限の鼠の種明かしか…妙な所に連れてきやがって』
――――さっさと帰るぞ
「お嬢の思うがままに」
「ククク…変な奴等だ」
「陰陽師か…妙な術でござったな」
「あの男、私の銃弾避けたっス!」
「名取さん…あの、雫さんは…?」
「…樹の洞の妖に呑まれてしまった…」
「虚か…名取、奴は危ないぞ。早く見付けて小娘を連れ戻さないと手遅れになる」
「にゃんこ先生…!?」
「呑まれたなら何処か別の場所に落とされたのだろう。日本ならまだしも下手したら外国か、はたまた別世界とか有り得ぬ事じゃないからな」
「世界が違うと時間の経過が違う…意味は分かるな?」
「・・・」
「一刻も早く虚を捕まえるか他の手段にしろ小娘を連れ戻さないとヤバい」
「カカカ、どどどどどうする小娘?泣くか怒るかはたまた嘆くか…」
『とりあえずあの妖ぶん殴ってやる…』
「…雫が?」
「名取の手伝いで妖に呑まれたと」
「そうですか」
「それだけかい?冷たいねぇ…」
「血の繋がりなど無意味でしょう、仮にも的場の血を引くのならば自力でどうにか出来る。」
―――――まぁ、出来なければ…
「それだけの人間だったというだけですよ」
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