「こたろ、こたろ」

婆ちゃんが皺くちゃの手で黒光りするような綺麗な毛並みを撫でている。骨張ったその指を至高の幸福のように受け入れている黒猫。くるる、と鳴る喉が機嫌の良さを表している。

背の曲がったちいさな老婆の狭い膝から少しはみだしながらも丸まる猫の姿はもう、ない。

今は喉を鳴らす事のない猫が冷たく広い座布団にどてりと身を横たえるだけだ。

「婆ちゃん、ただいま」

猫が陣取る座布団の横に膝をついて手を合わせる。線香の匂いは肺から胸へ寂寥を染み込ませる効果があるようだ。チラリと黄色い目でこちらを見ると小太郎は尻尾をゆらりと振った。つやりとした濡れた蛇のようにしなやかなそれらは、思い思いに揺れる。

「遅かったな」

低い男の声が聞こえた。ここの家に住むのは今は雫のみ。部屋には黒猫が毛繕いをしているだけだ。

「小太郎も…ただいま」

「なんだそのついでみたいな言い方は」

「猫缶様を勝手に食べるようなペットは許さん」

ピンと跳ねた3本の尾は何よりも正直である。二本の尾がある猫は猫又という有名な妖らしい…が目の前の黒猫はもう1本尾が多いが妖らしい怖さは全くない。ただ2本尾が多い猫にしか見えない。

「なんの事か…とんと分からんな」

「ほぉ?晩飯のメザシは要らんのんな?」

「すまんつい小腹が空いてだな」

パックに包まれたメザシを翳すと小太郎はすぐに白状した。流石猫。ペタンと伏せた耳とタラリと畳に落ちた尾が可愛い。

小太郎はお婆ちゃんの飼い猫だった。夫を先に無くし自立した子供は家を出て山ん中で一人暮らし。格好の話相手だったのだろう。幼い頃から夏休みなどで帰省した時には祖母の隣に必ず小太郎がいた。

祖母は妖と知らず小太郎を飼っていたらしい。小太郎もそれを甘受していた。雫には3本の尾が見えていたが、幼き頃から見慣れていたので婆ちゃん家の黒猫は
それが当たり前だと思い何の違和感も抱いていなかった。子供の素直さって怖い。

祖母が亡くなり自分がこのに移り住んだ。小太郎もここに残った。妖との共同生活という奇妙な生活だが、なかなか悪くない。

「早く焼かないか」

たしたしと肉球を畳にスタンプしながら言う小太郎。喋りは不遜だがいかんせん見た目は凛々しい黒猫。いつも自分がどれだけ凄い妖なのか語るけれど見た目は間違いなく猫だ。可愛い以外の感想はなかった。

メザシの骨を取ってやりお皿に持ってやる。待ってましたと言わんばかりにかぶりつく小太郎に表情を緩めながら譲も箸をつける。

「この町には小太郎以外に猫又は居るん?」

この町に引っ越して数日。祖母の遺品をまとめ、自分の荷物を広げ終わったのが今日だ。寮より祖母の家から通う方が都合が良いためここに越して来たのだ。

「お前が居た都会には妖は少なかっただろうが、この通り山の中だとそれに比例して妖も多い」

クーラーがない平屋は山風が冷たく扇風機だけで充分涼しい。庭の向こうは山か田んぼのみ。そこには都会にはあり得ない真の闇があった。薄く濁った空にはあり得なかった星の瞬きに目を向ける。

「猫又も昔は多かったんだがな」

この辺りに居るのは俺だけだ、と顔を洗いながら小太郎は言った。その背中が淋しそうだったので思わず撫でるとフンと馬鹿にしたように鼻で笑われたが、逃げはしなかった。

「1人は寂しいもんなぁ」

この静かな家で祖母はさみしかっただろうか。いや、この小さな物言わぬ居候のおかげで楽しかったに違いない。まるで人に話しかけるように猫に言葉をかける祖母の姿が目に浮かぶ。

「さて、風呂に入ろ」

よっこらと年寄りじみた声と共に小太郎を抱き上げ風呂場に向かう。初日には未婚の女が安易に誰かと湯浴みなんぞするもんじゃない!と怒られたが猫を洗うのの何が悪いのか分からないと答えると撃沈していた。意味分からん。今は諦めたらしい。

明日もきっと暑くなるだろう。日傘をもって辺りを散策するのも悪くない。




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