花と獣 | ナノ


薄暗い闇の中、宛てもなく迷いなく彷徨う。嘲笑うかのような夜の街の喧騒を振り払うかのように人気のない方へ。カビ臭くゴミ箱くらいしかない路地裏を不気味だと怖がっていた昨日までの私はもういない。誰も居らず、月明かりだけで足元くらいしか見えない場所は酷く居心地が良かった。私の存在など誰も気にしないのだから。

「もう明日から来なくていい」

休暇を終え、上司の元を訪れた際にあっさりと言われた言葉。急病で任されていた重要なプロジェクトを投げ出した為か、はたまた病気故に長々と休暇を取る羽目になったからか、理由は察して余りある。役立たずを切るのは会社としては当然かもしれない。

「君とはもう結婚できない」

婚約していた彼にあっさりと言われた一言。病故に妊娠が難しいと告げれば容易に愛が冷めたらしい。私に対しての愛はその程度だったのか、恨み言を吐くその前に彼はさっさと部屋を出て行った。



好きで病気になったんじゃないのに、

誰に言う訳でもなく呟きながら歩き続ける。彼氏と過ごした部屋は1人では酷く広すぎて思わず出て来てしまった。これからどうしようとぼんやり考えたが、何も思いつかなかった。

気紛れに空を見上げれば夜空にアンタレスが瞬いてるのが目に映る。あの星を抱く星座はなんだっただろうか。そういえば星を見るなんて随分と久しぶりだ。

ふと、路地裏に暖かな光が差し込んだ。煉瓦造りのレトロな外観にマネキンが1体座らされている。ブティックというには豪奢なドレスに、目を伏せ座っているマネキンに違和感を覚えた。服を見せるには座っていては全体が見えない。

それにマネキンが幼さ残る少女である。まるで生きてるみたいにリアルな。変な店だなぁと気付かぬうちにまじまじと眺めていたらしい。扉が開かれたのにも気づかなかった。

「中へどうぞ」

「え…っと、」

急に声をかけられて、客じゃないと告げるのも失礼かと返事に困っていると店長らしき男性は扉を開けたまま中に入ってしまった。どうせ行く当てもないのだ、半ば自棄になりながら中へと足を向けた。

中は中華風というか装飾過多というか極彩色で思わず目を細める。香のほんのり甘く、鼻腔に残る匂いが新鮮だった。招かれた椅子に座ると香りの良い紅茶が差し出される。

「…おいしい」

「それはようございました」

夜道に薄着で歩いたため知らず体が冷えていたらしい。温かい紅茶にほっと息を吐けば奥に座っているマネキンの数々が目に映る。店内の装飾に負けぬくらい鮮やかな髪色と服を纏っている彼女たちは一体何だろうか。

「観用少女でございますよ」

「プランツドール…」

生きた人形、貴族の道楽。この世の物とは思えないほど美しい人形は愛情とミルクで生きるのだと噂に聞いた。実際に見たことはなかったけれど、見つめる先の人形は噂に違わず夢のように綺麗だった。

「…お茶まで頂いて悪いんですが、私はお客さんになれませんね」

貴族の嗜みとまで言われる人形様である。庶民で更に今日から晴れて無職の私にとっては天よりも遠い存在だ。少女は確かに目を奪われるほど美しかったが、とても手が届きそうもない。見ているだけで充分過ぎるほど。

「いえ、お待ちしておりました」

「…え?」

にっこりと銀髪のお兄さんは眼鏡の奥で目を細めた。言葉の意味が分からなくて目を丸くした私の前で店長が指し示したのは真紅の髪を持つ少女だった。招かれるまま、他の少女に比べて質素なワンピースの少女の前に立つ。端正に整った顔の長い長い睫毛が震えた気がして、綺麗な顔を覗き込んだ。

「わあっ?!」

パチリと宝石のような瞳が瞬き、にこりと笑んだ。まさかまさかの出来事に情けなく悲鳴を上げて尻餅を着くと少女は嬉しそうに抱き付いてきた。あまりの衝撃に固まっているとお兄さんが微笑ましく見下ろしてきた。

「プランツの方が、お客様をお待ちしていたようでして」

普段は眠っている観用少女が目を覚ましたため扉を開けると私が突っ立っていたらしい。夜中に不審者でごめんなさい。そしていくら貴族でも金を積んでも観用少女が目を覚まさなければ購入出来ないらしい。人形怖い。

「で、この子は…」

椅子に座り直すと当たり前のように膝の上に乗って甘えてくる。他の少女より一回り小柄で子供らしい少女は酷く愛らしいがここまで懐かれると別れるのが辛い。たった数分しか共に過ごしてないのに、変な話だ。

「お客様は選ばれたのでございますよ」

紅茶のお代わりを入れながらお兄さんは胡散臭い台詞を呟いた。まるで悪徳商法か宗教のような言い草である。怪しむ私に気付いたのか店主は観用少女に付いて語り出した。

「先ほども申し上げましたが、お客様が観用少女を選ぶのではなく少女がお客様を選ぶのでございます」

特に一級品や気難しい少女は中々お客様を選びません。そしてこの子はとある名人が特別に作り上げた最高級の一級品でございますと男は微笑んだ。

「…申し訳ないですけど、私にはお金に余裕がなくて」

寂しげに見上げて来る少女の頭を撫でながら溜め息を吐く。病み上がりの上に無職、度重なる医療費で貯金も頼りない。とてもとても少女を買う余裕はなく、明日の生活にすら困る有様である。

「一度選んでしまった少女は他の方に見向きもしなくなってしまいますので」

「…ごめんね」

どうせ買ってはあげられないのだ。手を伸ばしてくる少女を膝から降ろしてみるも腰に張り付いて離れない。どうしたものかと店主を見上げれば、やれやれと溜め息を吐かれた。

「そのプランツは特別性でしてね、試作品といえど値段が付けられない一品でございます」

「試作品…?」

確かに他の少女達より一回り小さいが整った顔立ちに琥珀を嵌め込んだような煌めく瞳、ふわふわと揺れる短く赤い猫っ毛。試作品とはとても思えない。

「そのプランツ、男の子でございまして」

「珍しいんですか?」

まじまじと見つめると確かに凛々しい顔をしているような。ワンピースと思ったのは長めの上着だったらしく下にズボンをきちんと履いていた。ぐるりと辺りを見回せば髪を結い上げたり宝石で飾ったりした少女しかいないようである。確かに、男の子はいない。

「珍しいも何も、それ一体のみでございます」

確かに男の子では髪型やら服装も少女よりバリエーションは減りそうだが、お金持ちの中年女性に需要はありそうな気がする。一人しか居ない男の子の観用少女は変わらず腰にべったり張り付いている。

もしも男の子が生まれたら、こんな感じなのだろうか。別れたばかりの彼氏と子供に付いて語り合った事が脳裏に過ぎり涙が滲む。あの幸せな空間は二度と戻らないのだから。

「えっ…」

膝の上に無理矢理乗ってきたプランツが自分の袖で顔を拭いてくれた。心配するように眉を下げた顔に微笑む。

「慰めてくれて、ありがとう」

最後に頭を一撫でして席を立つ。長々居座れば余計に愛着が湧いて別れが辛くなるだろう。悪戯にプランツを構うのも可哀想だ。お兄さんに礼を告げて立ち去ろうとしたら腰に小さな衝撃。

「…お兄さん、」

やはりくっ付いて離れないプランツにお兄さんに抗議すれば何故かにっこりと微笑まれた。なんでだ。

「その子は特別な子でしてね、値段が付けられない程の一品です」

観用少女の相場なんて知らないし知りたくもないがその中の特別な一品なんていったいいくらするんだろう。

「値段が付けられないモノをお客様にお売りすることなんてできません」

なので、

「どうぞお持ち帰り下さい」

「はあっ?!」

思わず大声を上げて振り返ればくっ付いていたプランツが倒れそうになり慌てて抱き締める。いやその理屈はおかしいだろう。タダより怖いことはない筈だ。

「名人はこの子は誰も選ばないだろうと言っておりましてね」

もしも目を覚ますことが出来たなら、

「その方に差し上げろ、との事です」

「いやいやいや、その理屈はおかしい」

無理、そんなお高いもの頂くなんて無理。そして維持費払えない。プランツはお高いミルクを飲むらしいし、服も一級品らしいし万年ウニクロの私には無理。

「プランツの栄養は愛情でございます」

ミルクも普通ので育てている方も居られますし、環境に馴染めば大丈夫でございますと言われても…ふと見下ろしたプランツを見て私は酷く後悔した。

涙で潤んだ琥珀の瞳。泣く寸前の子供を反射的に抱き上げて背中を叩く。ぐずぐずと鼻を鳴らすのをトントンとテンポよくあやしてやると首にきゅうっと抱き着かれた。もう離れそうにないし、私も離せそうにない。

「連れて帰られますね」

にっこりとそれはそれは輝く笑顔で言われた私は苦笑いするしかない。簡単に住所や連絡先を書いてこの子の引き取りは完了らしい。泣き止んでしっかり左手を握り締めた子はきょとりと可愛らしく見上げてきた。

「名前はなんていうの?」

「お客様がお付けになって下さい」

綺麗な瞳は来る前にみたアンタレスの色だ。この瞳と同じ色の星を心臓と抱く星座の名は、

「サソリ、君はサソリね」

まん丸に見開かれた瞳が喜色に満ちてぎゅうと抱き締められた。胸を締められるような感動は母性感情であって、私は決してショタコンではない決して。

「名人からの贈り物です」

山盛りの荷物は後日届けてもらうようにお願いして手を繋いで店を出た。名人とやらもこプランツドールを大事にしていたのだろうか。ほんのり温かい柔らかな掌に癒されながらサソリを見下ろす。にこりと可愛らしい笑みが返ってきた。あの人が居なくなった部屋もこれで寂しくなんてない筈だ。

「私はカガリ。これからよろしくね、サソリ」

仲良く手を繋いだ2人を祝福するかのようにアンタレスが瞬いていた。




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