ギシリ、ギシリと音を立て

とうの昔に錆び付いた筈の歯車は

ゆっくりと、だが確実に動き始めた

まだ誰も気付かない

・・・気付いた頃にはもう


手遅れだ





波の国の外れにあるちいさな旅館。少しずつ景気が良くなって来たとはいえ、目立たない位置にあるため宿泊する旅行者は少ない。だが近くに質の良い温泉が湧き出ているため知る人ぞ知る、といった旅館だ。


―――その奥の部屋で、雫はのんびりと茶を飲んでいた。


彼女は普段のような厚着ではなく、簡素な浴衣の様な物を羽織っていた・・・やはり白色の物だが。

珍しく纏められていない銀髪は陽の光を浴びて柔らかな輝きを放ち、時折吹き込む風にサラサラと揺れていた。


――――――酷く、静かだ


久々の休息に安堵の溜め息を付き、雫は目を閉じてパタリと畳に倒れ込む。その衝撃に胸元で揺れる首飾りがシャラリと軽やかな音を奏でた。

暗闇の世界に響くのは自らの呼吸の音のみ。

つい先日、アイツと再会したのが嘘の様な穏やかな時間・・・けれど、平和な時間は決して長く続かない。


―――――そろそろ、仕掛けて来る頃か…


やっと見つけた獲物を逃がす程アイツは甘くも優しくもない。わざと逃して追い詰めて散々いたぶった後、喉元に食らい付いて確実な息を止めるような男だ。今度は何を企んでいるのやら…雫は陰鬱な溜め息を吐き出した。

・・・どうして放って置いてくれないのか。アイツも世界も私など無視してくれれば良いのに。

この容姿のせい?未来が読めるから?それとも不老不死だから?それとも・・・




神様 が 欲しい の?




他人が望んでも決して得られない物を手に入れた代償に、私は大事なモノを失った・・・私はそんな物など欲しくなかったのに。ただただ、平凡に生きて死にたかった・・・それを望む事すら罪だというのだろうか。


『・・・―――――』


お前を愛して、共に逝けたのなら、私は他の何も要らなかったのに・・・

誓約に縛られた私はそんな些細な望みさえ叶える事が出来ない。

幾ら時を重ねても色褪せる事のない記憶の海に意識を委ねる。戦乱の世だとはいえ、幸せだった。光輝く貴方が傍に居てくれたから。思い出すだけで心地よい温かさに満たされていく。


―――――だけれど、もう居ない


温かい記憶を辿った後に必ず訪れる、深い絶望。じわじわと哀しみが黒く侵蝕していく。指先が氷の様に冷たい。胸にぽっかりと空洞が開いた様な虚しさに思わず首飾りを握り締めた。


―――――気分転換に温泉にでも浸かろう


せっかくの休息に感傷に浸っていては意味がない。雫は軽く頭を振って意識を切り換えた・・・過去を悔いて何の意味がある?秒針を戻す事など出来やしないのだ。私には過去に振り返っている時間などない筈なのだから。

まだ夕暮れには時間があるが霧に包まれて薄暗い外を見ながら、フード付きの上着を羽織る。見上げた空は雫の心情を忠実に写し出した様に、滲んだ灰色の雲が隙間無く覆っていた。




「・・・相変わらず陰気な国だな」

ボソリと呟いた背の低い男。笠を被っているため表情は見えないのにかなり苛立っていると分かるのは長年の付き合い故か。そうかい?と適当に返すと傀儡が錆びるだろうがと嫌そうに言われた…湿気が多いから機嫌が悪いのか。

今回の任務は波の国での情報収集及び吹雪の捜索と勧誘。後者は難易度が高そうだがデイダラは楽しみにしていた。噂に名高い女なら芸術の創作意欲を存分に掻き立ててくれるに違いない。

「あそこにするぞ…」

相方が顎で示したのは小さな旅館。それは身を隠す様にひっそりと建っているにも関わらず情緒のある佇まいをしていた。年寄りが好みそうな古風な作りだ…口に出した瞬間に尾で串刺しにされそうだから黙っておくが。

・・・部屋に入ってすぐにヒルコの整備を始めた旦那を置いて波の国一だという温泉(ここの女将の台詞だから信憑性は薄い)に向かう。温泉に浸かるのは久しぶりだ。勿論いくら隠れ里のない国だとはいえ、S級犯罪者である自分が堂々と入る訳にはいかないので適当な姿に変化しておいた。

「・・・うん?」

廊下を下駄でカラコロと音を立てながら歩いていると、同じく露天風呂に向かう人が見えた。フードを被っていて顔は見えないが体格からして女だろう。白い浴衣にフード付きの白い上着…よほど白が好きらしい。

自分と違って音も立てずに歩く姿はどこぞの大名の娘かと思わせるが、付き人がいない所からして育ちが良いだけだろう・・・想像を巡らせているうちに女は赤い暖簾を潜ってしまった。

・・・運良く露天風呂には誰も居らず、デイダラは変化を解いた。もちろん周囲への警戒を怠ってはいない。念のためこの辺りの気配を探ってみたが、自分以外のチャクラは感じなかった。


・・・なんだったんだ、あの女・・・?


ザバリと湯に浸かって思考を巡らせる。言葉では表現出来ないような違和感…自分で言うのも何だが勘は良い方だ。現に危機を察する天性の嗅覚ともいえるコレには何度も救われた。

あの女の何処に違和感を感じるのか…フード?そんな物じゃなく根本的な何か、だ。見た目的な物じゃなくて…何だ?

「…う〜ん」

・・・ぐるぐると疑問が渦巻いて気持ち悪い。あの女のせいでせっかくの温泉が台無しだ…次に会ったら起爆粘土で芸術的に殺してやろうと勝手に思っていると、高い竹垣の向こうからカコンと桶の澄んだ音が聞こえた。


――――あの白いフードの女か


ふと、疑問が浮かんだ。さっき変化を解くとき、辺りの気配を探った筈だ。勿論、男湯だけでなく女湯も含めた辺り一帯を・・・なのに感知できなかった、気配を完全に絶たれていたから。


――――そうか、あの違和感は…


視覚では捉えているのに全く感じられない幽霊のような存在。気付かずとも本能が察知したのだ…異常だ、と。恐らくかなり腕の立つくのいちだ。隠れ里のない波の国に…何故?

「!!」

一瞬で全てピースが埋まった。今、波の国にいる腕の立つくのいち。しかも変化をせず顔を隠している…そんなの1人しかいない。音もなく浴衣を着て部屋に戻った。

「見つけたぞ…うん」

怪訝そうな相方を見下ろして、デイダラは思わず口角を吊り上げた。





―――――気付かれたか?


ポタリと髪から落ちた水滴が湯に波紋を作る。水面から見返す女の瞳は酷く冷たい青・・・瞬きする間に白い外套を纏った人物は霧で滲んだ外へと溶け込んだ。





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