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新たな人事を知ったその日から三日間、なまえは熱を出して寝込んでいた。興奮と緊張で頭がおかしくなりそうだったが、バランスの崩した心はカミツレの香り袋を鼻に押し当てると棘をひそめて落ち着いてくれた。
しかし熱が引いても、頭はぼんやりと冴えないままどこか夢見心地でもあった。

(平子隊長が生きていた……?でも、どうして誰も教えてくれなかったの…)

ふと京楽の顔が思い浮かぶ。どうして黙っていたのだろう………。
誰よりも顔を見にいきたかったが、百年の空白と立場の違いを考えると容易に行動できなかった。
無理もない話で、いざ顔を合わせて「誰やっけ?」なんて言われた日には立ち直れそうもない。同姓同名の別人だと思い込みたいのに「新しい五番隊の隊長見た?金髪やばいね」「三番隊の隊長、絶対ナルシストじゃん」「九番隊の隊長怖いね」なんて話が向こうからくるのでどうにもできず、酸っぱい葡萄にも手を伸ばしたくてたまらない。仕事も手につかず、こんなときに限って京楽は忙しいらしく隊舎を空けている。もう、お手上げだった。
そんなときだ。一番隊の浦が八番隊詰所までやってきた。


「みょうじ」
「あ、浦くん。どうしたの?誰かに用事?」
「来い」
「どこに?待って待って、まだ申請書確認してないの」
「どうせお前のミスを他の奴が尻拭いする羽目になるだろ。二度手間だ。後にしろ」
「は?」
「お前のゴミのような体たらくは一番隊まで届いているぞ。仕事が手につかないなら早く確認してこい」
「な、なにを?」
「おい、こいつを少し借りる。どうせ役立たずだ、いなくても問題ないだろ」
「ちょっと待ってよ!う、浦くんっ」


声をかけられた後輩は、はいともいいえとも言えず口ごもってしまい、結局なまえは浦に首根っこを掴まれて行ってしまった。


「先輩、みょうじさんが攫われました!」
「なに!?誰にだ!?」
「な、なんか一番隊の怖い人に!」
「うーん…まあみょうじならいいか。重要なのはあいつじゃなくてあいつの印鑑だ」
「黙って印鑑押していいんですか…?」
「誰が押すかは問題じゃないぞ。押してあることが重要なんだ」


+++


ずんずん進む浦の足がどこへ向かっているのか、当たりはついていた。なまえが一番行きたくないところだ。大騒ぎしても浦は顔色ひとつ変えない。
とうとう五番隊隊舎が目前に迫り、「お腹痛いから明日にして」と叫んだがそれで止まってくれるような男ではなかった。


「着いたぞ」
「し、執務室って…面会のお願いもしてないのにむりだよ」
「さっさと行ってこい」
「い、いい。きっと覚えてないと思うし。生きていたならそれでいいの」
「馬鹿か?それでいいと思ってないからミスが増えるんだ。迷惑なんだよ、早く行ってこい」
「うるさいなあ…明日にするよ」
「お前の明日っていつだ」
「明日は明日だよ」
「なんだ、百年あれだけウジウジしておいていざという時は逃げるのか。俺はお前のような煮え切らんグズを見ると吐き気がするんだ」
「じゃあ吐けば」
「処理しろよ」
「馬鹿言わないで…わー!!吐くな吐くな吐くな!!」
「あ、あのー…少しお静かに……」


これだけ騒げば中まで当然聞こえているようで、苦笑いの雛森が顔を出し、静かにとジェスチャーを告げる。


「ひ、雛森副隊長…!申し訳ありませんっ、浦くん出したもの飲んで」


なまえは真っ青な顔で言う。そのときだ。


「桃。ええから中入れたり」
「え?ですが…」
「構めへん。よォ知った顔や」


部屋から出てきた新鮮な霊圧を感じ、なまえの胸にじわじわと熱いものが広がった。
美しい金髪が揺れる。
覚えているよりもずっと短く、肩の辺りで切り揃えられた髪が。
懐かしい匂いを伴って待ち望んだ姿が歩み寄る。なまえは吸った息をどうしたらいいか分からず、瞬きも忘れてその姿に見入っていた。思い出が輪郭をもつ。夢だろうか、と、目頭がかっと熱くなる。
意地悪そうな細い目がにやりと笑い、中へ入るよう顎をしゃくった。


「久しぶりやのォなまえ。そっちの浦クンも、逃げんとけよ」



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