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夏の終わり、まだ新人たちが広大な瀞霊廷の配置を覚え切れていない頃。なまえは直属の先輩と共に他隊の隊舎をひとつひとつ回って地図を頭に叩き込んでいた。


『瀞霊廷は広いからよく行く場所から覚えようね。新人の頃は一番隊舎によく集まるから、今日はそこまで行ってみようか』
『はい!』


一番隊舎の『一』の字が見え始めたところで、あたりが急に騒がしくなった。どうやら流魂街のあちこにで急な虚の出現があったらしく、先輩にも招集がかけられてしまった。


『ごめんね、行かないと…。五番隊は西のほうだから分かるよね?本当にごめんなさいね』
『あ、はいっ…あの、気をつけて』


今でも虚と聞けばトキの影が頭によぎってしまう。
不安を振り払うように西へ向かおうとするが、そもそもここがどこなのか、西がどこなのか、なまえにはわからない。先輩たちが慌ただしい様子で走り回る中をぼんやり歩くのも悪い気がして、ぴったり壁に寄り添いどこに続くのかも分からないまま進む。霊覚が鋭ければ知り合いの方へ向かえばいいのだが、まだそんな高等技術を持ち合わせてはいなかった。


『迷子かい?きみ、新人の子かな?』


泣きそうななまえに誰かが声をかけた。神の導きだと思い振り返ると、煌びやかな着物を肩にかけた大男が顔を覗き込んでくるではないか。平子とは一味違う大人の男は、眠たげな瞳をにっこりとさせている。

(お酒くさっ!!なにこのひと、こんな昼間から…だめな方の大人だ!!)

口が裂けてもそう言えないのは、桃色の着物の下に白い羽織が見えたからだ。平子と関わることすらないのに他隊の隊長と顔を合わせる機会はゼロに近いため、なまえにはこの酒くさい男が誰なのか分からなかった。
太い腕をゆるりと組んだ男はなまえに畳み掛けた。


『大丈夫かい?誰か一緒じゃないの?』
『あ………ひぇ…』
『んん?』
『ごっ、ご…ごば…………』
『えっ、泣いてる?』
『……ごば…ご…五番隊です…』


迷子の子猫が泣き出すと男はくったりと眉を下げ、『五番隊かぁ、ちょっと遠いね』と笑った。見た目の割にずいぶん柔らかく笑うものだと、なまえは意外に思った。


『なんだってこんなとこにいるんだい?』
『先輩に案内してもらってて、でももう行っちゃって、私、どこいっていいかわからなくて………』
『そりゃあ不運だったねえ。おいで、近くまで送るよ』
『あっ、あの、……ありがとうございますっ…』


エキゾチックな顔立ちの色男は深い声を和らげてなまえに視線を合わせてくれた。隊長格には怖い人が多いと思っていたなまえにはまたもや意外で(後からこの男はとんでもない女好きだったと知り、なーんだと拍子抜けした)、平子の他にも親身になってくれる隊長もいるのだと感動したのが今でも忘れられない。
男は今来た道とは真逆の方向に進んだ。改めて西の方角を知り、なまえはひとり、無知な自分が恥ずかしくなって頬を赤らめる。京楽はといえば初々しい新人の女が可愛くて仕方がないといった様子だ。
わざとらしく歩調を緩めて手でも繋ごうかなぁなんて考えていた時、角を曲がったところで姿勢の悪い金のおかっぱ頭が現れた。
京楽が片手を上げる。
なまえはほっとした様子で声を張り上げた。


『ひ、ひ、平子隊長っ!!』
『なまえ?何しとんねんこないなトコで……。すんません京楽サン、うちのが面倒を』
『いやいや、そんなんじゃないよ。迷っちゃったんだよね?』
『は、はい……すみません…』
『迷ったぁ?しゃあないのォ……。ちょうど隊首会終わったとこやから一緒戻ろか。惣右介もあの辺おるやろ。行くで』
『はいっ。あ、…あの、お名前………』
『八番隊隊長、京楽春水でーす。よろしくね♥』
『アホ、ジブンから先に名乗らんかい』
『は、はいっ。五番隊のみょうじなまえですっ』
『なまえちゃんっていうんだ。かーわいいねぇ』
『え、えへへ………?』
『近寄らんときやあ。腐るで』
『く、腐らないよっ!?勘弁してよリサちゃあん…………』


でれでれと目尻を下げる京楽にどう接したらいいか分からず戸惑っていると、平子の後ろから八番隊副隊長の矢胴丸がひょっこり顔を現した。
隊長格三人分の濃厚な霊圧に囲まれてしまい、みぞおちから縮み上がるような恐怖が込み上げてくる。三人ともそんなつもりは毛頭ないのだが、入隊したてで経験の浅いなまえにとってこの場は逃げ出したくなるほど苦痛だった。
色を無くした新人に最初に気づいた京楽が、心配そうに背中を支える。色男の視野は誰よりも広かった。


『大丈夫かい、なまえちゃん。顔色が良くないね』
『酒臭いおっさんのせいやろ。シンジ、さっさと連れていきやあ』
『すまんすまん。行くで』
『す、すみません………』


これが京楽となまえの初対面だった。
しかしこの時はまだ、二人とも今のような関係になるとは夢にも思っていなかったのだ。



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