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首を長くして待ち続けたが、昼を過ぎても夕刻が迫っても待ち望んだなまえの姿は現れなかった。なにかあったのだろうかと腰を上げた瞬間、前触れもなく突然扉が大きく開かれてツバメが飛び込んできた。その右頬は赤く腫れ、口の端には血が滲んでいる。


「京楽さまっ!なまえさまが……連れていかれて、…ちゅ、中央四十六室に…!」


ぜいぜいと息を切って駆けつけたツバメは痛む頬をそのまま支離滅裂に話し始めた。
整理すると、三十分ほど前、なまえとツバメが夕飯の支度を整えている最中、屋敷の主人である京楽に反逆の疑いがかけられているとある書状を掲げた四十六室の使いが列をなしてやって来たという。

『待ってください、何かの間違いです!次郎さまに反逆の意志なんてありませんっ、話を聞いてください!』

抗議の声を表す少女を顔色ひとつ変えず殴りつけた男たちは、淡々と畳をめくったり押入をひっくりかえしたり、箪笥の抽斗の裏まで手を突っ込んでひたすら何かを探してたらしい。結局なにも見つけられなかったらしく、最後になまえの腕を捻り上げて『事情聴取に応じろ』と強制的に連行したという。

『大丈夫だから。ツバメ、そんな顔しないで、大丈夫よ』

これから何が起きるのか全く想像もつかない場所へ連れて行かれるというのに自分のことばかりを心配するので、ツバメは自分が不甲斐なかった。少女は京楽に泣きつく以外どうしたらいいか分からず、礼儀を欠いた言動を謝りながらもなまえを助けてほしいと懇願した。

(遅かったか。まさかなまえの方へ行くとは)

何も知らないまま連行されていったなまえの心情を思うと気の毒でならない。これはあまりに横暴だ。すぐ動こうと、隊舎から四十六室へ向かおうとしたそのとき。


「失礼する。四十六室からの通達を持ってきた」


眩しい夕陽が差し込む入り口に男の輪郭が浮き上がる。九十九ヶ原狂介だ。特権階級として特例で許可された帯刀姿を、京楽の隻眼が強く見据えた。そこに動揺は見られず、ツバメだけがハッと息を呑む。


「……九十九ヶ原…狂介さま………」
「突っ立ってないで入っといでよ、狂介くん」
「結構。一応説明しておきますが、あなたには反逆の疑いがかかっています。なまえはその事情聴取のため連行されたというわけです」
「ご苦労なことだね。それで関係ないってのにわざわざお使いに?どうしたの、他人に取り入るのは苦手だったろ」
「なに、ただの興味ですよ。例の神器が見つかったときのあなたの顔が見たくなりましてね」


例の神器、と誇張したが、京楽の顔色は一切変わらない。


「好奇心旺盛なことだねえ。じゃあボクはお偉いさんに用があるから失礼するよ」
「なまえには会えませんよ。あいつは暫く出られない。あなたの隠し事を知ってるいるのですから」
「あの子は何も知らないよ」
「……呆れたな。本当に何も知らないのだな。・・・・・・・・・・・まあいい、すぐ思い知ることになる。これはなまえを蔑ろにしてきた罰だ」
「っ…蔑ろなんて!ち、違います、九十九ヶ原さま!そ、そんなことっ…お二人は愛し合っていらっしゃいます!」
「愛だと?一番近くにいたお前がそんなことだからあいつは.……」


二人は絆で結ばれていると信じる侍女の存在は相当憎いのか、それまで静かだった狂介の顔つきがガラリと一変する。刀の柄を掴み、今にもこちらへ斬りかかる勢いだ。
しかし、部屋の主人がその横暴を許すはずもなかった。
彼が一歩踏み出した瞬間、隊首室の温度が急激に下がって狂介の体が青褪める。霊王宮での戦闘を経験した者がいたら、京楽が卍解を解放したと錯覚したかもしれない。そんな玩具で思い上がって、安いことだ。お遊びで握る刀ほど浅いものはない。多くの戦場を生き抜いてきた本物の殺意の片鱗は、内臓がひっくり返るほど冷たく、恐ろしく、吐き気を催した。奥歯を噛み締めて耐えるプライドの高い男を冷笑し、渋い声が嘲笑う。


「なまえはボクの妻で、君はただの部外者だ。余計な詮索は火傷のもとだよ」
「………気楽なことだ…なまえはあなたの命を握っているというのに」
「ひとつ、言っておこうか。あの子が何を知っていても知らなくても、ボクの不利になるような女じゃない。彼女を甘く見ないことだ。さあ、お使いは済んだろ。もうお帰りください、九十九ヶ原狂介殿」
「………なまえの審問が終われば次はあなただ。せいぜい震えて待つがいい、京楽春水」


吐き捨てるように告げた狂介の背中を眺め、京楽は「参ったね、人の嫁さんを呼び捨てるなんて」と、軽い調子で笑うが、その目の奥は穏やかではない。初めて彼の怒りを見た気がして、ツバメはぐっと唾を飲み込んだ。


「大丈夫かい?ツバメちゃん」
「………ごめんなさい…わたしやっぱり、あの方、苦手です…こわくて…」
「悪い子じゃあないんだ。良くも悪くもただ真っ直ぐなだけさ」
「なまえさま、大丈夫ですよね?」
「今日はもうお帰り。そのうちなまえを連れて帰るよ。あの子は花が好きだから綺麗に生けておいてくれるかい。明るい色の花を頼むよ」
「……はい」


日が沈み、瀞霊廷に夜が訪れる。いつのまにか高く登った月が注ぐ仄かな明かりが、ツバメの涙をきらめかせていた。



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