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───こんな男だっただろうか?

平子真子は考える。

十二年前に起きた滅却師との戦争の際、自分が見た京楽の顔はもっと澄んでいたはずだった。一時的とはいえ藍染の封を解いたときも親衛隊の追手を引き受けたときも異を唱えることなく従ったのは、京楽が情に振り回されることなく冷静に事を見極められる男だと信用してのことだった。

『行ったらんでエエんです?』

例の影によって瀞霊廷全土が覆われたあの時、平子は真っ先に京楽の妻の安否を口にした。
総隊長たる男が家庭のために戦場を空けるなど到底許されたことではないが、ふたりの関係を知る平子は尋ねずにはいられない。返事は予想通りのシビアなもので、まあ確かにそうだろうと納得はしたが、それでも夫を待つ彼女の心情を思うと気掛かりでならなかった。

『大丈夫、あの子はしっかりしてるから』
『こんな状況でもしっかりできるんかいな』
『なに、全部終わったら謝るさ。きっと怒られちゃうんだろうねえ』
『ええこっちゃ』
『ちょっとちょっと、平子隊長も一緒に怒られてくれよ』
『イヤですゥ。奥サン怒ると怖いやんけ』
『ボクひとりで怒られろって?そりゃないよ』

どことなく嬉しそうに言うので、なんだ惚気かと笑い飛ばしたのが懐かしい。
あれから十二年。
体調を崩した妻の看病から戻ってきた男は、見ていられないほど物憂げな色気を醸し出していた。
しっとりとした得体の知れない艶かしさを全身に纏い、しかしいつも通りの緩い態度で「長く留守にして悪かったね」と隊首会を執り行った。砕蜂は怠慢だと舌打ちをしたが、矢胴丸と平子は押し黙ったまま俯いている(最近の京楽の様子は若い死神たちに刺激が強すぎるようで、「京楽総隊長、雰囲気変わったね」と隊内で持ちきりになっていた。京楽自身は、少女らに避けられていると少々落ち込んでいるらしい。)

京楽は隊首会を終えて隊舎へ戻ろうとする平子を呼び止めた。


「妻に会いに来てくれたそうだね」
「勝手にスンマセン」
「いや、いいんだよ。あの子も喜んでいたさ」
「入るのに苦労しましたわ」


全く触れないというのもおかしな話なので、平子は慎重に言葉を選んだ。京楽の表情は変わらないまま、「でも入れたろう」と続く。


「なにかと物騒だからねえ。ボクも過保護になっちゃうの」
「はあ………」


あの結界を過保護で片付けられると、それ以上言及するのは憚られた。
まるで関わってくれるなと言っているようだ。こんな男だっただろうかと、妙な疑念が胸につかえる。


「春ンなると」
「うん?」
「しますやろ、花見。あいつも呼んだってください。記念祭ンとき以来隊員らからあの別嬪さん誰やって聞かれてばっかりですわ」
「どうだろうね。あの子は賑やかな場所が苦手だから」


白々しい。言いたいことを奥歯で噛み殺し、そうですかァと当たり障りのない返事で留めておいた。
過保護、独占欲、執着心、所有欲………そういったものに分類するには、少々度が過ぎているように思えてならなかった。おそらく二人とも幸福の絶頂にいるのは間違いないが、しかしそれでも平子は心を悩ませていた。

(ホンマにこれでええんか?放っといたらええんやろうけど、なんか気持ち悪いのォ)

青白く細い足首が脳裏に焼き付いている。
うっとりと腹を撫でる姿も忘れられない。
幸せそうなはずなのに平子が不安に思うのは、恍惚の表情で笑う姿からどこか諦めのようなものを感じ取ってしまったからだ。
この男はどう上書きしたのだろう。
あの女の不安や恐怖を、どうやって。
拭いきれない不信感が募るばかりで、平子の眉間に皺が寄る。二人が納得しているならいいはずなのに、どうしてこんなに不安なのだろうか。


「京楽サン。次はローズも一緒に邪魔してええですか」


返事は分かっていた。京楽はやっぱり、「勘弁してよ」と苦笑いで返した。


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