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今夜はしんしんと降り積もる雪が障子の向こうに影を作っている。珍しく邸宅で夜を過ごす春水さんは、機嫌良さげに酒器を掲げてみせた。


「こっち来てよ。今日は二人で雪見酒といこうじゃない」
「おうちにいていいの?」
「いいのいいの。今日ぐらいは君を堪能させてくれ」


たった一言でそっぽを向いて拗ねていた心が機嫌を直してしまうのだから私は単純だし、彼は私の扱い方をよく知っている。お言葉に甘えて、春水さんの胡座の中におさまり、勧められたお酒を飲むと、喉から腹にかけて線を引くように熱を帯びた。


「もう10年か。過ぎてみれば早いもんだねェ」
「ん、そうね。傷の調子はどうですか」
「ときどき痛むぐらいさ。でも大丈夫」
「春水さんが無事で本当によかった」
「君を残して死ねるもんか。… なまえは此処でひとり、寂しくないかい」
「え?平気ですよ。時々さみしいけど、でもこうやって春水さんと一緒にいられますし」
「子供でもいたらとか思わない?」
「な、なに?こども?」


あまりに予想外な質問だったからつい声が上擦り、うまく返せなかった。全くの予想外とまではいかないが、私たち夫婦が上手く逸れてきた話題を今出されると、正直、困ってしまう。
聞いたくせに、春水さんは外に視線を投げたまま黙っていた。なにか、言わなければ。そう思えば思うほど、喉の奥にひっかかった何かが、私を黙らせる。でもなにを言ったらいいんだろう。何を言えば正解なんだろう。欲しいと言えば喜んでくれる?ずっと一緒にいてくれる?
黙り込んでいると、彼は猪口の中身をく、っと一気に飲み干し、耐え切れないといったように噴き出した。


「ごめんごめん、急だったね。君がいいなって思うまで待つよ」
「やだ、冗談だったの?」
「冗談じゃないけどさ、こういうのは気持ちを揃えなきゃね」
「…私、…い、いまはまだ春水さんとふたりきりがいいな」
「そんじゃ、かわいい奥さんに独り占めしてもらうとするよ」


機嫌を損ねてしまったかと心配になったが、彼はけろりとしている。春水さんとの子供が欲しくないわけじゃないし、この単調な生活が変わってしまうことも嫌じゃない。むしろ子供という特別な宝物が春水さんとこの屋敷を強く結びつけてくれるだろう。
即答できなかったのは、不満に満ちた私生活を変えるために子供を望むなどあっていいはずがないと、心が叫んだせいだ。母になる資格は、今の私にはないのだ。私を置いて言ってしまうあなたの後ろ姿を憎み、帰ってきたら帰ってきたで媚びを売る女が宝物を授かっていいはずがない。


「…ねえ、今日は一緒に寝てくれますか?」
「当然でしょ。夫婦なんだし」


夫の機嫌を取る癖が出た。私は自分のこういうところが本当に嫌いだ。

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