隊長命令
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第六話



「面と向かって溜息たァいい度胸じゃねえか」

 しまった、と思った。珍しく隊首室に缶詰めで、ひたすら書類に隊首印を押していた更木隊長が僅かに霊圧をあげた。

 近付かない方がいいと言われてからここ数日、一角が仕切る修練場にはおいそれと顔を出せなくなってしまった。おのずと執務室で過ごす時間が多くなって、恋次をからかうのはもう飽きたし、なにしろ邪魔をすれば弓親に叱られるから、大人しく筆を握るしかなかった。誤字、脱字、未提出、二度手間三度手間のかかる書類整理は一向に終わらない。
 その中でも無理やり区切りを付けて、それなりの重さになった仕事の成果を隊首室まで運んできた。もはや、この書類の山をあたしに押し付けることこそがあのツルピカの魂胆だったんじゃないかと、まんまとしてやられたと思ったらつい溜息が出てしまった。

「言いてえことがあるなら訊いてやるから表へ出ろ」
『言いたいことなんて、何にも無いですよ』
「だったら何だ、今のは」
『ただなんとなく、憂鬱なだけです』
「痴話喧嘩でもしたのか、一角と」

 痴話喧嘩では無いと声を大にして言いたかったけれど、一角のせいでは無いとも言い切れなくて口を噤む。それに今さら何を言おうとも、隊長の大きな掌にはもう隊首印の代わりに斬魄刀が握られている。
 隊長は溜め息一つで本気で怒る程、器の小さな人ではないし、無礼を咎める程お堅い頭でももちろん無い。それでもしまった、と思ったのは口実を与えてしまったと思ったからだ。書類仕事なんかで溜まりに溜まったストレスの発散をおっ始める為の口実を。

『お手柔らかにお願いします』
「聞こえねえなァ!!」

 仕方なく中庭に出て、挨拶もそこそこに踏み込んだら目の前を切っ先が掠めた。とりあえず木刀にかえてもらって正解だったと思ったのも束の間、側にあった灯籠が粉々に砕ける。ちょろちょろすんな、と言われてもこんなものをまともに受ける馬鹿はいないと思う。
 
「俺ァ一角みてえに優しかねえぞ」
『………どいつもこいつも』
「アァ?」
『縛道の四「這縄」!』
「ッ!?……てめえ」
『隊長こういうの大嫌いですよね。いつもより多目に巻いておりまっす』

 間合いを取ろうが様子を見ようが、時間をかけたところで隊長に隙なんて出来る訳が無いし、ならば隙を作るしかない、と放った鬼道は功を奏した。あとは肩にでも一太刀入れられれば、この一方的な八つ当たりから解放される。
 そもそもこんな低級鬼道に隊長がまんまと嵌ってくれたのは、まさかあたしが鬼道まで使うとは思いもしていなかったからだろうし、そしてあたしも、隊長がここまで本気を出すなんて思いもしていなかった。

「よっぽど死にてえらしいなァ!!!」
『隊長!?嘘でしょ…………!?』

 木刀が隊長の肩を捉える寸前に、跳ね上がった隊長の霊圧で鬼道諸共吹き飛ばされる。目前で跳ね上がる霊圧を防ぐことにばかりに気をとられていたせいで、すぐに後頭部と背中に走る衝撃をまともに受けてしまった。
 隊長の体のどこにでも木刀が触れられればあたしの勝ちで、何でもありだって言ったのは隊長なのに。薄れゆく意識の中、ただでさえ機嫌のよろしくない隊長を煽る様なまねをしてしまったことを心底後悔した。

*

『近付かない方がいいんじゃなかったの』
「隊長命令だ。仕方ねえ」

 どうやら気を失っていたあたしは、気が付けば一角に抱えられていて、後頭部も、首も背中もズキズキと痛む。否、全身が痛んでいる気がする。
隊長と打ち合いをすると、大抵次の日には全身筋肉痛になるのだけれど、その痛みとはまた違っていた。

「何してる」
『ん?』
「ん、じゃねえよ。何やってンだって聞いてんだ」
『いや、いいカラダしてるなぁって』
「………セクハラっつーらしいぜ、そういうの」

 死覇装ごしにでも解るぐらい頭を預けた一角の腕は逞しくて、胸筋も肩もそれから背筋も、憎らしい程にガッシリとしている。どんな風に鍛えればこんな躰になれるんだろうか、と考えていたら、つい、確かめる様に触れてしまった。

「つか、気が付いたんなら自分で歩け」
『い゛っ』

 乱暴に降ろされて、着地したはずの足に力が入らない。尻もちをついたのと同時に身体の真ん中あたりを激痛が走る。踵を返した一角の死覇装の足元を辛うじて掴めば、怪訝な表情で見下ろされた。

『無理、これ、無理』
「何が」
『立てない』
「ハァ?」
『力、入んない』
 
 盛大な溜め息を吐いた一角に再び抱えられて、救護室という名の、申し訳程度の薬品しか置いていないただの八畳間に運ばれた。体勢を整えようと少し抱え直されただけで激痛が走る。痛い痛いと訴えれば、情けねえな、と呆れた声が降った。

『ゆっくり……!ゆっくり、お願いします』
「へいへい」

 いつからか敷いたままの薄布団の上に降ろされて、一角は湿布湿布、なんて呟きながら、薬品や包帯が入った小棚の引き出しを開け閉めしている。ぶっきらぼうな優しさが心地良い。それと同時にどうしようもなく泣きたくなるのはなぜか。天井の木目に意識を凝らして何も考えないようにした。

「ほら、これでも貼っとけ………って、泣く程痛ェのかよ」
『優しくしないでよ』
「オメーな、」
『近付くなって言ったの一角でしょう』
「……面倒くせえ野郎だな」

 呆れた様に言われて、その通りだと思う。もやもやとよく解らない感情が胸の内に渦巻いている。
 一瞬も気の抜けない隊長との打ち合いは、いつも体がぼろぼろになるけれど、ビリビリと命のやり取りに触れる感覚は嫌いじゃなかった。隊長から一本も取れないなんていつものことなのに、今日は一段と不甲斐なさが身に沁みて胸が苦しい。

『あたしなんか、居ない方がいいんでしょう』
「ハァ?」
『何でこんなやつが十一番隊に、って思ってんでしょう』
「莫迦なこと言ってンじゃねえよ」

 呆れ返った声色のくせに、腕に湿布を押し当ててくるその力加減はひどく優しい。湿布に触れてひんやりとするはずの腕が、一角によって握り込まれた腕が、熱くなった様な気がして、あたしはあたしがよく解らない。眉間の奥が痛くなってきたと思ったら、ふいにまた優しい感触が頭の上を滑った。

『だって一角が近付くなって言ったぁ』
「!?おま、勘弁しろよ……」

 小さい子どもが駄々をこねるみたいで、みっともないことをしている自覚はあった。辛うじて動く右袖で顔を隠したけれど、それでも溢れる涙は止まらなくてもう半ばヤケクソだった。

「俺ァ別に近付くなとは言ってねえ。近付かねえ方がよさそうだとは言ったけどよ」
『一緒じゃん!もう書類整理ばっか嫌だぁ修練したいぃ』
「解った解った。だったら早く治せ」

 な、とあやす様に言われて、髪の毛をぐしゃぐしゃにされる。
 愉しむ為の戦いはやっぱり出来ないけれど、あたしだって強くありたい。そんなつもりは無かったとはいえ、知らず知らず、平穏な日常に、四席の席次の上に、あぐらをかいていたのかも知れない。

「別にお前が嫌じゃ無ェんならいい」
『何が』
「とやかく言われンだろ、俺とのこと」
『嫌に決まってんでしょ。』
「……だよな」

 とはいえ、人の噂も七十五日。このままろくに修練が出来ない日が続くことの方が問題で、耐え難かった。治ったらすぐに行くから、と宣言すれば、薄く笑って頷いた一角は腰をあげて、養生しろよ、と言い残して部屋から出て行った。
 言ってしまったらなんだか気持ちが少し軽くなって、調子づく。姿勢を変えようと試みたけれど、無理なものは無理らしい。やっぱり痛すぎる。

「椿姫ちーん!」

 呼ばれたのと同時に、くりくりした丸い瞳の桃色に覗き込まれた。小さな指で目尻の涙を拭われて、痛い?なんて副隊長が心配そうな顔をするから、大丈夫です、と笑ってみせた。

「つるりんがね、剣ちゃんにやられて動けないから湿布貼ってやれって」
『一角が?』
「うん。つるりんが貼ってあげればって言ったけど、ダメなんだって!」

 副隊長に手伝ってもらいながら何とか体勢を変えて、紐の類を緩めて背中やら腰やらを露わにした。副隊長に任せていたら出さなくていいところまで出されて、椿姫ちんのおしりー♪と楽しそうな声をあげている。

『こら!人が動けないからって』
「ぷっりぷりー!やっぱりつるりんがしてあげれば良かったのにねぇ」
『いやどう考えてもダメでしょう』
「何でー?そういう仲なのにー?」

 解っている。副隊長も見た目によらず何十年も生きていることは。それでも、こんな幼子にしか見えない女の子に、余計なことを吹き込んだのは誰だ、と心の中で責め立てずにはいられない。

『副隊長。それ絶対に外で言っちゃダメですよ』
「……?わかった!剣ちゃんにも言っとくね!」

 どこまで意味が解っているのか定かではないけれど、無邪気にその犯人を暴露した副隊長は、出来上がりー♪と満足げに声を弾ませる。

「また帰る頃に来るね!」
『ありがとうございます』

 跳ねるように副隊長が去って、再び一人きりになった。毛布を胸まで手繰り寄せて、目を瞑る。そうしたら、顔の辺りをふわりと何かが掠めた気がして、瞼を開ければ、目前に黒い影がひらめいた。

“ゆみちーがね、何かあったらこれで呼んでってー!”

 どこからか現れて鼻先に留まった地獄蝶から副隊長の声が漏れた。朝から書庫にこもったままだった弓親の計らいらしい。どうも涙腺が緩みきってしまっているようで、また目頭が熱くなる。
 何より場数を踏みたくて、ただ強くなりたいが為に入ったこの隊が、こんなにも優しい世界だなんてあの頃のあたしは知る由もなかった。
 大切なものを護る為に強くなりたいなんて気持ちが、十一番隊の矜持にそぐわないのだとしても、十一番隊の名に恥じぬよう強くありたいという気持ちだって、同じくらい今のあたしにはあるのだ。
 この先もずっと変わらないことが、少し解ったような気がした。



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