* ゼロとチャットは、神殿の陰鬱な雰囲気を吹き飛ばしながら歩を進めていた。 「おかしい、これ以上進めないや。どこかに仕掛けがあるのかなあ。先輩のチャットさーん、教えて!」 『だーかーらーっ! いちいち騒がないでよ、うるさくて集中できないわ』 「うっ。ごめん」ゼロは唇を引き結ぶ。 彼らが往く緑パイプ沿いの道は、水棲の魔物が少ない代わりに、頭をひねらないと先に進めないような仕掛けが満載されていた。さすが、海流を調整するための施設というだけはある。 目の前にある唯一の道は、勢いよく流れ出す水に遮られてしまっていた。無理に通り抜けることは不可能だろう。 唸るチャットの頭の中で、不意にポッとろうそくの灯がともる。 『わかったわ! ゼロ、ちょっと前の分かれ道のところに大きな出っ張りがあったでしょ』 「さっきの行き止まりのところだよね」 『あれが、この水流をコントロールするバルブだったのよ。ひねれば水は止まるわ』 ゼロは顔を明るくして、Uターンした。そして、渾身の力を込めて大きなバルブを回す。 手応えがあった。戻ると、見事に水流は姿を消していた。 「やったー!」 『はいはい。先に進むわよ』 ゼロとの冒険には、一人でどんどん進んでしまうリンクと違い、誰かの助言が不可欠だ。アリスもさぞ、サポートのやりがいがあるだろう。 ところがチャットは別段、アリスの立場が羨ましいとは思わなかった。不思議なことに、ゼロに対して物足りなさすら感じてしまう。チャット自身は認めたくなかったが、やはり彼女の相棒はあの少年なのだ。 扉をくぐった途端、入り口に鉄格子が降りた。 「!」 部屋に漂う嫌な空気を察知して、ゼロは反射的に身構える。強ばる腕に、驚いた。考えるよりも早く反応している。 現れたのは、ウッドフォールの神殿で苦戦を強いられた―― 『ゲッコーよ!』 再びまみえたカエルの魔物は口に手を添え、何かを呼ぶ仕草をする。 ぶよん、と鈍い音がした。巨大なゼリー状の塊が天井から降ってきて、ゲッコーを包む。呆気にとられるゼロの目の前で、勢いよく上に跳ねた。 「なっ!?」 天井に張り付いたまま、こちらににじりよってくる。上から押し潰すつもりだ! 『マッドゼリーまで味方に付けてる。捕まらないように気をつけて!』 「うひゃああっ」 まっしぐらに落ちてきたぶよぶよを避けるため、ゼロは床に身を投げ出し前転した。幸いにも直撃は免れる。 落ちた衝撃でマッドゼリーが砕け散った。矩形の部屋に散らばるゼリーの間を縫って、とにかく死角を減らそうと壁際へと走る途中。何かに足を取られてこけた。 見れば、マッドゼリーの破片に右足が埋まっていた。 「くう……っ」 踏ん張ろうと床に突いた手まで、新手のゼリーに自由を奪われてしまう。少し離れた場所で、マッドゼリーは次々と合体していた。元の大きさに戻るのは時間の問題だ。だが、もがけばもがくほど飲み込まれてしまう、この状況。非常にまずい。 『後ろから来てるわ!』焦るチャット。好機を掴んだゲッコーはすぐ近くまで迫っていた。 「ええい、ままよっ」 ゼロは決意を固めると、背負っていたミラーシールドを左手で掴み、殺気に向けて振り下ろした。 ゴンッ。 鈍い音をたてて、盾はゲッコーの脳天にめり込む。 「やったっ。名付けて『盾アタック』成功!」 ひるんだゲッコーが間合いを取る。さらにゼロは、恐ろしい表情が彫られた鏡面をそちらに向けて、威嚇した。 『……その盾の使い方、全体的に間違ってるから』 「ほんと?」 盾アタックとは、盾の角を攻撃に用いる技では断じてない。 何はともあれ、ほっとしたチャットだった。ゼロはそのままうまく盾でゼリーを押しやり、脱出を果たす。 もたもたしている間に、またゲッコーはマッドゼリーとともに天井へ上った。 「逃がすか!」 今度は落ちてくる前にしとめる。素早く氷の矢を構えて、狙うは水分だらけのマッドゼリーだ。ぎりぎりまで引き絞った弦から、一条の光のごとく矢が飛び出した。こんなに大きな標的、外す方が難しい。 凍ったゼリーは天井に張り付くことができず、床で砕けて無数のかけらになった。上空から投げ出される格好になったゲッコーに、もう防具はなかった。 やけくそのように投げてくる氷の破片をかわして、ゼロは背中の剣を抜く。ウッドフォールの神殿では反則勝ちになったが、今度こそ。 「はっ!」 一閃。金色の軌跡が瞼の裏に残るような斬撃だった。十分な筋力に裏打ちされた一太刀は、子供のリンクには繰り出せないだろう。チャットは戦闘面におけるゼロの評価を、少し改めた。 真っ二つにされたゲッコーは、煙とともにただのカエルに戻った。チャットは拍子抜けする。 『あら。正体はこんなのなんだ』 「魔法で魔物にされてたんだって」勢い余って完膚無きまでに叩きのめしてしまったが、この場合は結果オーライだった。 (そういえば。このカエルをウッドフォールのもう一匹に会わせれば、いいことがあるんだっけ) 沼の大妖精の懐かしい言葉を思い出す。が、今はそんな悠長なことをしている場合ではない。 ←*|#→ (88/132) ←戻る |