月と星






 一方、リンクとアリスは激しい水流を何とか乗り越えて、細い足場の上を移動していた。壁には赤のパイプが走っている。チャットの読みは当たっていたのだ。
 重い沈黙が神殿の中を支配していた。聞こえてくるのは、水車が回る規則的な音と、水滴が弾ける音だけだ。
 リンクはちらりと妖精に目をやる。

「羽、濡れてるだろ。辛くないか」
『大丈夫です。お気遣いなく』

 間。

「空きビンがあれば、水中でも空気を確保できるのに」
『それだけはやめてください』

 アリスの光がますます青ざめた。ビン詰めの苦しさは嫌と言うほど味わったのだ。
 途切れた会話は、復活する兆しがない。

 扉を開くと、部屋の中に巣くっていた複数体のチュチュを、リンクは手際よく倒していく。
 ゾーラ族の勇者の血を引くというミカウの体は、ミュージシャンとは思えないほど鍛え抜かれており、徒手空拳でも十分戦えた。わざわざ仮面をはずす必要はないだろう。
 リンクはやっと質問を思いつき、背中を追ってくるアリスに投げかけた。

「何故ゼロと旅しているのか、訊いてもいいか」

 アリスはゆったりと羽ばたいた。説明の切り口を探しているようだった。

『……私たちは二人とも、記憶喪失だったんです』

 さざ波のように語り始める。

『記憶が絶たれていることに気がついた、あの日から三日間。私はずっと、クロックタウンのマニ屋で、ビンの中に閉じこめられていました』

 妖精は息苦しさと、行き場のない焦りを思い出した。

『とても長い時間でした。時が巻き戻された時は、これからあの檻の中で暮らすんだ、と思いました。
 でも……そんなとき、ゼロさんが助けて出してくれたんです。あの時のことは、忘れられません』

 その声は日だまりのようにあたたかかった。彼女がゼロに寄せる、絶対的な信頼。それは出会いの時点から築かれていたのだ。

「そうか」

 リンクは言葉をじわりと噛みしめた。
 思いも寄らなかった「記憶喪失」というキーワードに、納得がいく。月が落ちてくる、時間が巻き戻るといった非常識な事態に遭遇してる割に、ゼロが能天気に見えたのはそういうわけだったのか。

「どうして時間を繰り返しても記憶を保っていられるのか、分かるか」
『いいえ……』

 声が引き沈黙が戻る。舞い戻った静けさはしかし、人肌と同じぬくもりがあった。

 迷わずアリスを助けたのは、ゼロもまた記憶喪失だったからだろう、とリンクは考える。
 他人に親切を施し、感謝される。知らない人物と会話を交わす。そうした何気ない出来事の積み重ねこそが、記憶を持たない自分を形作っていく、唯一のものだから。


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