月と星



 ゼロは、アベールが何度も出入りした鉄の扉をノックして、開けた。ぶわっと勢いよく潮風が吹き込んでくる。扉の向こうは、海に面したベランダだったのだ。日の当たる場所に置かれたプランターには、よく手入れされた色とりどりの花が咲き乱れている。

(お花? なんでこんなところに)

 不可解に感じながら、アベールを見つけ出した。彼女は赤い髪を振り乱してうずくまっている。

「大丈夫ですか?」
「あ、ああ……」

 あちこち蜂に刺されてしまった女海賊が、ゼロに肩を貸してもらって、悪趣味なイスに返り咲いた。蜂の巣落としは、リンクを助けるためとっさに起こした行動だったのだが、結果を目の当たりにすると、能天気な彼にもさすがに罪悪感が沸く。

 幸いにもアベールの命に別状はなかった。ついでに蜂に襲われたショックで、当のゼロ本人が蜂をけしかけたことは、綺麗サッパリ記憶から払拭されているらしい。介抱してくれる彼をすんなり信頼したようだ。

「助かるよ。ついでに悪いんだけど、赤いクスリを取ってくれないか。そこの棚に入ってるから。
 ――あんたは、ポストマンかい?」
「そうです」

 相も変わらずこの肩書きは有効だった。まるで、頭上に見えないポストハットが存在するかのような変わり身に、ゼロは内心戸惑っていた。

 クスリを飲んだアベールが、プハッと赤い呼気を宙に散らす。と、ちょうどその時何かを視界に認めた。部屋の隅に佇む少年を発見したのだった。

「げっ。さっきの侵入者!」

 不穏な雰囲気を察知したゼロが、即座に口からでまかせを吐いた。

「この子、オレの仕事を手伝ってもらっているんです。バイトだから帽子がなくて、わかりにくかったですよね。ご迷惑をおかけしました」

 アベールは不審そうにリンクを見やる。目があった途端、少年が躊躇なく背中の剣を抜いたことを思い出したのだろう。
 話を合わせるべく、彼も「すみませんでした」と棒読みしながら腰を折った。

 ゼロは冷や汗をかきかき、アベールの視界にさっと割り入る。

「それで、本題です。タマゴのことなんですけど、オレたちが探してきましょうか?」
「へっ」

 青天の霹靂、寝耳に水といったような、間の抜けた表情を浮かべるアベール。親分を崇拝しているであろう下っ端たちがこの顔を見れば、どう思うのだろう。

「この子が偶然聞いてしまったみたいで。お困りでしたら、お手伝いしますよ。
 ゲルドさんたちは、お宝が欲しいんですよね。オレたちはタマゴが必要なんです。……その、配達の関係で。お宝はいらないので」

 リンクは脱力した。なんていい加減な言いぐさなんだ。手八丁口八丁とはほど遠い。これはダメだ交渉決裂だと決めつけて、こっそりフェザーソードの柄を握る。

「ほおう、公務員が取引ってわけかい。分かった、考えよう」

 即答だった。しかも好感触である。この海賊は損得勘定がこうも下手くそで大丈夫なのか、とリンクは不安になった。見るからに怪しい男の口車に乗せられるとは――

(って、それを信用した俺も大して変わらないな)

 彼は憮然とした。

「待ってな、仲間と相談してくるから」

 アベールが勇み足で部屋から消えると、チャットが素っ頓狂な声を上げる。

『ほんとに、アッサリまとまっちゃったわ!』
『お手柄ですね、ゼロさん』アリスは労をねぎらった。
「ありがとう。リンク、これでよかったかな」
「まあ、いいんじゃないのか」

 青年の思惑通りに進んでしまったことが、なんとなく面白くない。日程的な問題が大幅に解消されたのは、喜ばしいことなのだが。

 ゼロはさして功を誇るわけでもなく、まるで見当違いの事柄に思いを馳せていた。

「ところで、あの……アベールさんだっけ? あの人が出たり入ったりしてた鉄の扉の向こうにさ」
「花壇でもあったんだろ」

 リンクはあらかじめ答えを知っていたかのようだった。

「え、なんで分かるの!?」
「こんな砦の奥深くに蜂の巣があるんだ、餌があるに決まってる。それに、穴を開けて空気を通すにも入り口が遠すぎる。この裏あたりに出口があるんだろう。地の利があるから、ここを頭領の部屋にしたのかもな」
「じゃ、どうしてあんな隠れるような真似を」
『ガーデニングなんて可愛らしい趣味、部下には内緒にしておきたかったんじゃない?』
 とチャットが推論した。

「さあな……」リンクはそれ以上答える気はないようだった。

 鋭い洞察に感心しきりのゼロが、ふと新たな案を思いつく。

「ね、今日はここに泊めてもらおうよ。リンクもお疲れだよね」
「周りは女しかいないんだが」

 冷静に指摘されると、青年は顔を赤く染めた。見えない拳に殴られたかのように、大げさによろめく。

「うぐっ。そ、そうだね。オレ、外で星見ながら寝る!」
『そんなことをしたら体調を崩してしまいますよ』
『なーにイキナリびびってんのよ、さっきまでの威勢はどこいったんだか』

 アリスにはたしなめられ、チャットにやいやい言われてよけいに混乱するゼロ。その狼狽え方は尋常ではない。
 呆れ顔のリンクは低い声で結論づけた。

「鍵のかかる部屋を案内してもらおうか」


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