月と星

4-2.四半日を追いかけて


「寝坊したあーっ!?」

 切羽詰まっているのにどこか間の抜けた悲鳴が、クロックタウンの穏やかな空気を切り裂いた。
 午後一時、お昼ご飯を食べ終わった人々が、ちょうど眠たくなる時間帯だった。動物も然り。ナベかま亭の屋根でうつらうつらしていたコッコが、叩き起こされて抗議の叫びを上げる。

 壁掛け時計を凝視し、紅茶色の瞳を目一杯に広げているのはゼロだ。ナベかま亭のいつもの部屋で目覚めた彼は、らしくもなく動揺を露わにしていた。

「あ、あっアリス!」

 枕元にいるはずの相棒がいない。
 すると、半開きになっていた扉から、晴天色に光る妖精が帰ってきた。

『ゼロさん、起きたんですね。心配しましたよ』

 あたたかい声をかけられ、やっと胸の動悸がおさまる。

「……ごめん。オレ、どうしちゃったんだろ。毎回ちゃんと十二時に起きてたのに」

 それを世間では寝坊と呼ぶ。が、アリスはあえて指摘せず、

『目覚めが、かれこれ一時間遅れてしまったのですね。私は普段通り、朝の六時に気がついたのですが』
「へえ? アリスって早起きだね」
『と、いうよりも』気まずそうに相づちを打つ。『ゼロさんだけが六時間――今日は七時間ですけど、余分に睡眠をとっているんだと思います。私が見てきた限りでは、ほとんどの方は六時から行動を開始しています。
 時の繰り返し自体は、そこから始まるのではないでしょうか?』

 六という数字がゼロの脳内をぐるぐる回った。驚愕とともに。

「う、嘘ぉ! 全然知らなかった」
『すみません、話すのが遅れてしまって。でも、お寝坊は……前回はお疲れのようでしたから、仕方ありませんよ』

 うっかり「それなら仕方ないよね」と流されかけたとき、脳裏に浮かんだのは。「前回」出会った不思議な少年・リンクの、刃物のような目線だった。知らずに背筋が伸び、新鮮な緊張感が走り抜ける。
 ゼロはかぶりを振って、怠惰な思考を追い出した。

「仕方なく、ない。リンクならきっと起きたから」あの冷めた瞳を思い出し、手のひらに視線を落とす。

 アリスのほほえみの波動が空気を揺らした。緑衣の少年と出会って、彼は少しばかり考え方が変わったようだった。

『そういえば、あのお二人はどうされているのでしょうね』

 彼女の話からすると、リンクとチャットのスタート時間も朝六時のはずだ。七時間もあれば、子供の足でもらくらく平原を越えられる。今更、ずれた時間の大きさを痛感した。

「風邪、ちゃんと治ったのかな」

 いつもなら、一分一秒でも長く外気に触れていたい! とでも言うように、目覚めるや否やベッドから飛び出してしまうゼロ。だが今は、乱れた掛け布団を直すのも忘れて、物思いに耽っている。よほど心配しているのだろう――アリスは心中を察した。

『ゼロさん……』

 大妖精を復活させる旅は、のんびりした歩みの割に順調であった。四方において、残るは東に位置する谷だけだ。不安材料といえば、町の大妖精の行方がまだ掴めていないことくらいだろう。

(だから、お二人を追いかける余裕はあるんですよ)

 アリスは、うずうずしている青年の背中をそっと押してあげた。

『探しに行きましょうか? リンクさんたちを』
「――うんっ!」

 ゼロはにっこりした。その表情を引き出したアリスまでも幸せにしてしまう、そんな笑顔だった。





「今朝、子供を見かけませんでしたか? 緑の服を着た男の子です」

 リンクよりも四分の一日ほど遅れて活動を開始したゼロは、さっそくクロックタウンの四方に開いた門を訪ね歩いた。どこを通ったかによって、リンクが目指しただいたいの方向が特定できる。目撃証言がなければ、町を探索すればいい。

「いやあ、知らないな」

 門番の返事はノーだった。これで残るは西の門だけだ。アリスに目で合図して歩き出す。
 角を曲がった矢先のことだった。

「うぎゃっ!」

 ドン、と衝撃が全身に広がった。真正面から走ってきた人にぶつかってしまったらしい。ゼロは少しふらついただけで持ち直したが、相手は尻餅をついてしまう。

(あれ。オレってこんなに運動神経良かったのかな)

 怪訝に思いながら、転んだ男の人に手を貸してやった。ノースリーブの白いシャツと、重たそうな赤いリュックのコントラストが目に焼き付く。町でたまに見かける人物だった。

「しまったのだ、午後の予定が崩れてしまうのだ」

 男は焦って何事か口走りながら、はずみで石畳に落ちた白い紙を拾い上げる。

『ゼロさん、あちらにも落とし物が』
「本当だ。あのー、これもあなたのものですよね」

 アリスに促されて、目に付いた赤い帽子を手に取れば。写し絵で焚くフラッシュのように、視界が瞬間的に無限の白色でふさがれた。


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