* ルミナは顔を上げた。コンコンと、確かにノックの音がしたのだ。おかしいな、「今まで」こんなことはなかったのに。 たまたまドアの近くにいた、ローザ姉妹の妹・マリラが応対に出た。ルミナは彼女のほっそりした背中を注視する。 「はーい。こちら、ゴーマン一座よ。何かご用かしら」 マリラはなるべく、訪問者の視野いっぱいに立ちはだかるようにしていた。一座の宿泊する大部屋は、現在散らかり放題なのだ。ゴーマントラックに避難するため、各々荷物を片づけている最中である。ちなみにルミナは疎開するつもりはないので、バレないように、右にある物を左に置き換えるだけのいい加減な整頓をしていた。 「ルミナー、お客さんよ」 マリラに手招きされる。なんだろう、と荷物を跨いで入り口へ向かった。入れ替わりでドアの向こうに頭を出し、彼女は瞠目する。 (あっ) 緑衣の少年が立っていた。知り合い、だ。ただし過去形の。「今回」は昨日の夜にすれ違っただけなのだから。 鋭い眼光に射すくめられて、ルミナは少し萎縮する。 「えっと……どうしたの」この訪問は余りに唐突だ。彼女はどう相対すべきか、態度を決めかねた。 少年――リンクの答えはシンプルだった。 「今ならミルクは品薄じゃない。シャトー・ロマーニとやらも飲めると思う」 何の話か問いただそうとした瞬間、思い当たった。「前の三日目」、ルミナはミルクバー「ラッテ」の窮状を彼に愚痴ったのだ。牧場から商品が届かず、ミルクが飲めないと。 どきん、と心臓がジャンプした。 「も、もしかして」 「ちょうど会員証とやらも手に入れたから、付き合わないこともないぞ」 この少年は、ルミナがしきりに他人を飲みに誘っていたことを示唆しているのだ。 グラスの中で濃厚なミルクが揺れる様を想像して、思わず喉が鳴った。相手のペースに乗せられている――頭ではそう理解していたのだが、いつの間にか首を縦に振っていた。 「……決まりだな」 リンクはにやりとする。一方、上手いことしてやられたルミナはクスッと笑った。年下の子供とバーに行くのだって、なかなか悪くないように思えた。ずっと無言を貫いている白い妖精もついてくるようだ。 ナベかま亭とミルクバーは、道を挟んだすぐそこだ。バーには準備中の看板が出ていたが、マスターとは知り合いというよしみがある。ルミナは遠慮なく入っていった。 「こんにちはー」 「おやルミナさん。どうしたんですか」 マスターは床の掃除をしていた。明日世界が滅びるからといって、臆病風に吹かれて店を閉めたりしないのが彼だ。ルミナは「格好いいな」と素直に思う。 「この子が来たいって言うから……」と頬をかいた。他人をさんざん誘っていたくせに、座長の醜態を見てしまってから、ここへ来るのは初めてだった。誰かを誘わないと、あの時の気持ちが蘇りそうで嫌だったのだ。 「そちらの方が?」 「『最期の日』、だからな。何か食べたいんだが、頼めないか」 とロマーニのお面を取り出してみせるリンクに、マスターは心の柔らかい部分を刺激されたらしい。 「いいですよ。軽食程度でしたら、つくります」 「シャトー・ロマーニを二つ、忘れずにね」ルミナはピースサインを送る。 しばらくして、パンの盛り合わせが差し出された。続いて緑の鮮やかなサラダ、白身魚のムニエルといった品々が驚異的なスピードで調理され、運ばれてくる。ラストを飾るのはもちろん、お待ちかねのシャトー・ロマーニ。ルミナの頬がほころんだ。 ←*|#→ (72/132) ←戻る |