3-4.歪んだ三角 「二日目の夜」。クロックタウン東に、ひときわ暗闇に沈んでいる一角があった。 親友同士の二人はいくつかの石畳を挟んで対峙する。馬車を引くロバが鼻を鳴らした。 「アンジュ……」 明らかに、クリミアはたじろいだ。瞳の奥が揺れている。 だいたいの事情を把握するゼロは、息が詰まる思いでアンジュたちを見比べた。妖精らも空気にとけ込むように光を弱める中、ただ一人、リンクだけが興味なさげに冷ややかな態度を貫いている。 アンジュが一歩、前に出る。ごく何気なく。 「久しぶりね。今日はミルクの搬入かしら」 「う、うん」ぎこちなく頷くクリミア。 儚げな笑顔をこぼすアンジュの背景に、ゼロは影を見ていた。夜闇よりもなお暗いそれを、彼女が背負っているかのようだ。 アンジュは軽く目を伏せて、ある意味で誰もが待ちかまえていた、決定的な台詞を放った。 「カーフェイ、まだ帰ってきていないの。どこにいるか知らない?」 ひゅっと息をのむ音がした。クリミアは――答えない。 (アンジュさん……) 当事者でもないのに、ゼロの心臓は傍らのアリスにも聞こえるほど、バクバク音をたてていた。 ここ数日、アンジュとはあまり立ち入った会話を交わしていなかった。「二回目の三日間」以降、彼は一ヶ月眠り続けていたわけではなく、ごく普通にナベかま亭の客として宿泊していた扱いを受けている。そのせいで話題はチェックアウトの手続きなど事務的なものにとどまり、彼女の変化に気づけなかった。 同じ三日を繰り返しているはずなのに、アンジュは変貌を遂げていた。それも、マイナスの方面に。 時の繰り返しは絶対ではないのだろうか? リンクやゼロという記憶を留めたまま巻き戻されている者が独自に行動を起こすことによって、なにかしらの変化が現れ始めているのかもしれない。 (毎回毎回、完璧に同一である三日間を繰り返しているわけじゃないのか――?) ゼロが考えに没入する一方、 「カーフェイは……あの人は」 絞り出すようなクリミアの声は、少し震えていた。 アンジュは、「婚約者がロマニー牧場にいるのではないか」と勘ぐっているのだろう。クリミアがカーフェイに懸想していたことを知っているのかもしれない。 クリミアはもちろん、根も葉もない噂だと笑い飛ばしても、失礼ではないかと怒っても構わない。しかし、二人は親友だった。それに、彼女にはアンジュの気持ちが痛いほど理解できるのだ。愛する人の無事を願う気持ちは。 ゼロがどうにかクリミアを弁護しようと口を開くが、妖精に止められる。無駄だ、とアリスは悟っていた。リンクとチャットもだんまりを決め込む。 孤立無援になってしまったクリミア。この状況を打破する方策は最早、存在しないように思われた。 「あれっクリミアだ! 久しぶり〜」 ――底抜けに明るい声が舞い込んでくるまでは。 コツ、コツ、石畳にヒールを高く鳴らし、白いスプリングコートを羽織った少女。天恵のごときタイミングでの登場は、周囲に多少の緊張を走らせた。 偶然にも、リンク・ゼロの両名は彼女に見覚えがあった。親密度に差はあったものの。 (……ルミナ)(『はじめの三日目』の女の子だ!) 少女はアンジュの前を横切り、目を丸くしているクリミアの会話相手の位置を、ごく自然に占める。 「どうしちゃったの、こんなところでー。アンジュまで揃ってさ! あ、ちょうど良かった」 くいっと、あたかも見えないグラスを呷る動作をする。「へっへー。二人とも、これから飲まない?」 形の良い唇は、綺麗な上弦の月を描いた。 横から入ってきたのに、あっと言う間にペースを持っていったルミナに対し、クリミアは毒気を抜かれた様相だ。 「ええっと、行きたい気持ちは山々だけどね。家にロマニーを留守番させてるのよ」と申し訳なさそうに手を振り、 「私は、ほら。仕事があるもの」アンジュは伏し目がちに断った。ルミナは軽く思案する。 「そっかあ、ザンネン。仕方ないよね、事情があるんだもん。じゃまた今度ーっ」 バタン! あっという間にナベかま亭のドアに駆け込んでしまう。後には、彼女が巻き起こしたつむじ風だけがかすかに残った。 「もう、何だったのかしら」 唇を突き出すクリミアは、言葉に反して小気味良さげだった。 突拍子もない乱入だったにも関わらず、ルミナはアンジュとクリミアを蝕んでいた重い空気を払拭してしまった。運んできた小さな風とともに。 「変わらないわよね、あの子」 アンジュも目を細める。久々に見た、穏やかな表情だった。 今なら、ゼロにも口を出せそうだ。話題を逸らすのが得策と判断し、 「アンジュさん。オレの泊まってた部屋、まだ空いてますよね」 「あ、はい」 ゼロは、黙りこくっていた緑衣の少年を示す。 「彼を――リンクを泊められませんか? 風邪を引いてるんです。チェックイン時間はとうに過ぎてますけど、なんとかお願いします!」 勢い良く頭を下げたゼロに、リンクが目を見開いた。それ以上の感情は表に出さなかったが。文句を言うのも面倒なのか、口を閉じて聞き過ごす。 アンジュは、気遣わしげにリンクとゼロを見比べる。カーニバルの時期に一人で町にやってきた少年。どんなシナリオが彼女の脳内に展開されたのだろう。 「そういうことでしたら構いませんよ。でも、他のお客様に風邪をうつさないようにしてくださいね」 二つ返事だった。ゼロの肩の荷が一つ降りる。 そして、もう一つの荷といえば。 『私たちは、雑貨屋さんにクスリを買いに行きますね』 頼もしき代弁者たるアリスが台詞を先取りした。その言葉を引き継いで、 「クリミアさん。いろいろと、ありがとうございました」 明日、彼女と会うことはないだろう。無論ロマニーとも。いつか再会することがあっても、そのときクリミア姉妹とは記憶を共有していない。この三日間での無数の出会いは、一期一会に等しかった。 沸き上がる寂寥感を胸の奥に押さえ込んで、ゼロは精一杯の笑顔を作った。 「ええ、ゼロくんもお元気で」 屈託なく――とは断言できないだろう、彼女の表情は。明日の夕方ごろから、彼女の経営する牧場には続々と避難者がなだれ込む。町に近づく月を眺めながら、姉妹はどんな会話を交わすのか。ゼロは唇をかんだ。 逃げるように身を翻す。目指すはクロックタウン西の雑貨屋だ。リンクにしっかりと目線を合わせ、 「絶対にクスリ、届けるからね」 少年はすれ違いざまに黙礼した。どんな言葉よりも雄弁に、感謝の気持ちが伝わってくる。ざらついた心が満たされるような気がした。 ←*|#→ (62/132) ←戻る |