月と星






「バーテンさん、ひさしぶりのミルクだから喜んでいたわ!」

 ミルクバー「ラッテ」に配達をすませ、クリミアはうきうきしていた。

 クロックタウン東門のすぐ外で。馬車の護衛をしていたリンクとゼロはほっと一息ついた。彼女の掛け値なしの笑顔は、苦労につりあうだけの価値があった。

 クリミアは二人と妖精たちをねぎらい、

「ありがとう……二人ともカッコよかったよ。これ、ビッグじゃないけれどお礼に受け取って!」

 両手に一つずつ持ったものを差し出す。ウシの頭を象った、かぶりものだった。その突飛さに、ゼロは面食らってしまう。

『刻のカーニバル用のお面かしら』

 チャットの発言からすると、お祭りと関係があるのだろうか? リンクには似合っても、ゼロがかぶるには躊躇してしまうような代物だ。

 困ったような視線を受けて、説明が入る。

「ロマーニのお面よ。会員制ミルクバーに入るには、これをかぶるの。ゼロくんはともかく、アンタはまだ子供だけど……」

 リンクに目を合わせ、クリミアは微笑んだ。

「いいことを一つするごとに、子供はオトナになっていくわ。そのお面は、かぎられたオトナのお客さまにお渡しする会員証なの。
 私はアナタたちをオトナとみとめます!」

 熱に浮かされ瞳が揺れていても、少年はしっかりとうなずいた。

 ゼロもロマーニのお面を受け取る。記憶喪失という中途半端な身分の自分が、オトナと認定された。うれしさに心が満たされていく。直後、疑問が沸き上がった。

 リンクが倒れたときは、パニックに陥って醜態を晒してしまった。夜盗退治でも、不調をおしての彼の助けがなければ、状況を打開できなかった。そんなゼロを、なぜクリミアは評価してくれたのだろうか。

 そのことに言及しようと顔を上げた瞬間、景色が真っ白に塗りつぶされた。

 朝方の、ゴーマン兄弟の覆面にふれたときの感覚がよみがえった。視覚だけが機能する、透明人間になってしまったかのような。

「**さん、お話があります」

 小さな声に呼びとめられた。ゼロは振り返る。名前は聞き取れなかったのに、「呼ばれている」と思ったのだ。

 決然とした面持ちの、朝に「出会った」あの少女が立っていた。神経質そうだった佇まいは、がらりと変わっている。

 場所はどこだろう。重厚な装飾がほどこされた壁と床がちらりと見えた。漠然と胸騒ぎを覚える。何か、重大なことが告げられようとしているのでは――

「……ゼロくん?」
『大丈夫ですか』

 瞬きする。白いもやは嘘のように晴れ渡り、心配そうなクリミアと、青く明滅するアリスが目に入った。ぼーっとしていたのがバレたらしい。二人を安心させるために苦笑いを作る。

「深刻に寝足りないのかもしれません……」

 立ったまま眠るなんて相当だ。夢と現実との境目が曖昧だったのも、考えてみればぞっとする。

 リンクが不審そうに眉を寄せた。

「おまえ、お面はどうしたんだ」

 そういえば。ゴーマン兄弟が被っていたあの覆面と同じように、手の中にあったはずのロマーニのお面は、かき消えていた。

「わ、わかんない。どうしようクリミアさん、早速なくしちゃったみたいです」

 ゼロはうろたえた。謎の幻覚を見ると、手にしたものが消滅する。この現象はどうにも不可解だった。

 首を傾げるクリミア。

「なくしたのとは違うんじゃないかしら。ほんの一瞬で消えてなくなるなんて、不思議なこともあるものね。
 そういえば、聞いたことがあるわ。お面は人を選ぶって」

 だんまりのリンクがわずかに反応した。ゼロはどきどき脈打つ心臓のあたりを押さえながら、

「人を選ぶ? 意思もないのに、ですか」
「それでも意識みたいなものはあるのよ。きっとね」

 クリミアは断言した。実感がわくような出来事でもあったのだろうか。

 もし、彼女の説が正しいならば。

「オレは、お面に選ばれなかったってことに……」
「そうなるな」
『うわーハッキリ言うわねアンタ』
「あははは」

 ショックで少し涙目になるゼロに、クリミアの罪のない笑い声が浴びせられた。お面の手持ちにストックがあるはずもなく。そのまま問題はなんとなくうやむやになる。

 吹きわたる風が身にしみた。いつしか夜は更け、ちょうど時計塔の鐘が九回鳴った。

『あの、私たちはやることがありますよね』

 アリスに小突かれて、ゼロはクロックタウンに急いでいた理由をやっと思い出した。案外リンクが元気だったので忘却の彼方に追いやられていたが、最大の目的である「風邪薬入手」は、まだ果たされていない。

「それじゃ、リンクは先にナベかま亭に行ってて。オレが昨日まで使ってた部屋が空いてるはずだから、そこで休んでよ。もちろん代金はオレ持ちで! その間に雑貨屋で薬を買ってくるからさ」
「……ああ」

 すんなり了承が返ってきた。馬車内の素振りから、駄々をこねるのではとゼロは懸念していたのだが。

 リンクはクリミアに向き直って、

「申し訳ないが、エポナ――俺の馬を牧場で預かってくれないだろうか」
「あの子馬ね。ロマニーが嬉しがって世話するわ」

 彼女はウインクして、片手でマルをつくった。

 移動手段を帰すということは、リンクはもうあちこち動き回る気はないらしい。ゼロは安堵した。

『あっ』

 アリスが何かに気づいた。東門の向こう、宵に沈んだクロックタウンを見つめる。

 リンクたちとは入れ違いで、ほっそりとした女性のシルエットが門の中に浮かび上がった。

「こんなところに馬車を止めてたら、邪魔になるわね」

 機転を利かせたクリミアが、ロバを誘導する。その動作が、つと止まった。

 彼女にとって馴染み深い人物がそこにいた。茶色の髪を肩の上で切りそろえた、ナベかま亭の看板娘。

「クリミア?」

 憂いを秘めたその目線は、立ち尽くす一人に注がれる。

「アンジュ……」

 クリミアの瞳が、影の色を宿した。

 複雑な感情の糸で編まれた三角形のうち、二つの頂点が出会ってしまった。


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