月と星






「あれ? 道が……」

 脱兎のごときスピードを維持していた馬車が、急停止した。ロマニー牧場から平原へとまっすぐ伸びているはずのミルクロードが、突如現れた柵によって通せん坊されていたのだ。

 御者台のクリミアは、密かに唇をかんだ。

「……ゼロくん、弓矢の用意をしといてね」
「はい?」

 聞き返せど、返事はなかった。

 ゼロは、毛布にくるまって横たわるリンクを見る。午前中からずっと眠ったままだ。寝不足では、というチャットの推測は当たっていたのかもしれない。

 既にとっぷりと日は暮れてしまっている。そう、あれから紆余曲折があったのだ。

 ロマニーと共に納屋へ急げば、安置されていた馬車の車輪がはずれていたり。足となるはずの馬が、どこからともなく飛来した矢によって怪我をしてしまったり。その代用としてロバを選んだはいいが、慣れない手綱をつなぐのに苦労したり。

 不測の事態は次々と襲いかかってきた。対応に追われるうちに、結局、出発時刻は予定より遅い午後七時になってしまった。

 無論、リンクの体調が回復する兆しはない。ゼロの焦りはつのるばかりだった。

 クリミアの操作によって、馬車は右に迂回した。ミルクロードにつながるもう一つの施設、ゴーマントラックへと進入していく。

「こっちを通っていくわよ」

 有無を言わせぬ口調。頷くしかない。

「ミルクロードが岩で塞がれていたことといい、ミエミエのこの遠回り……」

 彼女はため息をつく。数瞬後には、まなじりを決していた。

「いい? ゼロくん。全速でここを抜けるわ! もし、後ろから追っ手が来たらあなたの弓矢で追い払ってね。相手のねらいはおそらく荷台のミルクビンよ」

(どうして、そのようなことが分かるのでしょうか?)

 アリスは発言の裏を勘ぐった。これでは「この状況に心当たりがある」と言っているようなものだ。

 ミルクロードはそれほど――たとえばクロックタウン北のように――治安が悪くはなさそうだったのに。サコンのような、あるいはもっとたちの悪い盗賊でも頻繁に出没するのだろうか。

 一方のゼロは多少の疑念を抱きつつも、素直に承諾する。

「……分かりました。この馬車は必ず守ります」
「ありがとう! 頼りにしてるわ。無事ここを抜けたらビッグなお礼するからね!」

 ハイヤッ、とムチを一打ち、クリミアは一気にロバを加速させた。

 相乗りしているのはゼロ、アリス、リンク、チャット。ヒトとは別に、三つほどミルクの大瓶を積載している。

 馬の介抱のため、ロマニーは居残りだった。さんざん不平を爆発させてから、譲ってくれたのだ。曰く、「ゼロさんは頼りないから。ロマニーがきちんと一人でお留守番出来るところ見せてあげるよ」。彼女は、クリミアがコッコ小屋の管理人やドッグレース場のオーナーに、こっそり妹を任せたことを知らない。

 ゼロは「追っ手」を防ぐべく、馬車後部に移動した。早朝のオバケ退治を彷彿とさせる、痺れるような緊張が走り抜ける。空気は張りつめ、針で素肌をチクチク刺されているようだ。

 雨の残り香が生ぬるく頬をなでていく。弓を構え、矢をつがえた。底をついた矢の残数は、リンクから拝借したためまだまだ潤沢である。

 耳を澄ませる。ロバの馬蹄音が、一定のリズムを刻んでいた。そのうち、足並みが乱れたように聞こえ、新たに二頭分の足音が加わったことを知る。

『来ました!』

 アリスの叫びと同時に、ゼロは最初の矢を放った。ねらうは騎馬の脚だ。魔物やオバケ相手ではないのだ、なによりも無力化を優先させなければ。罪なき駒を傷つける心の痛みは、歯を食いしばって強引に押し込める。

 動揺が現れたか、疲労が響いたのか。矢ははずれてしまった。悔やむ暇もホッとする間もなく、

「ホワァーッ!」

 二人の夜盗は奇声を上げて槍を振り上げた。暗い色のものと、白っぽいものと。それぞれがかぶった覆面から、酷薄な眼光が覗いている。

 素早く金色の剣を抜き、ゼロは斬撃を跳ね返した。立て続けに二、三合打ちあう。一人目をどうにかいなし、二人目には受け流しから転じて突きを入れ、ひとまず距離をとる。

 が、相手の接近速度は予想以上だった。足の速さで馬と競うには、ロバは役者不足だ。

 刀身を盾代わりに、右から左から突きこまれる槍の軌道をそらす。波状攻撃は間隔が短く、猛攻を極めた。

 ゼロの奮闘もむなしく、夜盗との距離は縮まるばかりだった。

(このままじゃ、馬車に乗り込まれる!)

 冷たい汗が背中を流れた。


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