月と星

3-2.届かない手


 真っ先に動いたのはアリスだった。

 予想だにしなかった状況に、すっかり動転してしまったゼロに代わり、いち早く少女の元に馳せ参ずる。

『ロマニーさん、無事ですか!』

 ゼロはその一声でやっと我に返った。真夜中だというのに、あたりは薄明るい。その光源はというと。

「これは……」

 二つの目を爛々と光らせた無数の魔物が、こちらを睨んでいた。ゼロは絶句し、寒気を覚えた。

 異様に大きな頭部を持ち、体全体がぼうっと発光している。生き物らしさが感じられず、魔物よりオバケを想起させた。攻撃を仕掛けるわけでもなく、ただただ宙を滑るように近づいてくる。それが逆に恐怖をあおった。

 出し抜けに、小さな獣が咆哮した。クリミア家の飼い犬だ。ロマニーは脊髄反射で応じ、

「やあっ!」

 気合いとともに矢を射る。見事命中、オバケは奇妙な断末魔をあげて弾けた。が、新たな矢をつがえている間にも新手が迫る!

「危ない!」

 緊張の糸から解放されたゼロが、抜刀しつつ割り込んだ。袈裟掛けに剣をふるって追い払い、出来た隙をついてロマニーが倒す。しかし彼の手には違和感があった。

(手応えが……ない?)

 威力は十分、軌道も完璧だったはずの一撃が、オバケを倒すに至らなかった。弓での攻撃は確かに効いていたのに。見たところロマニーの弓矢は何の変哲もない。遠距離攻撃しか効かないとも考えられた。

「た、助けてくれるの?」

 昼間はゼロを避けていた少女が、今にも泣きそうな表情ですがりついてくる。ここは見栄を張ってでも、不安を取り除かなければならない。焦りを追いやり、せいぜい頼もしく見える表情を作る。

「怪我はしてないね。これは一体、どういうこと?」

 ロマニーはかぶりを振った。顔色は蒼白だ。

「わかんない。おねえさまは知らないけど、毎年この時期に来るんだ、こいつら。牛たちを狙って」

 なるほど。彼女が後背に守るのは、姉が眠る母屋ではなく牛小屋だった。日中放牧されていた牛はここで夜を過ごすのだ。

 ゼロは息を整えてから、うなずいた。

「ロマニーは裏手を頼むよ。こっちは任せて!」

 彼女を一人にするのは気が引けるが、圧倒的に戦力が足りない以上、致し方ない。

 去り際、

「矢は木箱の中に隠してあるわ。あいつら夜明けには帰っていくから……それまで、お願い!」

 忠実な愛犬を引き連れ、タッと駆け出すロマニー。その足取りには決意が宿っていた。

 ゼロは大妖精から賜った弓を構えた。のどの奥から乾いた息が漏れる。この大軍勢を目の前にしては、もはや笑うしかない。日の出まで、かつて経験したことのない持久戦が始まるのだ。
 勇気と恐れの混じった感情が沸き上がり、目元が締まる。

「大変なことになっちゃったな。できるだけ、あっちに敵を回さないようにしないと。
 アリス、サポートよろしくね」
『了解です』

 ロマニーの負担を軽くするために。一体ずつ、着実に撃退していく。相手が正体不明であるだけに――物知りなアリスさえ分からないと言う――何ともいえない不気味さがつきまとった。

 倒すそばから、休む間もなく新手が現れた。相手の勢力はそれこそ無尽蔵に思える。三度目になる矢の補給の時、ゼロは軽いめまいを覚えた。

(うー、寝不足だからかな?)

 というより、地面が揺れたように感じたのだ。その感覚は、彼が経験したことのない「乗り物酔い」に少し似ていた。


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