月と星



「分かりやすかったです、とっても」
「そう、良かった」
「おねえさま、またそれ?」

 飼い葉を満載した木桶を重そうに運びながら、小さな女の子がやってきた。クリミアによく似た、くりくりした瞳が愛らしい。頬は不満そうに膨らんでいたが。

「もう聞きあきたよ〜、営業トーク! いつもそればっかり」
「マスターに頼まれたの! お仕事よ、お仕事」

 いかにも姉妹らしい言い合いだった。クリミアは女の子をなんとか宥めて、申し訳なさそうにゼロに向き直る。

「ごめんなさいねお客さん。ほら、挨拶して」
「……ロマニー、です」

 少女は腰を折ってお辞儀をした。丁寧な動作だが、どことなく投げやりな印象を受ける。

「ゼロです。牧場と同じ名前だね、ロマニー」
「おかあさまが名付けてくれたの」

 それきり、ロマニーはそっぽを向いてしまった。知らない人だから怖いのかもしれない。ましてや、大岩によって道が寸断され、このところ見知った人としか交流がなかったのだ。そうゼロは納得したのだが、クリミアは妹の態度に憤ったようだ。

「失礼でしょう、お客さんに向かって」
「いえいえ、オレそういうの気にしませんから!」
「ほらこう言ってるよ。もう帰っていい?」

 そわそわするロマニーにため息をつく姉。諦めて手で指示すると、妹はすぐさま去ってしまう。

「ごめんなさいね、人見知りが激しくて……」
「いきなり人が訪ねてきたら、びっくりするのも当然ですよ」

 ゼロは笑って流した。そこで思い出したように質問を挟む。

「このあたりに他の施設ってあります?」
「ドッグレース場とコッコ小屋と――馬を飼育してるゴーマントラックしかないわ。どれも私たちの管轄外よ」

 最後の施設の名を呼ぶとき、クリミアは心持ち暗い表情になった。アリスは難色を示す。

『では泊まるのは難しいですね……』
「あら、宿をお探しなの。ならうちに泊まっていかない?」

 軽い調子で提案されたので、流れのままに承諾してしまいそうになる。が、妖精に小突かれてはっとした。

「――え!? 悪いですよそれは、いくらなんでも」
「うち、親がいなくて姉妹二人暮らしなの。前に両親が使っていた寝室が空いてるから、そこはどう?」
「あ……」

 たった二人でこの広大な牧場を運営しているのだ。なるほど、どことなく漂っていた寂しい雰囲気の正体がゼロにも掴めたようだった。

「気にしなくていいわ。亡くなったのはずっと前だしね。それに、先代はすばらしい物を残してくれたもの」

 といってロマーニ種の牛をなでる彼女は、慈愛に満ちた表情を浮かべていた。

「ちょうど男手が足りなくて困っていたの。力仕事、任せても大丈夫かしら」
「それくらいでしたら、なんなりと」

 ほっと一息つく。寝床の問題が何とかなったのはラッキーだ。

「じゃ、さっそく……牛小屋なんだけど、雨漏りが酷くてね」

 牛を放牧したまま、母屋と牛小屋の二棟並んだ区画へと向かう。クリミアが離れても、牛は静かに草を食み続けていた。おとなしいものだ。

 飼い葉運びと水くみを終えたロマニーは、木箱に座って手元で何かをいじっていた。毛の長い犬が周囲を円を描いて走っている。しきりに吠えかかる先には、何かの形を模した風船がふよふよと浮かんでいた。

「あれね、『レンシュウ』してるんだって。オモチャの弓を持ち出して、ああやってデタラメに狙いを定めてるの」
「レンシュウ? 何の練習ですか」
「さあ。理由は言ってくれないんだけどね。たまに犬を的にしてる時があるから気をつけてるわ」
「はあ」

 彼女が何を思って弓をとるのかは分からない。でも、どことなく憂いを含んだ瞳はクリミアとそっくりだった。





『ゼロさん! 起きてください』
「うわっ、え、何、もう朝なの!?」

 寝台に横になっていたゼロが、耳元の妖精の声に跳ね起きた。紅茶色の瞳をしばたたかせ、様子をうかがう。ありがたく使わせてもらった部屋は、まだ真っ暗だった。

「うーん、今は夜だよね。早朝っていくら何でも空が白んできてからじゃ――」
『いえ、外の様子がおかしいんです』

 アリスの声は緊迫していた。表情を引き締めたゼロが、おぼつかない手取りでカーテンを開ける。そして、ガラス越しに見えた光景に息をのんだ。

「あれは……!?」

 いくつもの不気味な光点が、牧場のあちこちに生まれていた。夜行性の虫が身にまとうような幻想的な光ではない。胸がざわめいた。愛用の剣を手に取る。

 クリミアたちを起こさないように、静かに二階の部屋からリビングのある一階へ降りる。玄関口まで来たところで、異変に気がついた。

「鍵が、はずれてる」

 つまり、ここから出入りした者がいるのだ。居ても立ってもいられず、ゼロは外に飛び出した。

「――!」

 薄明るい夜の闇に目をこらせば、光点は魔物らしき影だと分かった。のろのろとだが、一直線にこちらを目指して進軍してきている!

 その矢面に立ち、たった一人で軍勢と対峙している人物がいた。それは、なんと弓を構えたロマニーだった。


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