![]() 「それは、どういうことですか」 声もなく身を強ばらせるルミナの代わりに、マスターが尋ねた。怒ったような声が答える。 「昨日の朝、町長公邸に朝一番で行ってきたんだ。アロマ夫人に挨拶するためにな。前もって面会の予約までして行ったのに……」 ゴーマン座長の様子がおかしくなったのは昨日からだ。すなわち、朝一番にキャンセルの知らせを聞いてしまってから――。 ミルクに混ぜられたアルコールが効いたのか、判別不能な愚痴をこぼしながら、やがて座長は眠りについた。 心配そうな顔のマスターが、カウンター裏でうずくまっているルミナの肩をたたく。 「ゾーラのお客さんが、話があるそうです」 顔を上げると、背の低いゾーラ族の男性と目があった。先ほど口惜しそうにステージを見つめていた客だ。差し出された名刺を反射的に受け取る。 「トトと申します。ゾーラバンド『ダル・ブルー』のマネージャーです。アナタは前座を依頼していたゴーマン一座の方ですね?」 「……はい」 「先ほど座長さんがおっしゃったとおり、コンサートは中止になりました。海に起こった異変により、ボーカルのルルが声を失ってしまったのです」 メインボーカルが体調不良になるなんて、プロとしてあるまじき失態だ。管理が行き届いていないせいで起こったことならば、それはマネージャーの責である。 だが、ルミナは糾弾せずに、ただ名刺に視線を落としていた。 「リーダーのエバンや、ギターのミカウとも話し合いましたが……原因は特定できていません。アロマ夫人やゴーマン一座をはじめ多くの方に迷惑をかけてしまい、本当に申し訳ありません」 「いえ。教えてくれて……ありがとうございます」 半分魂が抜けた声で礼を言って、それきり黙りこくる。そんな彼女を気遣う視線を投げた後、トトはバーを去った。 実質、マスターと二人きりになった。いつも店内に流れている陽気な音楽がむなしく響く。 幸せそうに眠りこけているゴーマン座長を眺め、 「座長は私が責任をもって宿に送りましょう。あなたはどうします?」 「しばらく一人にさせて……」 ルミナはうなだれた。 座長が誰にもこのことを話していないことが、何よりもショックだった。少なくともルミナが同じ立場なら、迷わず団員に打ち明けていただろう。 (こんなところで飲んだくれちゃって。そりゃあ言い出しづらいことかもしれないけど、きちんと説明してほしかったよ。 相談してくれればわたしだって――) カーニバルでの興行は彼女の初舞台となるはずだったのに。本当に、コンサートを楽しみにしていたのに。目を押さえた袖が濡れていく。 ここ一ヶ月ずっとがんばってきたギターの練習が、水泡に帰した。 残されたものは、空っぽな心だけだった――。 翌日。 「ルミナー、いい加減出てきたらどうだ。この宿も夕方で閉めるってさ」 ジュドがトイレの扉を叩くが、返事はない。コンサートの中止ですべてが嫌になったルミナが、閉じこもってしまったのだ。こりゃ無駄だ、とマリラが色っぽい仕草で肩をすくめた。 見かねた座長がドアに向かって喋る。 「わしらは南のゴーマントラックに世話になってくる。ミルクロードの脇にあるから分かるだろう? 暗くなる前に来るんだぞ」 「ゴーマン座長の兄弟のところだってよ〜、るるる〜」 「どんな方かしらね、アオ」 「三人兄弟なんだって。座長に似たイイ男たちだといいわねー、アカ」 仲間が一人どん底に落ち込んでいるというのに、団員たちは存外にぎやかだった。足音と会話が消えたところで、 「座長のばーか! みんなの人でなし、薄情者!」 万が一でも聞こえると怖いので、囁くだけ。意外と小心者だった。 (今更親切ぶったって遅いよ……) ゴーマン座長は今朝――きっと「ラッテ」のマスターに何か吹き込まれたのだろう、一座のメンバーにすべてを語った。それに対する皆の反応は、予想よりもあっさりしたものだった。もしかしたら、昨夜遅くに後輩が目を真っ赤にして宿に戻ってきたことから、薄々感じ取っていたのかもしれない。 そうして何事もなかったかのように避難の準備を始める一座に、ルミナは拍子抜けしてしまった。心底カーニバルを楽しみにしていたのは、自分一人だけだったのかもしれない。結局踊りを完成できなかったローザ姉妹にとって、興行中止はありがたく思えるだろう。座長だって、アルコールで悔しさを紛らわしていたのかと思えば、けろっとした顔で避難しろと言う。ルミナが引きずっている未練が、他のメンバーには残っていないようなのだ。 たとえ牧場に逃げて命が助かっても、活躍すべき舞台はない。それくらいなら、町に残って月もろとも消えてやる。 後から考えると、全く阿呆らしい意地っ張りだった。でもこの時のルミナは真剣だった。 「当宿は六時を持って閉館いたします。残っているお客様がもしいらっしゃれば、従業員が案内しますので、ロマニー牧場に避難をお願いします」 看板娘アンジュのアナウンスにも応じず、ルミナは一人トイレの隅にうずくまって夜まで過ごした。幸せなことに、最終的には眠りこけていた。 夢うつつの中、不思議な曲を聴いた。素朴な笛の音が奏でる、母親の胎内で聞いたような優しくて寂しい曲。窓も開いていないのに、ふわりと風が吹いたような感覚がして、ルミナは目を覚ました。 「あ、れ……!?」 さっきまでトイレにいたはずなのに。気がつけば、同じくナベかま亭二階にある大部屋のベッドに横たわっていた。昨日まで一座が寝泊まりしていた場所だ。ご丁寧に布団までかけてある。周りではゴーマントラックに避難したはずのメンバーがてんで勝手に寝転がり、いびきをかいていた。 (どういうことなんだろう?) ルミナは何気なく日付を確認し、目を丸くした。 それが、長い長い三日の繰り返しの始まりだった。 ←*|#→ (50/132) ←戻る |