月と星






「船の上で『船をこぐ』なんて器用じゃのう」

 出し抜けにコウメの声がした。自分は体を揺さぶられている。

「ワシがわざわざ神話の続きをしてやったというのに、まーた居眠りしおって」

 だってオレは午後0時起床が基本で、だから名前もゼロなんですよ――。じ、自分でもちょっと情けないけれど。

「目的地の『デクナッツの城』に着いたぞい。
 ……うーむ、起きんなあ。そこのサル、起こしてやりなさい」
「はーい」

 子供のような甲高い声と共に、思いっきり頬を引っ張られた。ほとんど目覚めかけていたゼロは、途端に覚醒した。

「いたたた! 起きてます、いや今起きましたからーっ!」

 ガバッと身を起こすと地面が揺れた。違う、これは地面ではなくボートだ。ということは今はボートクルーズ中……?

「遅い。オイラ先に行っちゃうぞ!」
「こんな短い船旅で寝る奴は初めて見たのう」

 呆れ顔でコウメは額の宝石を触る。チカっと赤い光が出て、それを見たゼロは一発で頭の中のもやが晴れた。

「あ、そっかオレは……。ええと今は『二日目』で、ボートクルーズでデクナッツの城に……?」
「道案内させる代わりにオイラを許してくれたのはありがたいけどさ。ニイチャン、なんか頼りないよネ」

 ゼロが昨日フシギの森で助けた白いサルが、呆れながら言った。率直な言葉であるが故に、余計ぐさりと胸に突き刺さる。小さな体のくせにゼロよりよっぽど達者な言葉遣いだ。「そんなことないよ」と根拠もなしに否定するのも虚しいので、彼は黙っていた。

 そうだった、沼は不慣れなゼロはコタケに諭されてサルを案内役にすることにしたのだった。このサルはアリスについて詳しいことは何も喋っていないが、まずデクナッツの城に行くことは間違っていない、と彼は思う。

 痺れを切らしたコウメが口を挟んだ。

「どうでもいいから早くボートを降りるのじゃ」
「あのーお話の続きは……」
「お主が寝ている時に、もう何度話したことか。さすがのワシでも疲れたわい。後日 出直してきなされ。
 もっとも、あの月が落ちなかったらの話じゃがな……」
「あ……」

 コウメにつられて空を仰ぐ。二日目の、分厚い雲が垂れ込めるこの空にも、あの顔のある月はタルミナを喰らわんとばかりに迫り来る。とっくに雲の下まで来ているのだ。

 ゼロは言いかけた言葉を呑み込んだ。それは決意だった。

(オレが、きっと何とかしますから)

 それからタッとボートから飛び降り、デクナッツの城を見上げてみる。

 沼に国を作って住む、デクナッツ族たちの王城。堂々たる佇まいだった。飾りには赤や緑の原色が目立つ。

 彼らは背が低いらしく、城壁も頑張ればなんとか乗り越えられそうだ。居館も一階建ての平屋らしい。しかし時折とんでもなく高い場所に足場があったりピンク色の大きな花が咲いていたりする。あそこへはいったいどうやって行くのだろうか。

 感動した彼は写し絵の箱のことを思いだし、一枚パシャリと撮ってみた。

「これが……お城。オレ、初めて見た」
「オイラについてきて。ここの姫さんとは仲がいいから、顔パスなんだ」

 軽快に四つ足で駆けていく白いサルを追いかけながら、ゼロは首をかしげた。

「なんかお城の方が騒がしくない?」
「えっ、そうかなー」

 門を通り抜けようとした時、両サイドから声がかかった。

「オイそこの二人、止まるッピ!」
「今は取り込み中だから王の間には入れないッピ!」

 さっそくデクナッツ族の門番に足止めされた。植物から進化した種族らしく、球根や木の根が思い浮かぶような容姿だ。背は低く、大人なのだろうがゼロの背丈の半分もない。ゼロは頭に生えている青々とした葉っぱが可愛らしいと思った。

 すぐさまサルが勇んで反論する。

「オイラは姫さんの友達だぞー! この前だってオイラたちを散々いじめて、姫さんにコッテリ絞られた癖に。もう忘れたの?」
「その姫様が誰も通すなって言ったんだッピ。王様たちに説教するからって……」

 お姫様が王様に説教とは、普通逆じゃないのだろうか。よっぽど気の強い人なんだろう。

「なあんだ。じゃあこっそり入れば……」
「そこまで聞いて、入れさせるわけがないッピ!」
「ケチ。聞こえてたの」

 軽快に続く会話についていけなくなっていたゼロは、改めて城の方を見やる。その時、彼は耳聡く何かを聞きつけ、おや? と首をかしげた。

「ね、サルくん。なんか」

 振り向いたサルに、彼はすっと前方を指差す。

 そこには王の間の入り口から、どたどたとあわただしく出てくる大勢のデクナッツたちの姿があった。かなり大声で会話しているので、嫌でも声が聞こえてくる。

 先頭を早足で歩くのは、桜色の花びらのような飾りをつけた、少女らしきデクナッツだ。あれがお姫様だろうか。

 ……おや? お姫様の隣には妖精がいるようだ。

「姫様やめるッピ! 王様が頭に血が上って倒れてしまったッピ!」
「もうアナタ達では話になりません! 私一人でも泉に向かいますわ! 行きましょうアリスさん」
『デ、デク姫様、ちょっと……』

 ゼロの耳がピクリと動いた。聞き間違えようのない。か細い声だが、確かにアリスの声だ!

 デクナッツたちは団子状になってずんずんこちらへ近づいてくる。うわっと飛び退くサルとは対照的に、ゼロはそこへ飛び込んだ。罪悪感と一緒に彼らを蹴散らし、手を伸ばす。

 冬の空の色をした妖精が、こちらに気づき、視線が重なる。

「アリス!」
『ゼロさん!?』

 前後の区別もつかないような人混みの中で、一日ぶりに青年と妖精は再会した。


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