月と星

2-5.スノーヘッド


 雪山にまつわる怪談話はたくさんある。中でも、スノーヘッドでもっとも有名で、もっとも信憑性があり、かつもっとも恐れられているのは「雪の精」という話だ。一見可愛らしい話のようだが、それは皮肉な名前だった。

 雪の精に決まった姿はない。まことしやかに囁かれる噂では、若い男だったり年老いた女だったりするらしい。ただ、彼らには共通点があった。目撃者が口を揃えてこう言うのだ。奴は真っ白い死の衣を纏っていた、と。

 前も見えない吹雪の夜、灯りのゆらめく人家に、雪の精はやってくる。





『ごめんくださーい。ちょっと、なんで返事しないわけ!?』
「こんな悪天候だから休業なのかもな」
『えー!? こんなところで凍死なんてイヤっ。アンタ、このくらいの扉蹴破りなさいよ』

 リンクは眉根を寄せて白い妖精の文句を黙殺した。

 沈む夕日が「一日目」最後の眼差しを投げかける頃。ルミナから借りた白い衣を着たリンクは、とある丸太小屋の扉の前で立ち往生していた。「山のカジ屋」、雪に埋もれかけた看板にはそう記されている。「山」を登って半日、見つけた民家はこれが最初だ。

 転がり落ちるように悪くなる天気から逃れ、玄関先のひさしの下に駆け込んだ彼は、ちっとも開く気配のない扉に途方に暮れた。しんしんと音もなく降り積もる雪。この調子だと、彼のつけた足跡はあっという間に消え去ってしまうだろう。扉に背を預け、今まさにつくられていく銀世界を眺めた。

 ――雪が降り始めたのはいつだっただろうか。確か、クロックタウンを出発して、山を目指し平原を歩んでいた時だ。途中までは順調だったが、いつしか雪がちらついてきた。まともな防寒装備などはないが、それでもリンクたちは進むしかなかった。彼らには時間がないのだ。この調子なら大して積もらないだろう、と希望的に観測して、彼はうっすらと雪化粧した山道をのしのし往った。シロボーという大きめの雪玉みたいな魔物や、ジャンプする蟹の魔物・青テクタイトが時折雪に紛れて襲ってくる以外は、気抜けするほど平和な旅路だった。

 やがて、雪のない木の下で一休みしていると、急に強烈な風が吹いてきた。さらさらと紗を重ねるように降り積もった雪の衣が一気に吹き飛ばされ、地吹雪が発生した。平原の霧を彷彿とさせる濃密なカーテンに視界が塞がれ、まずい予感がしたリンクは、階段を一段飛ばしで上るがごとく強行軍で駆けのぼった。こんなときに限って徒党を組んで襲撃を仕掛ける魔物どもを切り捨て、ブーツに染みる氷のように冷たい水に顔をしかめ。どんどん酷くなる雪に苦戦しているうちに日が暮れてしまった。

 ふう、と軽く息を吐き、リンクはすっかり雪と泥に汚れてしまった上衣の襟を正した。

(返す前に洗濯しなければな……)

 まさか、本当にこの借りた上衣が役に立つとは。ルミナの配慮は慧眼や予言というより動物的な勘と噂話からの分析の結果なのだが、リンクは彼女に感謝せずにはいられなかった。

 それでも日が暮れ低下する気温は徐々に彼の体力を奪っていく。今はのんきに軒下で一休みしているが、このままの状況が続くと非常にまずい。良くて凍傷、悪くて凍死だ。チャットの文句もあながち冗談ではない。

『ね。寒いから帽子入ってていい?』
「……ん、ああ」

 考えに没頭していたリンクは突如引き戻され、鈍い反応を返す。
 彼はかぶりを振った。頭の中だけで考えていても何も始まらないし、事態も好転しない。そして何も考えず、ただなんとなくドアノブを握り、ひねってみた。

 確かな手応え。拍子抜けした滑稽な驚きとともに、ノブはあっさり回っていた。

「開いてる……?」

 その言葉を聞いて帽子の中からチャットが飛び出した。つんとすました態度を装っているが、言葉の端々から喜びの波動がこぼれている。

『不用心ね。おかげで助かったけど』

 お先に、と彼女は開いたドアからするする入っていく。リンクはため息をついた。後で面倒事を処理するのは彼の仕事だ。

「空き家ならいいんだが……」


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