2-3.妖精さんと沼 妖精は、ひとつの泡から生まれる。 四方とクロックタウンにそれぞれ存在する妖精の泉。大妖精の居場所であり、全ての魔力の源と言われる、タルミナで四つの神殿の次に重要な場所である。 彼女もまた、そこで生を受けた。冬の晴れた日、四人の姉とともに。 初めは、まだ未熟な光――妖精珠だった。泉に浮かんでは溶けるあぶくとほとんど区別がつかず、彼女自身の意識も曖昧だった。 そのまま、混沌とした日々をささやかな波に揺られて過ごした。長い長い間。時が満ちると、大妖精の息吹により羽を生やす。妖精なら誰でも通る成長の儀式だ。 さらに、ここから次の段階への道のりは遙かに遠い。無限に芽吹く光の中で、ほんの一握り――数百年にたった五匹だけが大妖精になり、その一匹が時代を見守る『妖精の女王』となって妖精達の頂点に立つのだ。 ああ、思い出してきた……! 彼女の体の奥がじぃんとあたたかくなった。妖精たちの歩んできた歴史を想えば身は震え、羽先から涙のように熱い光がこぼれる。 そうだ、ふるさと! あそこに帰ったら、お姉さんたちが待っているかもしれない。 でも……私のふるさとって、どこ? * 「やっぱりこれだよ! ね、アリス?」 興奮した面持ちでゼロは手を広げ力説した。しかし、当然あるはずの返事がない。 「……アリス?」 もしや考え事のまっただ中で、気を損ねてしまったのだろうか。 前回の「三日間」の経験で、彼は相棒妖精の気性もよく分かっていた。散々迷惑をかけたのだから、正直一度くらいきつく叱られても仕方ない、と思う。ついに堪忍袋の尾が切れたのかもしれない。彼は恐る恐る顔色を伺う。 「アリスさーん……?」 手を伸ばし、なるべく優しく羽に触れる。初めて触ったその感触は、どんな高価な絹よりも滑らかだ、と思った。 (絹なんて見たことないのに。これが『記憶』?) ぼうっとそのままの状態でいると、 ――ふるっ。 薄い水色の羽が一度、大きく羽ばたいた。 『……ゼロ、さん?』 ちかちか瞬く彼女の光に、いつもの深い青みが戻ってきた。ようやく気がついたらしい。 「あの、なんかオレ邪魔しちゃった、かな?」 彼は申し訳なさそうに笑い、頭を掻く。アリスは慌てふためいた。 『い、いえ! 私が呆けてただけですので!』 「へー。珍しいね、オレはともかくアリスがぼんやりするのって」 『そう、ですね。すみません、一体何のお話でした?』 その言葉に、ゼロは数分前の頬の火照りを復活させた。 「沼だよ。沼に着いたんだ。見て!」 彼の示す方向に視線を投げかける。視覚したその光景に、アリスは思わずほうっ……と感嘆の声を漏らした。 足元に波打つ透明な水。そこに熱帯のみに息づく豊かな緑が影を落とし、巨大な自然のアーチを形作る。水面には真円を描く蓮の葉が揺れ、花びらをまばらな絨毯のごとく散らしていた。その淡い桃色は、まるで過ぎ行く春が存在のあかしに落としていった、髪飾りのようだった。 『綺麗ですね……。他に言葉が浮かびません』 「でしょ? これを見られただけでも、沼に来て良かったよね」 ゼロはうっとりと目を細める。既に沼の大妖精と時をいじった犯人探しという目的を忘れかけているようだ。 散々ためつすがめつ沼を眺めながらそのほとりを行ったり来たりした結果、彼はひとつの看板に気がついた。 「『沼の観光ガイド』だって。ここなら地図もらえるよね」 『行ってみましょう』 ←*|#→ (21/132) ←戻る |