* 「お久しぶりですね、鬼神さん」 目の前には穏やかな光が差し込むテラスが開けていた。イカーナ古城のどこかにこんな場所があった気がする。 椅子に腰かけた少女はゆるくウェーブした髪をなびかせ、ほほえみすら浮かべている。 死神。ムジュラ。彼女とは記憶の中で何度も会ってきたが、こうして「ゼロ」として顔を合わせるのは初めてだった。 ――リンクよりも先に時計塔に上った彼を迎えたのは、スタルキッドではなくムジュラの仮面であった。 ゼロの姿を認め、仮面をかぶったスタルキッドがすうっと地面に降りてくる。ゼロは心の準備をしながら訊ねた。 「キミはスタルキッド、いやムジュラの……?」 「あなたとのお話は、また少しあとで。今は少しお待ちいただけますか」 明らかに女性の声で、そう告げられた。 スタルキッドの手が横に振られた。そして気づけばこの場所に移動していた。きっとムジュラの仮面の魔力で構築した空間なのだろう。危険は感じなかったが、ゼロの緊張は解けなかった。 その後、そう時間が経たないうちに彼女はテラスへ姿を現したのだ。 ゼロは硬い声で応える。 「はじめまして、ムジュラさん」 少女はほうっとため息をついた。 「ムジュラさんだなんて、つれないですね。まあいいけど。それで、私のこと何か思い出しました?」 ゼロははっとする。やはり、彼女はこちらの事情を知っているのだ。時の繰り返しにも気づいている。 きっとここで「鬼神」を待ち続けていたのだろう。だが、ゼロはゼロとしてムジュラと会話するしかなかった。ルミナからお面をもらったとはいえ、まだ全ての記憶を取り戻したわけではないのだから。 「断片的にだけど、一応。あなたは鬼神と同じようにイカーナにやってきて、でも裏切った――というより最初から敵国のスパイだったってこと、くらいかな」 ムジュラの表情は変わらない。ゼロは畳みかけた。 「どうしてあんなことをしたんだ。今だってタルミナに月を落とすだなんて――」 彼女は盛大に肩を落とす。 「やっぱり、あなたは私のことなんて何も知らないんですね」 「それでも知りたいとは思ってるよ」 それが、タルミナの中で唯一自分だけにできることなのだから。警戒は続けたまま、けれど真摯にゼロはそう語った。幸いムジュラもここですぐに武器を取る気はないらしい。 「いいわ、話してあげましょう。私がどうしてイカーナを滅ぼしたのか。今もこうして月を落とそうとしているのか、全てをね」 少女の唇がくっきりと三日月を描いた。 * ルミナは突如として町に現れた四人の巨人たちを、放心状態で見上げていた。 リンクを時計塔へと送り出した彼女は、妖精の泉へ向かうつもりだった。ひとまず楽器の件を大妖精に相談すべきと考えたのだ。そうして北地区へと走り出したら、時のオカリナの音がして――時の歌ではなかった――しばらくするといきなり地響きがした。 「うわっ」 地面が揺れてバランスを崩しそうになり、慌てて立ち止まる。彼女の視界いっぱいを埋め尽くすような巨大な足が、街の外壁を越えてぬっと伸びた。空を横切っていく。 「な、な、何あれ……!?」 ルミナは腰を抜かしそうになった。足だけでなく、その上には顔も手もある。巨人だ。しかも四人もいて、タルミナの中心部、時計塔の方へと集まっていく。 大混乱に陥る彼女が見守る中で、巨人たちは手を伸ばして月を支えはじめた。 それでやっと分かった。あれは味方だ。きっと時のオカリナでリンクが助けを呼んでくれたのだ! がんばれ、と心の中で応援する。やがて彼女の願いは叶い、巨人によって月は停止した。 「やった!」 ルミナは急いでいた理由も忘れ、小躍りした。 『リンクさんたちが止めてくださったんですね』 突然隣から聞こえてきた声に目を丸くする。 「アリス!」 青色の光を持つ妖精がすぐそばに浮かんでいた。そういえば「大妖精の手伝いをするためアリスは泉にこもっている」とチャットから聞いていた。洞窟内で地響きを感じ、外に出てきたのだろう。 「ごめん、大妖精様に頼まれてた楽器、なかなか見つからなくて」 『いえ、任せきりにしていた私が悪いのです。一緒に探しましょう』 ルミナは軽く首をかしげる。まるで、アリスが直接ルミナに仕事を任せたかのような言い方だ。それに、声が誰かと似ているような―― 「もう月は止まったんじゃないの? 楽器を探す必要だって……」 『まだ終わっていません。リンクさんたちは月の中でムジュラの仮面と戦うことになるでしょう』 「月の中……?」 あの月に空洞でもあるのだろうか。ルミナは停止した月とそれを支える巨人たちを見やる。 「とにかく、リンクたちはまだ戦ってるんだね。わたしはその手助けをしなきゃいけないんだ」 『ええ。月の中まで届くような音の鳴る楽器があると良いのですが』 それはダル・ブルーが使うレベルの楽器では無理だろう。とんでもなく大きなものか、もしくはリンクの持つ時のオカリナのような特別な楽器でなければ。 ルミナは方針を固めた。 「分かった。心当たりがありそうな人に聞いてみよう」 ほとんどの町民が逃げてしまったクロックタウンであるが、まだ残っている人の中には他でもない町長の息子がいる。彼ならばこの町についてくわしいのではないか、とダメ元でナベかま亭に引き返す。 アンジュとカーフェイ、めおとになった二人は外に出て、不安げに月と巨人を眺めていた。 「ルミナ! あの巨人は一体なんなんだ」 「おばあちゃんがよく話してた四人の神様みたいね」 (あっ確かに……もしかして、そうなのアリス?) と小声で訊ねたが、返事はなかった。 ルミナは混乱しそうな頭を必死に整理しながら二人に話しかける。 「あのね、こんな時に二人にお願いがあるんだけど」 『大きな音の鳴る楽器を知りませんか。あの月の中にまで届くようなものがいいんです』 あの丁寧なアリスがルミナを遮り、さらには説明を省略した。それほど切羽詰まっているのだ。 カーフェイは一瞬口を開いたが、ひとまず首肯して意識を切り替えたようだ。訳の分からない状況を理解しようとするよりも、手の届く範囲で解決できる問題に従事したほうがマシだ、とでも考えたのだろうか。 「それなら、月に一番近い場所にいいものがあるぞ」 めおとの二人は高さの違う視線を上手く合わせてうなずきあう。 「え、どこに?」 「私たちが案内します。ついてきて!」 アンジュが先導する。ともかく助かった、とルミナはほっとしながら後に続く。 大股で走りながら、彼女は隣の妖精に訊ねた。 「あのさアリス、楽器が必要ってことは演奏する曲があるんでしょ?」 アリスは羽から青い光をこぼし、月を見上げた。 『ええ。その曲は、あなたの演奏によってより力を増すはずです』 * リンクとチャットは広がる草原の只中にいた。 地平の向こうに大きな木が一本生えている。青空は薄ぼんやりとした光に包まれ、遠近感がつかめない。開けた視界にはただ丘と、木と、空だけがあった。 『こ……ここが月の中? とてもそうは思えないけど』 いきなり緊迫した空気が薄れて、チャットは困惑している。一方のリンクは得体の知れない感覚を抱き、警戒を強めていた。ここは見た目通りの穏やかな場所ではない。 相変わらずゼロがいる様子はなかった。他に目標もないので、仕方なしに木に向かって歩きはじめる。 すると、小さな花の咲き乱れる丘を、四つの人影が駆け下りてきた。リンクより少し年下くらいの子どもたちだ。笑いさざめきながらこちらに寄ってくる。 「なんだ」 思わず背中の剣に手をかける。それもそのはず、 『げっ、亡骸かぶってるわよこいつら』 四人の子どもたちは、リンクが四方の神殿に巣食う悪を倒して手に入れた四つの亡骸でそれぞれ顔を隠していた。 臨戦態勢に入ったリンクの気迫にも負けず、子どもは遠慮なしに近寄ってくる。 「やあ、いい天気……だね」 子供らしくなく落ち着いた声だ。ムジュラの仮面の声と少し似ている。 「たくさんお面、持ってるね。キミも……お面屋になるの?」 (何故、見せてもいないのにお面のことを知っているんだ) 不気味なものを感じ、リンクは答えない。 子どもたちはどんどんにじり寄ってきた。 「ねえ、あそんでやるから……お面、ちょうだい」 「断る。これは俺のものではない。あるべき場所に返さなければならないんだ」 亡骸たちは戸惑ったように顔を見合わせる。リンクは鋭く睨みつけた。 「ゼロはどこだ」 「誰? それ」 「お面の持ち主だ。ここにいるんだろう」 「知らない」 「そんなはずはない!」 リンクはイライラしていた。相手のペースにはまりかけていることには気づいていたが、どうすることもできない。 唐突に、オドルワの亡骸をかぶった子どもが発言する。 「キミの友だちは……どんなひと?」 「は?」 「そのひとは、キミのことを友だちと思ってるのかな」 ゼロの話だろうか。リンクがとっさに二の句を継げないでいると、 『友だちかどうかは分からないけど、ゼロは仲間よ。あっちもそう思ってるに決まってるわ』 チャットがきっぱりと答えてくれる。リンクは人知れず安堵し、心強さを感じた。 子どもは下からリンクを覗き込むようにする。 「本当に……? キミがそう望んだから、友だちになったんじゃないの」 「それは、どういう意味だ」 「時の勇者には友だちなんていなかったから。いつもそばにいてくれてる友だちがほしかったんだよね?」 亡骸をかぶった子どもはリンクの過去まで知っていた。いよいよ警戒を強めたリンクは、バックステップで包囲網を突破し、剣を抜いた。 子どもたちは武器にもひるまず徐々に輪を狭めてくる。 「タルミナに、知り合いの顔に似た人がたくさんいるのはどうしてだと思う?」 「!」 リンクはぎくりとした。確かにアンジュやクリミア、他にもタルミナに住む人たちは、彼が故郷の旅で出会った人々とよく似た――否、ほとんど同じ見た目をしていた。立場や名前は違えど、顔も声もそっくり同じだったのだ。沼地の魔女にゾーラの歌姫、海賊たちもそうだ。ルミナだって最初は、自分を故郷から送り出した姫にほんの少し似ていると思った。いつしか彼はそんなタルミナに慣れてしまったけれど、違和感だけはずっと残り続けていた。 リンクが動揺したのを悟ったのだろう、チャットが『そうなの?』と小声で訊ねた。 彼は首を振る。 「たまたまだ。俺とタルミナには何の関係もない」 「関係は、あるよ」 畳み掛けるように子どもたちが唱和する。四人の声は混じり、得体の知れない一つの大きな声となる。 「タルミナは、ハイラルの聖地なんだよ」 リンクは目を見開いた。 「なんだと」 聖地。それは彼の故郷ハイラルに寄り添うもう一つの世界の名だ。その中心には光の神殿があり、触れたものの望みを何でも叶える黄金の聖三角「トライフォース」がおさめられていた場所である。 何故、こいつらはそんなことを知っているんだ。 「以前の聖地はこんな場所じゃなかった。時の勇者がトライフォースに触れて、『聖地の主』になったことで変化したんだ。主の心を映して、ハイラルにどこかよく似たタルミナという世界になった……。それが聖地という世界の本質だから」 『ど、どういうこと? トライフォースって何のことよ』 チャットの問いかけにもリンクの返事はない。彼は顔色を失い棒立ちになっていた。 子どもたちの四つの腕が、まっすぐにリンクを指差す。 「そこの妖精も、かつて鬼神だったゼロも、時の勇者が望んだから生まれた存在だ」 リンクの左手の甲が光っている。三つの三角を重ね合わせた聖なる印が、確かな力の存在を示していた。 「そんなはずは……」かろうじて発した言葉はあまりにも弱々しい。 「嘘じゃない。お前が望んだから、ゼロはああいう人物になった。タルミナ全部がそうなんだ。聖地の主であるお前のためにあるんだ」 『ちょっとアンタ、しっかりしてよ!』 相棒に何も答えられないまま、リンクは冷や汗を流す。 本当は心のどこかで理解していた。突きつけられた言葉は全て真実なのだと。 時を超えるという特殊な経験をした自分を受け入れてくれたゼロ。一人きりのものだと思っていた旅路に突然現れた仲間たち。彼らはリンクにとって、ひどく都合のいい存在だった。彼らと過ごす時間には、今までに感じたことのない心の安らぎがあった。 自分が望んだから、ゼロが生まれた。彼が記憶を失ったことすらリンクが望んだことなのかもしれない。それは、まっさらなゼロに自分を助けてもらうための下準備だったのだ。 リンクはかつて、ハイラルにあった「時の扉」の向こうでトライフォースに触れた。その時彼は「聖地の主」に選ばれ、聖地をタルミナという世界に変貌させたのだ。故郷によく似た人々が住んでいるのは、トライフォースがリンクの心を映したためだった。 (そうか……ここは俺がつくった世界だったんだ) 全ての辻褄が、合ってしまった。 目の焦点を失い、小さく何かをつぶやく彼は、迫りくる凶刃に気づけなかった。 「リンク!」 何かが強く体にぶつかってきた。リンクは横倒しになる。勢いのまま地面を転がり、顔を上げた。 「お前は――」 『ゼロ!』 チャットが歓喜の声を上げる。すぐリンクに手を貸し立ち上がらせてくれたのは、ゼロだった。今までどこにもいなかったのに、リンクの危機が迫るとすぐに駆けつけた。 「遅れてごめんね」 白銀の髪と赤みのある瞳が「もう大丈夫」と言っているようで、リンクは安堵と同時に罪悪感を覚える。 気づけば月の平原も四人の子どもたちも消え失せ、彼らがいるのは広間のような場所だった。深い海の底のような色に塗られた壁で四方が塞がれている。子どもたちのかぶっていた亡骸は宙に浮かび、あるべき場所に戻るかのように壁に埋まった。 「ああ、はずしちゃった」 くすりと笑うその声は、二人の目の前にいる大鎌を持った少女が発したものだ。彼女はこれ見よがしにムジュラの仮面をかぶっている。リンクたちのそばの床は深くえぐれていた。大鎌が真空の刃を生み出したのだ。 ゼロは油断なくムジュラの仮面と向き合いながら、 「リンク、怪我してないよね? 戦えそう?」 「どうして……」 それだけしか言えなかったリンクに、ゼロはほほえむ。 「無事で良かったよ」 その言葉すら、今のリンクは素直に受け取れない。何を言われても「俺が望んだから親しくしているのではないか」と心の声が問いかけるのだ。 ムジュラが叫ぶ。 「時の勇者――お前が聖地を私たちから奪ったんだ! 聖地の人々を好きなように書き換えて、私の鬼神さんを変えてしまった!」 ゼロが前に出る。 「違う。リンクはそんなことしていない!」 「鬼神さん……あなたはそいつに操られているだけです。目を覚ましてください」 にらみ合う二人はついに武器を交えた。勢いよくぶつかった刃の間から火花が散る。 しかしリンクはその場に立ち尽くし、剣を持つ手を体の横にぶら下げたまま、動けない。 業を煮やしたチャットがリンクの目の前に浮かんだ。 『ちょっと! アンタ、アイツに言われっぱなしでいいわけ? どんな事情があるのか知らないけど、ゼロが戦ってるのよ』 しかしリンクの耳にその声は届かない。彼の脳裏には、離れていった青い光が焼き付いている。友だと思っていたのに、別れの言葉もかけてくれなかった――かつての相棒が。 あの別れが、心に刺さったトゲのようにずっとどこかで残り続けていた。 (だから俺は都合の良い友だちを、仲間を作ってしまったというのか――) ムジュラの真空の刃を受けてミラーシールドが砕けた。ゼロはステップで下がると、リンクの前で剣を水平に構え、 「リンク。オレは自分の気持ちで戦ってるよ。オレだけじゃなくて、チャットだってアリスだってルミナだって、みんな心からキミのことを助けたいって思ってる。それはキミが望んだからじゃない!」 「そういうの、もう聞きたくないです」 死神の冷たい声が刃となって飛んできた。まともにガードしたゼロの剣が真ん中から砕ける。 すべてがスローモーションで流れていくようだった。リンクは飛び散った剣の破片を見て、あれは砂金を使って鍛え上げる金剛の剣だったのではないか、と場違いなことを考えた。 どさり、とゼロは床に倒れ伏した。彼の胸元は一文字に切り裂かれていた。 「リ、リンク……」 ゼロは力を振り絞って「逃げろ」と告げる。その体から流れ出す鮮血を見おろして、リンクは青ざめる。もっと早く大妖精の剣を渡していれば、こんなことには―― 仮面をかぶった少女は一歩、また一歩と近づいてくる。ムジュラの仮面の奥の瞳が緋色に燃えていた。 「次はお前の番だ、時の勇者」 月の世界に鐘が鳴り響いた。 ←*|#→ (127/132) ←戻る |