月と星






 海の大妖精の洞窟。

 光は届かず、昼間であれど内部は真っ暗だった。だが不気味な雰囲気はない。気分が高揚しているからか、大妖精という存在の影響がここにまで及んでいるからだろうか。

「町の洞窟はこんなに暗くなかったのにね」

 ほとんどアリスの放つ光だけを頼りに、闇の中を進んでいく。ルルはゼロの後ろを離れないようについてきていた。ゾーラ族は服は着るが靴は履かないので、彼女のぺたぺたという足音が洞窟内にこだまする。

『ええ……これも町の大妖精様の行方に、何か関係があるかもしれません』

 多少アリスは緊張しているようだった。彼女たち妖精をまとめる長である大妖精にお目にかかるからだろう。
 軽く頷き、ゼロは何気なく踏み出した。しかし、突然ブーツが水を跳ね上げ、慌てて立ち止まる。

「洞窟の中に水が?」
『では、ここが大妖精様がいらっしゃる泉です!』
「えっ!? オレ今土足で……」

 じわじわとブーツに水が染み込んでくる。ゼロは気まずさに冷や汗を流した。
 その時、ルルが息をのむ音がした。はっとしてゼロも顔を上げる。

「これは……」

 不意に壁が虹色の光を放った。あちこちにあった燭台に、緑色の炎が灯る。完璧な円形をもつ泉には、中心から円周へ向け、輪をなす光が波紋のように滑った。
 ゼロもルルも、凍りついたように一言も話すことが出来ない。
 そんな時、明るいのに眩しくはない光の中に、アリスが飛び出した。

『大妖精様、いらっしゃいませんか!』

 返事はない。それでもアリスは待ち続けた。

「!」

 ゼロは突然肩を掴まれて、飛び上がりそうになった。だが、よくよく考えると思い当たる相手は一人しかいない。案の定、振り返るとルルがいた。彼女は無言で人差し指を口にあて、それから耳に手をやる。
 静かに耳を澄ましてみて、ということらしい。彼は口をつぐんだ。

 ……聞こえた。とてもか細い、誰かの声が。そう思った途端、その声は直接頭の中に響いてきた。

『誰ですか、無断でここに入り込んだのは!』

 厳しい声がとんだ。ゼロはぎくっとして後退しかける。

『海の大妖精様ですか? 何故お姿を現さないのですか?』

 アリスは臆することなく声を張り上げた。

『その声は……どなた?』
『アリスと申します、妖精です。訳あって記憶をなくしてしまいましたが……』

 大妖精の声の調子が、若干柔らかくなった。

『……わかりましたわ。今、そちらに行きましょう』

 何の前触れもなく、泉の水面全体が輝いた。ゼロとルルは眩しくて目を瞑る。彼はまぶたの裏に大妖精の姿を描いた。一体どのような姿をしているのだろう。

『もう目を開けても構いません』

 アリスよりも少し大人っぽい声に従い、ゼロはまぶたを上げた。
 そこには……ゼロが想像していたどんな姿とも違う『海の大妖精』の姿があった。
 初めは、若葉色のアリスのような妖精が、数えきれないほどたくさんいるように見えた。しかしよく見ると、どの光にも羽が生えていない。本当に、単なる光の玉なのだ。
 違う、とゼロは思った。これは、大妖精の本当の姿ではない!

『そ、そんな……』

 アリスも絶句している。やはりこの光の玉は、海の大妖精の真の姿とは違うのだ。
 大妖精は、静かに理由を語り出した。

『ある日やってきた仮面をつけた小鬼にこのような姿にされたのです。
 魔法の力も失い、ヒトから姿を隠す羽目になり……妖精珠も、ひとつはぐれてしまいました』

 妖精珠というのは、おそらく元は大妖精だった、この光の玉のことだろう。
 沈黙を打ち破るように、ゼロは一歩前に出た。

「さっきは泉に入ってしまい……すみませんでした。
 それで、もしかしたら、そのはぐれた妖精珠ってのがあれば、大妖精様も元に戻るのですか?」

 この発言に、全員がゼロに注目した。

『ええ……少なくとも魔法の力は復活しますわ』
「じゃあ、オレが見つけてきます! 『海』にいるんですよね?」
『それだけは確かです。しかし、詳しい場所までは特定できません』
『ゼロさん……』

 どことなく心配そうなアリス。ゼロは心配ない、というように屈託なく笑いかけた。彼はどことなく嬉しそうだ。

「そのかわり……オレとルルさんの願い、叶えてくれませんか?」





 無事に交渉も成立し、ゼロは軽い足取りで洞窟の外に出た。既に日も暮れかけている。
 ゼロは右手に持ったビンを――正確にはその中身を、夕日にかざしてみた。

「この泉の水があれば、妖精珠が見つかるんだよね」
 水が揺れ、夕焼けの橙色にキラキラと輝く。
 ゼロは大事にビンをしまいこむと、ルルの方をふりかえった。

「ルルさん、これからどうします? 夜は危険だし送りますか」

 返事はない。ルルは、つらそうな顔でうつむいてしまった。
 ゼロとアリスは顔を見合わせる。

『ルルさん……?』

 心配になったゼロが、彼女の肩に手を置きかけた時。

「ルル! こんなところにいたのか」

 突然、背中の方から男性の声がした。足音が近づいてくる。
 ゼロがそちらを向くと、走ってくるゾーラ族の男性の姿が見えた。

『あら? あの方もポスターにいましたね』

 目(?)がいいのか、アリスは一瞬で見分けたようだ。ゼロも顔を見て思い出した。キーボードのエバンだ。『ダル・ブルー』のリーダーでもあったはず。
 エバンは駆け寄ると、当たり前のようにゼロとルルの間に割り込んだ。

「心配したんだぞ。急にいなくなって……」

 彼はそこまで話してから、やっとルルの視線に気づき、戸惑ったように一歩引いていたゼロに振り向いた。

「あ……君がルルを見つけてくれたのか?」
「ええ、まあ。ルルさん、何かあったんですか? その……喋るのが苦手、とか」

 遠慮がちにゼロが言う。そう、ルルは出会ってから一度も言葉を発していなかった。ふっとエバンの顔が曇る。絞り出すように、低い声で呟いた。

「ルルは今……声が出せないんだ。どうやっても」

 驚いてルルの方を見る。しかし、彼女は目を合わせようとしなかった。ふいっと深海のように青い瞳が脇にそれる。

 重い沈黙が辺りを支配し、波の音もどこか遠くに行ってしまった。


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