* 三日目は、盛大に寝坊した。 昨日ラッテの従業員室を借りて、遅くまで練習していたせいだ。その上、寝る前にボンバーズ団員手帳に「今回」の出来事を一気に書き込んだものだから、なんだか腕がだるい。ルミナは乱れた長い髪をとりあえずひとつにまとめ、適当に服を着る。窓から漏れる太陽の光が午後を告げていた。 軽くギターを弾いてからバー店内へ顔を出すと、カウンターに突っ伏すゴーマン座長がいた。 (えっ!?) 慌てて時刻を確認するが、今は確かに三日目の十四時だ。月の接近による地響きもあるから、間違いない。 おまけに彼はどうやら飲みすぎたようで、顔を真っ赤にしていびきをかいている。ルミナはそっと近づいて様子を伺う。寝言が聞こえてきた。 「うーん、アンちゃん……芸の世界は、やっぱり厳しかったよ」 (座長……) 彼には兄が二人いて、平原の南の方で馬の調教場をやっているのだ。 自分の演奏で、彼の不安を吹き飛ばせたら。そんな願望を強く抱いているのに、ルミナの足は震えていた。果たして自分の力だけで、座長を立ち直らせることができるのだろうか。 不意に、ミルクバーの扉が開いた。階段を軽い足音が降りてくる。 「ここでサウンドチェックをさせてほしいんだが」 なんとなく聞き覚えのある声だった。彼女が振り向いた先には、 「ミ、ミカウ……!?」 ゾーラ族の、伝説のギタリストがそこにいる。水色のひれ、ほどよくついた筋肉など、昔ライブで見た時のままだ。ルミナの背筋を、ぞくぞくするような感覚が通り抜けた。 その後ろからはマネージャーのトトもやってくる。彼はフロアの掃除をしていたマスターに頭を下げた。 「いきなりすみません。ミカウが突然ワタクシのところに来て、カーニバル本番のステージをチェックしたいと言い出して。アロマ夫人が町から逃げろって言ってるのに……」 「たまたまクロックタウンに来たんだ、いい機会だろ」 軽口で答えるミカウは、まるでスポットライトが当たっているかのようにキラキラ輝いて見えた。 彼はステージを視線でひと舐めし、不意にくるりとルミナに振り返る。 「そうだ、お前ギターできるだろ」 「へ!? わ、わたしですか」 「さっき外で聞いた。サウンドチェック、手伝ってくれよ」 これは夢なのだろうか。いや、もう夢でもなんでもいい。ルミナは勢い込んで、 「やります、やらせてください!」 と宣言し、夢が覚めないうちに、と猛スピードで従業員室からギターを取ってきた。 ラッテの奥にあるライブ用ステージに、ミカウと一緒に上がる。憧れの人と同じステージに立っているのだ。ルミナは頭がくらくらしてきた。なんとか両足で板張りを踏みしめる。 「あ、あの、サウンドチェックって、曲はどうします?」 「あれしかないだろ」 ミカウにウインクされて卒倒しかけながら、ルミナは承諾する。 ダル・ブルーで一番有名な曲であり、ライブではチューニング後にワンフレーズだけ合わせた後、アンコールで演奏するのが定番だ。サウンドチェックと言えばあれしかない。 「ワン・トゥー・スリー!」 ミカウのかけ声に合わせて、ルミナは指を弦に滑らせた。 ギターによる二重奏。ミカウの演奏は力強くも涙を誘う、彼の持ち味が十分に生かされたものだった。彼とハーモニーを重ねる度に、ルミナの心は震えた。 「オーケー、いい感じだ!」 一度曲を区切ると、トトが歓声を上げる。 「なにが 『いい感じ』だ! ワケのわかんねえヘボイ演奏しやがって」 いつの間にか目覚めていたゴーマン座長が、カウンターに寄りかかってわめき散らした。まだ酔いが残っているらしく、生ける伝説のギタリスト・ミカウがここにいることも分かっていない。 ルミナはミカウと目を合わせ、うなずいた。 (絶対、座長の心にメロディを届けてみせる……!) 再びセッションした二人は、サウンドチェックという枠を超えて一つの音楽を作り出した。演奏中にルミナが目を閉じると、グレートベイの潮騒が曲に重なって聞こえた。 最後の音が鳴り終わった瞬間、少ないけれど熱のこもった拍手が二人を祝福した。 「ブラボー! 最高だっ」 トトがぐっと拳を振り上げる。マスターも皿を拭く手を止めて熱心に手を叩いていた。 満たされた気持ちでステージから降りながら、ルミナはミカウにささやきかける。 「それにしても、なんでミカウがこんなところに? クロックタウンに用でもあったんですか」 「いや。実はオレ、幽霊なんだ」 「えっ」 びっくりして確認したが、体はどこも透けていないように見える。ミカウは笑った。 「冗談。オレがここにいたこと、内緒にしてくれよ」 「わ、わかりました……」 「ほら、座長がお待ちかねだ」 背中を押され、ルミナは座長に一歩一歩、近づいていく。彼は興奮した様子でトトと話していた。 「あのメロディーは、わしの思い出の曲!」 トトがうなずいた。 「スタンダードナンバー『風のさかな』。先代、ダル・ブルーの名曲だ」 座長は震える唇を強く噛んだ。うつむいているが、どうも涙をこらえているように見えた。 「芸の世界に身を投じたのも、昔カーニバルでこの曲を聞いたから……。芸をやってりゃ、いつか歌の主に出会えるんじゃねえか、って思ってたんだ」 「そうかい。あんたが聞いたのは、初代ルル――ルルの母親だろう」 「今は娘が歌っているのか。聞いてみてえなあ」 ゴーマン座長はざっと目元を拭うと、椅子を回してルミナに向き合った。 「ルミナ、さっきはヤジって悪かったな。いい演奏だったよ、ありがとう」 「えへへ……ミカウのおかげだよ」 照れてそっぽを向いたが、素直な感想が彼女の胸にしみた。座長はごそごそ荷物を探った。 「欲しくねえだろうけど、もうすぐカーニバルだ。わしの面、受け取ってくれ」 手渡されたのは、ゴーマン座長の顔をデフォルメしたお面だ。しかも、どういう仕掛けか目の部分からぽろぽろ涙をこぼす。 「な、なにこれ。座長がつくったの?」 呆れたような声とは反対に、ルミナの顔はほころんでいた。 「そうだよ、悪いか?」 「いや……全然!」 感極まり、彼女は思わず座長に抱きついた。 「うわっルミナ!?」 「座長、今日まで町に残ってくれてありがとう!」 どうしてもそれだけは伝えたかった。自分の行動が、巡り巡って彼を町に留まらせ、ミカウの助けも借りることで、座長の心に音楽を届ける結果をもたらした。ルミナは時の繰り返しが始まってから、ほとんど初めて何かを成し遂げたのだ。 「一座の皆は、先にゴーマントラックに避難させた。わしらもすぐに向かうぞ」 ルミナは体を離し、にっこりした。 「うん。わたしも……あとで行くから」 ゴーマンは酔いを感じさせない確かな足取りでバーを出て行った。その後ろ姿は、この「三日間」で一番背筋が伸びていただろう。 ルミナはいつの間にか目の端ににじんでいた涙を袖で拭いた。ふとバーの中を見回し、ミカウがいないことに気づく。トトもいないので、もう帰ったのだろうか。 「なかなか良かったぞ」 ――と。いきなりバーの客席から顔を出したのは、なんとリンクだった。 「うんうん、メロディは物悲しいのに、力強さがあって……聞いてるオレまで元気になれる感じだった」 との発言はリンクの隣に立つ銀髪の青年から発せられた。ルミナは目を見開く。 「リンク、聞いてたんだね! いつの間に。それにキミは――誰だっけ?」 青年はがくっと肩を落とす。 「ゼロだよ。名乗るのは初めてだったかな。結構前の三日目に、ルミナはオレをミルクバーに誘ってくれたよね」 「えー? そうだったかなあ」 彼女は首をひねる。そういえば、見たことがあるような……そうだ、「前回の一日目」にも目撃したではないか。時の繰り返しの影響を受けず毎回違う行動をする、青い妖精をつれた旅人だ。 「あ、ちょっと思い出したかも。でもゼロ、なんか雰囲気変わったよね?」 ゼロは器用に片方だけ眉を持ち上げた。彼らしくない表情だった。 「そうかな」 「きっとそうだよ。だから分からなかったんだ」 ルミナは一人で合点している。 「そうだ。二人はミカウがどこ行ったか知らない?」 「ミカウさんは……か、帰ったよ」 ゼロは明後日の方向を見ながら答えたが、リンクに肘で腹を押された。 『それは無理があるでしょ』 とチャットがささやく。が、幸いにもルミナは納得したようだ。 「そっか。ちゃんとお礼言いたかったな。また時を巻き戻しちゃうから、言えないね」 「必ず伝わるさ」 力強く断言するリンクに、ルミナは頬を緩めて安堵したようだ。 ――イカーナ地方からクロックタウンに戻ってきたリンクたちは、ルミナに会いに行った。しかし彼女はすでにナベかま亭を引き払っていた。宿の大部屋にはゴーマントラックに出発する直前のゴーマン一座がいて、リンクのことを「マスター」ともてはやすローザ姉妹から、「ルミナはミルクバーに行ったのではないか」「あそこはカーニバル興行のステージになる予定だった」「あの子はミカウのファンだったから、カーニバルが中止になって残念がっているだろう」と聞かされた。 ナベかま亭ロビーに降りると、しょぼくれた表情をしたダル・ブルーのマネージャーと出くわした。彼は、せっかく歌姫が声を取り戻したのにライブができなくなった、と嘆いていた。 ルミナ、ミルクバー、ステージ、ミカウ、そしてゾーラの仮面がリンクの頭の中でひとつにつながる。こうして彼はゾーラに変身し、サウンドチェックの名目でラッテを訪れたというわけだ。 ゾーラの仮面で変身したリンクは、もちろんミカウ自身ではない。だが仮面に宿る魂は本物であり、「ミカウ」は悩むルミナの背中を音楽で押してやりたい、と言っていた―― 憧れの人と共演できた彼女は、上機嫌でバーカウンターの上からメニュー表を持ってくる。 「ね、時の歌を吹く前にちょっとだけ飲まない? わたしおごるから! それに、今までのこと、いろいろ話したいんだ」 ゼロは目を輝かせ、 「リンク、どうする?」 「……おごりなら悪くないだろ」 肩をすくめて肯定した。この少年も柔らかくなったものだ、とゼロはくすりと笑った。 それからは、お互いに今までの「三日間」でどのような経験をしてきたのか、順繰りに話をしていった。生ける屍の巣窟であるイカーナ王国に赴き、その暗雲を晴らしてきたとリンクが話すと、ルミナはうそ寒そうに肩を抱いて震えていた。 逆に彼女がロマニー牧場でカーフェイを巡る修羅場に遭遇した話をすれば、妖精たちも含めて皆が恐れおののいた。ある意味、ムジュラの仮面の呪いよりも怖い。 ゼロは正体が鬼神であったことを適度にぼかしつつ、自身の記憶とお面が関係していることを打ち明けた。 「へえー、お面が記憶の手がかりなんて面白いね」 ルミナは不思議な現象を、面白いの一言で片付けた。なかなかの理解力だ。面倒な解説をせずに済んで、ゼロはほっとした。 「つまり、わたしは次の三日間でお面をいっぱい集めたらいいんだね」 彼女が身を乗り出すと、ゼロは申し訳なさそうに頭を低くする。 「もしかして、ルミナも手伝ってくれるの……?」 「もちろんだよ! 乗りかかった船だしね」 その時、ルミナはふと思い出した。いつかグル・グルから聞いた、「全てのお面を飲み込むお面がある」という噂を。あの話は、何かゼロと関係があるのだろうか。 「そういえばわたし、結構お面持ってるけど、これもゼロに必要なものなのかな。だったらあげるよ?」 ゼロはゆっくりと首を横に振った。 「まだ、持っててくれるかな。オレもあんまり心の準備ができてなくて……。その時が来たら渡してほしい」 「分かった」 正直、一度にたくさんの記憶を頭に入れるのが、怖かった。ゼロはまだ、鬼神としての自分に折り合いをつけたわけではない。すべての記憶が戻った時、自分は別人になるのではないかという恐怖はまだ消えていない。 一度は引き下がったルミナだが、どうしてもコレクションを自慢したかったのか、 「でも、見るだけ見てくれない?」 ずらりとカウンターの上にお面を並べた。ブレー面、うさぎずきん、カーフェイのお面、そしてつい先ほど手に入れた座長のお面。リンクは思わず唸った。クロックタウンとロマニー牧場の往復で、ここまで集められるとは。 ゼロは並べられたお面にぼんやりと目線を落とした。 「これ……」 そのうちの一つ――うさぎずきんに自然と手が伸びた。 『ゼロさん!』「おいっ」アリスやリンクの咎める声も聞こえず、意識せずにお面に触れてしまう。 ――ゼロの目の前が白く染まる。一瞬後、青白い横顔が見えた。波打つプラチナブロンドに喪服の、例の少女だ。 夜だった。イカーナ古城が古城でなかった時代の、まだ古びていないテラスで、手すりに体重を預けて少女は微笑む。 『鬼神さん、ナイショの話をしてあげます』 今や呼ばれた名前ははっきりと聞き取れる。やはり自分は鬼神なのだ。 『私はここじゃ、死神だとか呼ばれているでしょう。でもね、本当の名前は――』 軽く息を吸い込み、 『ムジュラっていうんです』 にっこり笑った彼女は、絵画のような無機質な美しさを誇っていた。 (……っ!) 無言の衝撃が「ゼロ」を貫いた。 ――ゼロは水中から顔を出した時のように、大きく肩で息をした。薄暗いミルクバーで、仲間たちが彼の顔を覗き込んでいる。 「行かなきゃ……」 気づけば声に出していた。リンクが眉をひそめる。 「何か、思い出したのか」 妖精たちまで含めた真剣な雰囲気にルミナだけがついていけず、目を白黒させている。 ゼロは熱に浮かされたように呟いた。 「時計塔の上で、待ってる人がいる」 その人の名は、ムジュラ。きっとスタルキッドと一緒に、彼女はゼロがやってくるのを今か今かと待ち構えているのだ。 * どことも知れないのどかな原っぱで、真っ黒なワンピースを着た少女が退屈そうに伸びをした。 「あーあ、早く来ないかな……いい加減待ちくたびれましたよ、鬼神さん」 時を巻き戻す旋律が響き、全てを白紙に戻す光がこの異世界にも迫る。 最後の瞬間、桜色の唇が弧を描いていた。 ←*|#→ (119/132) ←戻る |