月と星

5-5.その背を押すもの


「鬼神さん」
 彼女はゼロを、そう呼んだ。
 あの白昼夢を見るたび、どうしても聞き取れなかった「自分の」名前だ。自身が「鬼神」であることを知ったゼロは、驚きつつも冷静に受け入れていた。
 あの少女は、ゼロではなく鬼神に向かって微笑みかけていたのだ。
 彼女は一体誰なのだろう。低い背丈に、波打つ金髪を持ち、喪服のような真っ黒なワンピースを着て、ゼロの記憶の中に何度も現れる。だが、タルミナをめぐる長い旅の中でも、まだ一度も出会ったことはない。彼女は幽霊四姉妹と同じ時代――すなわち過去のイカーナ王国にいたので、同じく亡霊になっているのだろうか。イカーナではそれらしき噂は聞かなかったけれども。
 ゼロがお面によって取り戻した、彼女に関する最後の記憶は、「今更遅いですよ」と言って武器を構える冷徹な姿だった――
『おーい、話聞いてる〜?』
 もう少しで、彼女の正体に迫れるかもしれない。鬼神に何が起こって、記憶を失う羽目になったのか。その鍵は彼女が握っているに違いない、とゼロは考えていた。
『ダメね。ぼけっとしてるわ』
「叩くか?」
『ま、待ってください! ゼロさん、ゼロさん起きてくださいっ』
「……はっ!?」
 アリスの必死の声が耳に入り、ゼロはやっと自失状態から立ち直った。
 視界は薄暗い岩壁に囲まれていた。見覚えがある。大妖精の洞窟だ。
 洞窟の真ん中にたたえられた泉の上には、青色の長い髪を編み込み、羽を生やした泉の主が浮かぶ。大妖精は怪訝そうに、旅の仲間たちは呆れたように、ゼロの顔を覗き込んでいる。彼はのけぞった。
「うわっ。みんなどうしたの」
「どうしたと言いたいのはこっちの方だ」
 間髪入れずに飛んできたリンクの声が、いつもより低い。これは不機嫌のサインだ。
『まさか、またあの白昼夢?』チャットが訝り、ゼロは慌てて取り繕う。
「違うけど、そのことで考え事してた。ごめん、話続けてください」
 谷の大妖精はため息をついて腰に手を当てた。
『じゃあ、最初から話すよ。仕方ないなあ』
「スミマセン……」
 大妖精は軽く肩をすくめた。
『改めて。みんな、ロックビルを解放してくれてありがとう。これで、四方全ての大妖精が復活したよ』
「ってことは、つまり――町の大妖精様に会えるってこと!」
 ゼロは目を輝かせた。彼が旅に出た最初の目的は、まさしく町の大妖精の復活だったのだ。そのために四方の大妖精を助けて回っていた。
「やったねアリス!」彼は相棒に笑顔を向けるが、
『ええ、はい……』
 彼女は生返事をした。
「あれ。どうしたの?」
 アリスは何やら物思いに沈んでいるらしい。とりなすように、大妖精が言った。
『ま、とにかく、町の大妖精には次の三日間が始まった時に会いに行ったらいいよ。残念だけど今はまだ都合がつかないみたいだからね、僕らの妹ちゃんは』
 タルミナの大妖精は姉妹関係にあり、町の大妖精は確か末妹だった。妹が一番力が強い、というのも不思議な話だ。
 ゼロはぼんやりと、(やっぱり大妖精様は時の繰り返しに気づいていたんだな)と思った。
 谷の大妖精はにこっと笑って、
『きっと妹はきみたちの助けになってくれる。これから先何があっても、きみたちなら大丈夫だって!』
 明るく言葉を結び、ゼロたちを送り出してくれた。
 洞窟から出て、すぐにリンクは宣言した。
「今日は水車小屋で休ませてもらえるよう、俺が話をつけるからな」
 イカーナでゼロが単独行動をしている間に、リンクは水車小屋の主と知り合いになっていたらしい。出会ったばかりの頃とは違い、ごく当たり前のように他人に頼ろうとしている。ゼロは無性に嬉しくなった。
「分かった!」
「なんだ、妙に元気のいい返事だな」わずかに身を引くリンク。ゼロは満面の笑みで、
「へへ。リンクと一緒に旅ができるのが、楽しいんだ」
『それもそろそろ終わるけどね』
 チャットが嫌味のように言った。ゼロは瞬きする。
「旅の終わりが一生のお別れ、っていうわけじゃないでしょ?」
 不意をつかれたように、リンクは口をつぐんだ。次いで、少し顔をそらす。
「……俺はタルミナを出るぞ」
「そっか。故郷に帰るの?」
「さあな、行きたいところに行くだけだ」
 ふん、と鼻から息を吐く。ゼロは微笑んだ。
「いいなあ、それ。オレもついて行きたい」
 リンクは露骨に眉間にしわを寄せた。
「お前の面倒をみるのはもうたくさんだ」
「え、オレの!?」
 チャットが白い光を瞬かせた。
『実際そうでしょ。グヨーグと戦ってる時に水に落ちたり、今回だって勝手に行動した挙句、一人で行くとか言い出したり』
 反論できなかった。ゼロは窮屈そうに縮こまり、チャットはいかにも意地悪そうな声を出した。
『でも大丈夫よ、アンタの面倒はアリスが見てくれるから』
『わ、私がですか?』
 突然話を振られたアリスは狼狽えた。
「アリス〜」ゼロは半分涙目だ。
『あの、ええと、ゼロさんがお嫌でなければ……わ、私は、是非そうしたいと思ってますけど……』
 アリスは何故だか少し嬉しそうに、もごもご喋る。青色の光がちかちか明滅していた。
 適当に話を振ったことを、チャットは後悔した。まさかのろけが返ってくるとは。己に向けられるひたむきな思いに、ゼロが気づいているかは分からないが……。
 そんな話をしながら水車小屋へ向かう途中、一行はイカーナ城の前を通りがかる。リンクはぼそっと隣の青年に訊ねた。
「……いいのか?」
 寄っていかなくてもいいのか、という意味だろう。アリスも心配そうな視線をゼロに向けた。鬼神はかつて、イカーナ軍の客員将軍だったのだ。ロックビルを攻略したことについて、主君に報告すべきではないだろうか。
「うん、今はいい」
 ゼロはきっぱり言い切る。
「スタルキッドを止めて、ちゃんと全部終わらせてから、話しにいきたいんだ」
「分かった」
 リンクはそれ以上追及せず、すぐに足を速めた。ゼロはその背中を目で追って、にこりとした。
 小さな勇者に追いつけば、リンクはふと晴れ渡ったイカーナの空を見上げた。
「そういえば、あいつはどうしているかな」
「あいつって?」
「ルミナという女だ。お前たち以外で唯一、時の繰り返しに気づいている。クロックタウンで待っているはずだが――」
 ゼロの紅茶色の瞳が大きくなった。
「オレたち以外にも、気づいてる人がいたんだ……!?」
 リンクはこっくり頷く。
「そうだ。俺たちのように戦えるわけじゃないが、町の人々のために行動しようとしている」
「へえ、前向きなんだね」
 ゼロはどんな人なんだろうと想像する。実際は名乗り合っていないだけで、すでに彼女とは面識があったのだが。
『ねえ、あの子にもお面集めに協力してもらったら? 人出は多いほうがいいでしょ』
 チャットの提案に、ゼロは小首を傾げる。
「オレのために? 申し訳ないなあ……でも、もし手伝ってくれるなら助かるよ。ね、ルミナって、どんな人?」
 リンクはチャットと顔を見合わせる。少年が片頬を持ち上げながら、言った。
「お前とは違う方向に変な奴だな」


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