* リンクとゼロは、部屋のど真ん中に空いた穴の淵に立ち、下を覗き込んだ。薄黄色の砂の平原が視界に広がった。 ロックビルの神殿最深部だ。光の矢による天地反転、フックショットでの足場渡り、ミラーシールドを活用した太陽ブロックの消去など――相当のアイテムを駆使してたどり着いた目的地だった。もしこれらの道具を所持していなかったら、と考えるとゾッとした。 (ここはまるで、異邦人の俺が到達するために作られたような神殿だな) リンクは不思議な気持ちを抱いていた。このタルミナで出会う人々の中には、ハイラル時代の知り合いにそっくりな人が何人もいた。ある意味では、彼とスタルキッドの対決は、天に定められたことなのかもしれない。そう思わせる何かが、彼の胸にこみ上げていた。 しかし、彼はそれらの疑問を表に出さず、眼下の砂海を見渡して、ぽつりと呟く。 「今、俺たちの世界では空が下にあるだろ」 「うん」ゼロが頷く。 「じゃああの砂は、もともとどこにあったんだろうな」 「……考えちゃいけないことなんだよ、きっと」 天地が反転したこと自体無茶苦茶なのだから、とゼロは言外に告げていた。 『いいからさっさと行きましょ! はぐれ妖精も全部集めたし、ここの神様さえ解放できれば、アタシの弟を助けられるのよっ』 チャットは非常に意気込んでいる。ゼロは残った矢の本数を確認し、頷いた。 「オレは準備万端だよ」 「よし……行くぞ!」 二人は意を決して穴に飛び込んだ。 謎の力が働き、体はゆっくりと落下していく。降り立った先は、石の床だ。ナベかま亭の一室くらいの大きさである。その向こうはすべて砂だった。まるで神殿の中とは思えないような、雄大な景色が広がっている。 「……来るぞ」 地面が揺れた。砂の中から顔を出したのは、巨大すぎるムカデだった。 『大型仮面虫ツインモルドです!』 アリスの叫びに反応したように、仮面をつけた虫が全貌を現わす。体色が赤いものと青いもので、二体もいた。 「あ、あんなに大きい奴と、どうやって戦うの!?」 早くもゼロはパニック気味である。そういえば彼はスタル・キータとも会っていないのだ。とはいえ、この大きさはさすがのリンクにもお手上げだ。 「あの巨人、助けてくれると言っていたが――」 ならばぬけがらのエレジーでも奏でるべきだろうか。リンクはオカリナを取り出そうとするが、 「危ないっ!」 ゼロが彼の首根っこを掴み、石の床を走った。今まで二人が立っていた場所を、ツインモルドの体がかすめた。砕けた岩の破片やら魔物が吐いた火球やらが飛んできて、オカリナを吹くどころではない。 砂地に逃げようにも、柔らかい地面に足を取られてしまう上、いつ足元からツインモルドが姿を現わすか分からないのだ。 「弓でもうまく狙えない。せめて、向こうがもっと遅かったら……」 ゼロが焦りながら空を睨みつけた。そんな彼の服を、リンクが引っ張る。 「よし。ゼロ、お前時間稼ぎをしろ」 「え!?」 「なんでもいいからおとりになれ!」 リンクは戸惑う青年を強引に前に押し出すと、デクナッツに変身した。 『何やってるのよ、アイツ!』 『きっとリンクさんなりの考えがあるんですよ』 怒りで体色を赤くするチャットを、アリスがなだめる。 「分かったよ、なんとか引きつけてみるよっ」 ゼロはほとんどやけっぱちで、当たらない矢を打ち放し始めた。 リンクは静かに集中し、時のオカリナの変化した姿であるデクラッパを操って、ぬけがらのエレジーを吹いた。その場にデクナッツのぬけがらが召喚される。 「これでいいはず……」 彼は再び人間の姿に戻って、ゼロに合流した。敵の攻撃から逃げ回るうちに、だんだん疲労が蓄積してきた。 「なんとか打開策を見つけないと」 ゼロが息を荒げながらツインモルドに目をやった、その時。ずしん、ずしん……と足音がした。 「ええっ」 ゼロが振り向き、目を丸くする。リンクは微笑を閃かせた。 「やっと来たか!」 砂煙でかすむ大地に、忽然と骨の巨人が現れた。彼はのしのし歩くと、ツインモルドのうち一体を掴んで、身動きをとれなくする。 足元には、何十ものスタルベビーたちがいた。彼らは動きを止められた青いツインモルドに群がって、固い装甲に手をかけた。 「す、すごい……」 ゼロは弓を放つことも忘れ、圧倒されていた。見ていると、骨の軍団から離れた場所にぽつんと一人だけ、小さなデクナッツがいることに気づく。 リンクが誇らしげに言った。 「あいつが『表の神殿』まで行ってくれたんだ」 デクナッツはこちらに手を振ると、空気に溶けるように消えた。 『だから、ぬけがらのエレジーを吹いたんですね』 魂のぬけがらをこちらに残すことで、表側の神殿にいた巨人を呼びに行ってもらったのだ。 チャットはりいん、と羽を鳴らした。 『あの巨人、スタル・キータ……じゃないわね。アンタの知り合いなの?』 「表の神殿で世話になったやつだ。イカーナ王国軍の隊長格らしい」 「イカーナの……」 ゼロはふっと眉を曇らせた。 「ぼうっとしてる暇はないぞ!」 リンクの叱咤が飛んだ。骨の巨人の足元に、もう一体のツインモルドが絡み付いたのだ。スタルベビーたちが応戦するが、次々とふりほどかれていく。 「大変だっ」 ゼロは巨人を助けようと、赤い虫を狙って光の矢を構えた。 「うう、あんなに遠いのか……」 ぎりぎりと弓弦を引き絞りながら、彼は冷や汗をかいた。相手との距離があるほど、少しの角度のズレが、的を外すことに直結してしまう。 「自信がないなら俺に貸せ!」 畳み掛けるようにリンクが言った。圧倒的に彼の方が力が弱いにもかかわらず。ゼロはどきっとした。先ほどの疑問が脳裏に蘇った。 (ずっとリンクの背中を追いかけるだけなんて……そんなの嫌だ) できるものなら、その隣を歩きたい。さらには追い抜かして、彼の進むべき道を示してあげたい―― 「いいや、オレがやるッ」 目一杯腕に力を入れる。矢尻から光があふれ、魔力のオーラがあたりを覆った。 解き放たれた矢はまっすぐ飛んで、見事にツインモルドの目を射抜いた。 「いいぞ!」 リンクが叫んだ。ゼロは続けて二本、三本と乱射する。巨人に掴まれているもう一匹をけん制する役割も兼ねていた。 定点から攻撃を仕掛けるゼロから離れ、リンクは砂を蹴ってイカーナ軍に駆け寄った。その勢いのまま、巨人が押さえ込むツインモルドの体に飛び乗ると、体表面の凹凸をしっかりと掴んで登っていく。目玉を目指す小さな勇者の体は、空高くにまで上り詰めた。すると、ツインモルドが身をよじって巨人の拘束から脱出した。 『リンクさん!』 このままでは空中に投げ出されてしまう、とアリスが心配の声を上げたが、問題なかった。フェザーソードが閃き、ツインモルドの体の継ぎ目にある弱い部分に、狙い過たず突き刺さる。やった、とゼロが歓声を上げた時―― 「なっ……!?」 フェザーソードが、根元から二つに折れた。 相手が硬すぎたのだろうか。支えを失って、リンクはなすすべもなく落下する。ゼロは、のたうつツインモルドをスタルベビーと巨人に任せて、即座に着地地点に向かって走り出した。しかし、砂に足を取られて思うように進めない。 「リンクー!」 何があっても彼の隣を歩くと決めたのだ。グレートベイの神殿からずっと助けられてばかりの自分が、成長してみせると決めたのだから。 ゼロは宙に向かって手を差し伸べた。 「お願いします、大妖精様!」 ロックビルのはぐれ妖精たちが、避難していた異空間から解き放たれる。妖精が作る青色の雲がもくもくと上昇し、落ちるリンクを包み込んだ。だが、勢いは弱まらない。 「間に合え……!」 その間にゼロは全力疾走して、落下するリンクの下に回り込んだ。ぎりぎりで、二つの影が重なる。 鈍い音とともに、砂煙が立った。二人の姿が見えなくなる。 『ゼロさん!』『大丈夫!?』 妖精たちが駆け寄った。 砂煙が晴れると、そこにはゼロを下敷きにしてぺたんと座る、リンクがいた。二人とも砂まみれだが、怪我はないようだ。 「……助かった、礼を言う」 「オレ、何もしてないけどね」 ゼロは照れ臭そうに笑った。リンクの危機を救ったはぐれ妖精たちは、祝福するように周りにふよふよ浮かんでいる。 気づけば、あたりは静かになっていた。ゼロの光の矢とリンクの決死の特攻が決め手となって、イカーナ隊がツインモルドを倒したようだ。 リンクは緊張を解き、手の中を見る。そこには柄だけになった剣が残されていた。 「あの鍛冶屋、仕事を怠ったな……」 思わず舌打ちした。何回か前の「三日目」、山の鍛冶屋でフェザーソードを鍛えたことを思い出した。またあそこに修理に出すことになるのだろうか。今度会ったら容赦しないぞ、と心に決めるリンクだった。 「リンク……」すぐそばで、不満そうなゼロの声がする。 「何だ?」 そういえばまだ彼はゼロの上にいた。すぐに退く。 「これでいいか」 「そうじゃなくて。……あんまり、無茶しないでほしいんだけど」 なんだそういうことか、とリンクはくすりと笑った。 「別にいいだろ。お前がその分カバーしてくれれば」 「えーっ、そんなのずるいよ!」 なんやかんやと言いつのるゼロを無視して、彼は空を仰いだ。目線の先には、戦いに協力してくれた巨人の姿がある。 「……ご苦労だったな」 真面目そのもののリンクの言葉を聞いて、ゼロは決まり悪そうに口をつぐんだ。これが鬼神のなれの果てか、と巨人たちに呆れられていなければいいのだが。 幸いにも、巨人たちは厳粛な空気を保ち、ぴしりとかかとを揃えた。 『隊長。本当にありがとうございました。この何百年と続いてきた胸のつかえが、取れた気がします』 大きく敬礼した巨人たちの姿が、だんだん薄れていく。リンクは顔に手をやり、はっとした。今、彼は隊長のボウシを被っていないのに、巨人は「隊長」と呼んでくれた―― 後には巨人の仮面と、ツインモルドの亡骸が残された。 二人と妖精たちは、ゆっくりと仮面に近寄った。 『いよいよ最後の神様とご対面ね』 チャットが羽から光の粉を散らす。長い長い三日間の旅が、終わりを迎えようとしていた。 「……行ってくる」 リンクがちらりとゼロを振り返る。目線の先で、紅茶色の瞳が優しく細められた。 「うん」 戦友となった二人は頷き合った。 * ツインモルドの亡骸を手にしたリンクは、次の瞬間、雲の上のような空間に立っていた。いつもの、神様との対面の場だ。 チャットが涼やかに羽を鳴らして飛んだ。 『さあ、アンタの友達はみんな助けたわ。アタシたちのできることはココまでよ』 すると、リンクにはうめきとしか思えない声が返ってきた。神様の言葉をチャットが通訳する。 『わ・た・し・た・ち・を・よ・ん・で』 チャットはふん、と息を吐くような声を発した。 『言われなくても分かっているわよ。今度は逆に、アンタたちにしっかり働いてもらうわよ! 時計塔の上で呼ぶからアイツを何とかしてよ! わかってる?』 アイツ――すなわちスタルキッドのことだ。あくまで彼女は、友人を止めようとしているのだ。友人がとんでもないことに手を出していることが、ある意味では月が世界を滅ぼしてしまうことよりも、重要なのだろう。いかにもチャットらしい考え方だった。 谷の神から返ってきたのは、どことなく沈むような声だった。 『なに? 悲しそうな声を出して。イヤなの……?』 不安そうに体を明滅させる妖精。すると、二人の視線を集めていた雲が風に吹かれて、カーテンを引くように視界が開けた。 ついに、神様がその姿を現したのだ。長い長い足の先についた、冗談のように小さな胴体。顔には大きくてつぶらな瞳を持っていた。これが、タルミナの守護神―― 巨人はリンクたちに語りかけた。 『と・も・を・ゆ・る・せ』 懺悔するような声色だった。リンクは目を見開く。 『友を許せ? 許せって……何を? えっ、友……』 スタルキッドのことだ、とリンクは直感した。とすると、古の神様とあの小鬼は、一体どうやって知り合ったのだろうか。彼は咎めるようにチャットへ視線を向けた。 『し、知らないわよ。アタシたちがスタルキッドと出会ったのだって、結構最近なんだから』 その話は聞いたことがある。チャットとトレイルの姉弟は、ある雨の日、タルミナ平原でひとりぼっちで震えていたスタルキッドと出会ったのだ、と。 「……いずれ、分かるか」 リンクはひとりごちた。 時計塔に上り、スタルキッドと対峙した時に、全ては明らかになるはずだった。 * 神様との対面を終えたリンクとチャットは、ロックビルの神殿入り口に舞い戻った。いつの間にか、逆転した天地は元通りになっている。 ゼロとアリスは待ちくたびれたように二人に駆け寄った。 「ついに、スタルキッドと対決するんだね……!」 ゼロは両手を握りしめた。しかし、リンクはぴしゃりと釘を刺す。 「まだだ。お前の記憶が全部戻ってないだろう」 「あ、そうだった。でも、わざわざそのために、対決を先延ばしにするのは……」 戸惑うゼロに対して、リンクは平然としていた。 「俺の手元には、仮面やお面が集まりやすいらしい。お前一人で集めるよりも効率はいいだろう。 ……それに、一度始めたものはやりきらないと、気持ち悪いだろ?」 『リンクさんらしいです』 アリスの声には微笑の響きがあった。 リンクはそっと胸元に手をやる。ゴロンの仮面、ゾーラの仮面、巨人の仮面――それにデクナッツの仮面。目の前にいる仲間だけでなく、仮面となった魂たちも、彼らに力を貸してくれる。 いつか約束通りデクナッツの執事に会いに行くためにも、歩みを止めるわけにはいかない。 「行くぞ、ゼロ」 リンクは迷うことなく手を差し出した。 「うん!」 ゼロは笑顔でその手を取った。 ←*|#→ (116/132) ←戻る |