月と星

5-1.スタル・キータ


 もう何度目になるのだろう、ここを訪れるのは。
 最初はスタルキッドを追って足を踏み入れた。オカリナで時の歌を吹いて以降は、毎回この場所がリンクとチャットの「スタート地点」だ。
 ウッドフォールを浄化し、スノーヘッドに春を取り戻し、ロマニー牧場で夜盗を退治して、今回グレートベイに平和をもたらした。そのたびに、同じ薄闇の中で目を覚ましている。

 お面屋の根城でもあるこのクロックタウン時計塔内部では、何故か時間が経過しない。閉ざされた扉の先がリンクの故郷とつながっていたことといい、もしかするとこの空間はタルミナではないのかもしれない。

『いよいよ、最後の神殿ね』

 チャットの小さな呟きを、リンクの耳はしっかり拾った。

「そうだな」
『谷を解放すれば、誓いの歌で巨人を呼んで、それで終わりかあ……』

 その独り言にはどこか寂しげな響きがあった。リンクは瞬きをする。

「どうかしたのか」
『べ、べつにアンタと別れるのが寂しいとかそういうわけじゃないわよ、トレイルが帰ってくるんだし! アンタこそ、アタシがいなくなったら嫌なんじゃないの』早口に否定するチャット。
「オレは――」

 寂しい、寂しくない。どちらの感情とはいえない。ただ。

(自分から離れていく青い光が、忘れられないだけだ)

 無言で扉を押し開けると、すぐ目の前に人が立っていた。

「……!」

 さしもの彼も仰天して声が出ない。こんなこと、今まではなかった。つまり、時の繰り返しに気づいている人間にしか出来ない芸当だ。

「い、いた――リンク!」

 その人物、ルミナは目元を赤く染めていた。

「抱きしめさせてくださいっ」

 彼女は両手を広げると、リンクの返事も待たずに飛びついてきた。拒否する理由もなかったので、少年はされるがままになっている。

『ちょっとアンタ、いきなり何してんのよ』チャットがきいきい叫ぶ。

 リンクはルミナの肩が震えているのに気づき、とんとんと優しく叩いた。

「……ふえぇん」
「満足したか」

 くぐもった声だった。華奢な乙女の腕だろうと、全力を出せば少年の肺がつぶれて仕方ない。ルミナはやっと身を離す。

「何があったか、訊いてもいいか」

 少女は腫れた目をこすって、こくりと頷いた。

「実はね――」

 そして語った。一つ前の三日間で、彼女がとった行動を。手に入れたアイテムも、出会った人のことも。

「そうか。時の繰り返しの影響は、蓄積しているんだな」
「だと思う。でなきゃ説明がつかないことが多すぎるもん」

 リンクも薄々感じてはいたが、毎回別の場所に出かけていたので確証はとれていなかった。クロックタウンを拠点として活動する彼女だからこそ、察知できたのだろう。
 時を巻き戻した分だけ恐怖が積み重なるのならば、ますます先を急がなくてはならなくなった。

「みんな、何とかしてあげたいのに、わたしじゃどうにもできないんだ……」

 ルミナは無力感に苛まれているようだった。アンジュやクリミアに関するごたごたに彼は干渉していないが、ゼロを通じてだいたい把握している。知り合いなら気に病むのも当然だろう。
 リンクは、あごに手をあてた。

「少なくとも一つは、俺が手伝えるかもしれん」
「ホントに!?」ルミナは飛び上がらんばかりだ。
「ああ。ローザ姉妹とやらのところに案内しろ」

 嬉々として踵を返す彼女は、先ほどまでの雰囲気が嘘のように、晴れ晴れとしている。
 チャットはどことなく心配そうだった。

『アンタ、踊りの振り付けなんてできるの?』
「あるだろう、便利なものが」リンクはニヤリと笑い、あるものを取り出した。
『ああー……』

 妖精は納得した。げんなりした様子で。

 ナベかま亭にたどり着くとルミナは一段飛ばしで階段をかけあがって、ゴーマン一座が宿泊する大部屋に飛び込み、

「ジュド、マリラ! 踊りの師匠を連れてきたよっ」

 と大声で吹聴した。

『どういう紹介してんのよ』

 チャットは気を揉む。しかし、

「そうだ……俺がマスターだ」

 部屋の中まで堂々と歩いて行ったリンクは、いつもより数段低い声を出した。あまりに芝居がかった調子に、チャットは吹き出しかける。

「え、この子が?」ローザ姉妹も戸惑っているようだ。その一方で、目の前の少年から発せられる、ただならぬオーラには気がついたらしい。

 ルミナがずいっとリンクを前に押し出す。

「もちろんだよ。先生、いやマスター、お願いします」
「任せろ。それで、ええと、この踊りの極意はむやみやたらと伝承することはできないんだが……」

 秘密兵器・カマロのお面を被ったリンクは、ちらりとルミナを見やる。暗に人払いをしろと言っているらしい。

「え? ああごめんごめん、すぐ出るから」
「チャットも、な」
『アタシも!?』
「ほらほらマスターの命令だよ、チャットちゃん」

 妖精は彼女に伴われ、渋々廊下に出た。
 ルミナは扉を後ろ手に閉めつつ、部屋の中の光景を想像して、ぷっと笑った。

「ああみえて、人前で踊るの恥ずかしいんだね。あんなお面まで被っちゃってさ〜」
『アレは、ねえ……』

 亡霊カマロの踊りっぷりを思い出しながら、チャットは消極的に同意した。
 二人が廊下で雑談に興じていると、

「終わったぞ」

 扉が開いてリンクが顔を出す。大部屋の中では、ローザ姉妹が拍手を送っていた。

「マスター、かっこいい!」「マスター、ウチらのステージ見てくださいね!」

 褒められて悪い気はしないのだろう、リンクはひそかに耳を火照らせていた。
 ローザ姉妹の熱心な賛辞を適当に流すと、カマロのお面を外し、ルミナたちの元へやってくる。

「これで心残りはないか?」
「うん! あんなに元気な二人は久しぶりに見たよ」

 嬉しそうに「ボンバーズ団員手帳」に書き付けるルミナをじっと観察し、リンクは腕組みした。

「それで、他にも手を貸して欲しいことがあるんだろ」
「……あはは」

 彼女は弱々しく笑った。一番大事な座長やアンジュの問題がまだ解決していない。

「悪いが、俺たちはこれから町を出る。本業の方があるからな。余裕があれば三日目には帰ってくるが、それまで待てるか」

 ルミナは目をウルウルさせながら、

「大丈夫」

 と気丈に言い張った。
 本業の詳細は不明だが、タルミナにとって重要なことに違いない。以前スノーヘッドに向かったことにも関係があるのだろう、と彼女は推測する。

「それで、二人はどこにいくの?」
『東にある谷――イカーナよ』

 チャットがこともなげに答えると、ルミナの顔がさっと青ざめた。

「何かマズイことでもあるのか」
「あそこの噂、聞いてない? 今は生ける屍がわんさか沸いてて、亡霊研究家が住んでるんだよ」
「幽霊だろうがゾンビだろうが、邪魔する者は斬るだけだ」

 背負ったフェザーソードと勇者の盾で、彼は幾つもの戦いをくぐり抜けて来た。霊の類には縁がある旅の中、今更亡霊に出くわしたところでリンクは眉一つ動かさないだろう。
 単純明快すぎる論理に対し、ルミナは咄嗟に二の句が継げなかった。

「……そっか。リンクなら大丈夫かもね」

 彼女は二人にひらひらと手を振る。

「それじゃ、またな」
『アンタも元気でやるのよ』
「本当に、ありがとう。また会えたら三日目に、ね」

 三人はそれぞれの進むべき道に戻った。リンクとチャットは「ナイフの間」の隣にある小さな部屋に入っていく。

(そんなところに何の用だろ?)

 ルミナは不思議に思いながら、自分にしかできないことを探るために宿を出た。
 リンクが扉を開くと、中にはひょんなことから彼の連れになった――ゼロがすやすや眠っていた。
 ベッドに寄り添っていた青い妖精が、こちらに気づいて宙を泳いでくる。

『リンクさん、チャットさん。おはようございます』
『おはようアリス』
「……やはりゼロは寝ているのか」

 呆れた様子で、リンクは毛布のかたまりを見下ろした。

『はい。前回の起床は十三時でしたが、今回は十四時ごろになると思います』
「何故だ?」

 アリスの返答は確信に満ちていた。

『おそらく、ゼロさんが取り戻したお面の数に関係しています。夢の中で記憶を整理しているのではないかと』
『なるほどねえ』

 相変わらず博識かつ観察眼の鋭い彼女に、チャットは感心した。……注目する対象は、ゼロだけなのかもしれないが。
 少年が椅子に腰掛けると、青い妖精が身を寄せてきた。どこか焦りをにじませて。

『リンクさん、あの』
「どうした」
『本当に、ゼロさんをイカーナへ連れていくんですか? 記憶を取り戻すことは、もしかしたらこの人にとって、辛い結果になるかもしれないのに』

(アリス……)

 チャットは彼女の思慮の深さにどきりとした。同じ妖精である自分が、一人の人間に対してここまでの感情を持ち得るかどうか。
 アリスの心境は理解しつつも、リンクはかぶりを振った。

「こいつが選択したことだ。俺がとやかく言ういわれはないし、事実……その、腕っぷしはそこそこ頼りになるからな。連れて行って損はない」

 ああだこうだと不満を並べても、彼はゼロのことを信頼しているようだ。言動の端々にそれが表れている。

 チャットも首肯した。『むしろ、これから先はゼロがいないとキツイくらいかもね』
「そういうことだ」

 しかし、まだ彼女は思い詰めているようだ。

『リンクさん……』

 アリスは弱々しく明滅した。

『もし私がいなくなっても、ゼロさんのこと、お願いします』
『ちょっとアリス、何をいきなりっ』チャットは慌てた。あまり不吉なことを口に出さないで欲しい。
『お願いします』

 リンクは冬の空と同じ色をした瞳で、懇願する妖精を正面から見据えた。

「断る。自分で面倒を見ろ。
 お前にとって、奴はそれほど頼りないのか? 『その時』が来ても自力でなんとかできるし、そもそも妖精を手放したりはしないはずだ」
(俺と違って、な)心の中で自嘲しながら。

 彼のきっぱりとした発言に、アリスの光がすうっと白くなる。

『そう……ですよね。ごめんなさい。なんだか、弱気になってしまって』
「いくらでも迷えばいい。最後に答えが見つかれば、な」
『はい。ありがとうございます、リンクさん』

 もし彼女がヒトだったなら、きっととびきりの笑顔を見せてくれたのだろう。

 無意識のうちに、視線はゼロへと集中する。これだけ大切な話をしていても眠りこけている彼が、いつの間にか全員の関心を引きつけていることに、リンクも気づかずにはいられなかった。


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