月と星

1-5.グレートベイ


 天を突き抜けるような青い空、水平線の向こうに見える白い入道雲。
 ゼロは記憶を失っているにもかかわらず、そんな固定化されたイメージを「海」に対して持っていた。

 しかし。

「暗いね」

 空はどんよりとした雲に覆われ、今にも泣き出さんばかりだ。頬に当たる潮風もどことなく湿っている。
 ゼロはぼんやりと砂浜に立ち尽くした。

『海がこの様子ですから、クロックタウンはきっと雨でしょうね』

 傍らにいる妖精――こちらは晴れた冬の空のような色の光をもっている――アリスがぽつんと呟いた。

 ゼロはため息をつく。別に、海を見ることを一番の楽しみにしていたわけではない。それでも四方のうちから真っ先に「海」を選んだのは、果たしてクロックタウンで見たゾーラバンド「ダル・ブルー」のポスターの影響だけなのだろうか。
 目の前に広がる灰色の海には、流石のゼロも気分を落としていた。

『ここに見覚えは……ありませんか?』
「うん。たぶん、海には来たことないよ」
『そうですか……。やはり、大妖精様に会わなければなりませんね。どこにいらっしゃるかまでは分かりませんが……』

 そうだ。もともとは四方の大妖精に会うための遠出だったのだ。
 ゼロは気を引き締め、海岸に沿って歩き出した。





 少し先に行ったところで、漁師らしき人物が投網をいじっているのを見つけた。

『大妖精様の居場所をご存じかもしれませんね』

 アリスの言葉に頷き、ゼロは漁師に駆けよった。

「すみませーん、ここに住んでる人ですよね? ちょっとお話をうかがってもいいですか」

 漁師が振り向いた。好奇と物珍しさが混じった目でゼロを見る。

「ああ、そうさ。兄さんは旅の人か?」
「そんな感じです。こんなところで何をしているんですか?」

 曇っているといえど、海が荒れているわけではない。それなのに、何故漁にも出ず砂浜で暇そうにしているのだろうか。
 その質問に漁師の顔が曇った。

「最近、沖のグレートベイで何かあったみたいでな。海賊がうろつくわ、海の温度が上がって魚はとれなくなるわでさ……漁どころか、船を出すことすらままならねえ」

 漁師はべらべらと喋り始めた。相づちすら追いつかない勢いに、ゼロは目を白黒させる。

「まったく……町には月が落ちるとか言うし、夜は化け物が出るし。兄さんは町から来たんだろう? 平原は大丈夫だったか?」
「あ、はい。昼間でしたし」

 愛用の剣があることや、スリのサコンから荷物を取り返す時の不思議な感覚から、ゼロは記憶を失う前の自分が、それなりの剣の使い手だったのではないかと推測していた。しかし今の自分にまともに剣が扱えるかどうか、自信はない。だから、即日出発せずに一晩ナベかま亭で過ごしてから来たのだ。

『……あの、ゼロさん』

 アリスがそっと囁いた。考え事に没頭していたゼロは、やっと本題を思い出した。

「あ、海の大妖精様がどこにいるのか知りませんか?」
「ああ、それならここからまっすぐ行ったところの崖沿いに洞窟があるよ。願いごとでもしに行くのか? 心が綺麗な人じゃなきゃ姿すら見えないって聞いたぞ」

 ゼロはぎょっとしてアリスを振り返った。心が綺麗な人でないと会えない? そんなこと、聞いていないのだが。

「そ、そうなんですか。ありがとうございました」

 内心の焦りを必死に隠しつつ、ゼロはあわただしくお辞儀をしてその場を退散した。





「大妖精様、会えなかったらどうしよう……」
『ゼロさんなら絶対大丈夫ですよ』
「何で?」
『ゼロさんだからです』

 アリスのやたらに自信満々な言葉に首をかしげていると、タルミナ観光協会の案内板が目に入った。ゼロがクロックタウンでもお世話になったものだ。見ると、大妖精の洞窟へのマップつきの道案内だった。

「やった! すぐそこだって」
『……ゼロさん、あれは!』

 アリスの声が緊張している。はっとして前方に視線を投げた。
 明るい海の色の肌をした女性が、砂浜に倒れこんでいる。彼女の目の前には、ぶよぶよとした太い筒のような黄土色の魔物が壁のように立ちはだかっている。空洞のような口と思われる部分を大きく広げ、今にも女性を呑み込まんとしていた。

『ゼロ、さん……?』

 ゼロの右手には、いつの間にか金色に輝く剣が握られていた。


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