月と星






 二日目の朝は阿鼻叫喚から始まる。

「えっ。もう避難するの?」

 ルミナはぽかんと口を開けた。眠気が遠のく代わりに、じわじわ焦りがこみ上げてくる。
 早い、早すぎる。本来なら明日の朝にこの話があるはずなのに。

「そうなのよ、酔っぱらってミルクバーから朝帰りした座長を問いつめたら……」

 アカが困った顔で説明する。他の面々も同様に当惑しているようだった。
 一方ルミナは気が動転していた。もしや、自分が昨日起こした行動のせいで? いや、昨日はほとんど座長に接触していないし、関係は薄い。

(じゃあなんで、こんな悪い方にばっかり行っちゃうんだろう)

 アンジュの様子がおかしい件といい。もしかすると、厳密に同じ時間を繰り返しているわけでは、ないのかもしれない。時は決まった一本の線をなぞるのではなく、時々ぶれたり枝分かれしたりしている――そう考えると納得がいく事柄が多い。

 タルミナの人々は時の繰り返しに「気づかない」だけで、彼らの心身への影響は蓄積されている、としたら。誰だって何日も同じ悩みを抱え続けたり、衝撃的な出来事が三日おきに起こったりしたらたまらないだろう。ただでさえ月が迫ってくるという限界状態にあるのに、その緊張を知らず知らずのうちに無限に引き延ばされたら――。

 ルミナはぶるっと震えた。これでは状況が悪化するわけだ。早急に手を打たないと、月が落下する前に破局が訪れるかもしれない。
 彼女が思考に沈んでいるうちに、一座の話はまとまったようだ。

「だが、仕方ないだろう。たとえ前座が準備万端でも、メインがいないことにはね。避難先は南にある馬の調教場だってさ。ルミナも早く支度しなよ」

 ローザ姉妹の姉ジュドは、さっぱりした性格らしくもう割り切ってしまったらしい。踊りの振り付けを考えることから解放されて、ほっとした側面もあるのだろう。

「あー……うん。分かったよ」

 今までは、座長に対する反発が強かったため、ルミナは一座とともに避難したことはなかった。けれど、一緒に行ってみるのもありかもしれない。前回、おそらくリンクの働きによって偶然会えたクリミアとも、もう一度顔を合わせることができるわけだ。
 一座の持ち馬車に荷物を積め、乗り込む。ここからミルクロードまでは二時間くらいだ。

「いってらっしゃい」
「私たちも、いずれ……」

 わざわざアンジュ母子が玄関で見送りをしてくれた。別れといっても、明日には牧場で再び対面することになるだろう。
 座長は「鬼の顔」と(畏敬を込めて)称される造作をいつもより余計にゆがめ、じいっと前を見ていた。

 いつか、彼も助けてあげたい、とルミナは思う。座員に対してはいつも偉そうだしクライアントにゴマはするし、なんとも器の小さな人物だが、自分を拾ってくれた恩人なのだから。

 ミルクロードの分かれ道にさしかかると、ルミナは馬車を止めてくれるよう頼んだ。スピードが落ちるのを待ちきれず、客車からぴょんと飛び降りる。

「わたし、お隣の牧場に用があるから!」
「ちょっとルミナっ」

 座員達の慌てる声を背中で跳ね返し、ルミナは青草を踏みしめた。

 道の端にはなぜか大岩の破片が散らばっていた。それを目に留めながら、ロマニー牧場におじゃまする。
 いつ見てものどかな風景だ。放牧されたウシの間をすり抜け、彼女は目的の人物を見つけた。

「おーい、クリミア!」
「あっ。ルミナじゃない。久しぶりっ」

 年頃の女二人はきゃあきゃあと再会を喜んだ。片一方にとっては久々でも何でもないのだが、それは仕方ない。

「にしても、ルミナがどうしてこんなところにいるの?」
「一座で町から避難してきたんだ」
「あらら。どこもかしこも、景気の悪い話ね」

 クリミアは牧場の財政にも言及しているのか、寂しそうに笑った。

「ところでロマニーちゃんは元気?」ルミナは母屋の方に視線を送る。
「まだ寝てるわ。昨日、オバケがウシをさらいにくるーって言って、夜更かししてたみたいなの。でも、明け方まで起きてても何もなかったみたいで。安心してぐっすりよ」
「そりゃあ良かった」

 ルミナがへらりと笑うと、クリミアは思い立ったように両手を合わせた。

「お願い、今日の夕方からクロックタウンにミルクを届けに行くんだけど、その間ロマニーの面倒をみててくれる? 子供一人じゃ、何かと物騒だし」

 もちろんと即答しかけて、ルミナはふと固まった。このままクリミアを行かせてしまえば、彼女はどんより落ち込んだアンジュと会ってしまう。それはお互いの精神衛生上、良くない。

「ええーっ、せっかく久々に会えたのに行っちゃうの? 町だってみんな避難してるんだよ、ミルクなんか届けても仕方ないんじゃ」と渋ってみせる。
「でもミルクバーのマスターはまだ町にいるって……」
「物騒なのはクリミア一人でだって同じでしょう。道中で賊が襲ってくるかもしれないよ」

 ルミナは食い下がった。賊の話は当てずっぽうだったが、どうやら心当たりがあるらしい。

「……そこまで言うなら、仕方ないわね」クリミアは苦笑した。これで、ひとまずの難局は回避できた。

 旧友と歓談するうちに、せっかく牧場まで来たのだから近くで息抜きでもしていこうか、という気になった。

「ね、ドッグレース場ってあっちのほうだったよね」
「そうだけど。ルミナって、賭事好きだったかしら?」
「ワンちゃんを見て癒されてくるの」


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