* ゼロは――『彼』は走っていた。焦っているらしく、息が上がっている。だが、「焦っている」という気持ちは伝わってくるのに、共感は出来ない。完全にシンクロしない。ふたつの心は見事に乖離していた。やはり『彼』は自分とは違う、とゼロは思う。 そこは草木の乏しい渓谷だった。殺風景な谷底を、ひたすら前へ向かう。 「どこに行くんですか」 その声は上から降ってきた。この白昼夢の、もう一人の主要人物が登場した。彼女は金の髪をさらりと流して、崖のふちに腰掛けている。相変わらずの喪服姿だ。 今までとは明らかに様子が違っていた。冷たい目で見下ろす彼女は、空いた手で例の紙でできた船を飛ばす。 船は風を切り、『彼』の足下に落ちてきた。接地の瞬間、むせかえるような殺気が爆発した。一瞬で周りを六人の敵に囲まれている。両手に曲刀を持った刺客が散開して、陣形をとる。 (あれは、ゴーマン兄弟の!?) 刺客が装着している覆面が、夜盗として活動していたゴーマン兄弟のつけていたものと酷似していた。虚のような目の感じといい、偶然だとは思えない。 「今更遅いですよ。イカーナ王国はもう落としました」 何のために、と『彼』は鋭く問う。 「私の――故郷のために」 彼女の唇が弧を描くのと、刺客が殺到するのは同時だった。 * ゼロはがっくりと膝をついた。緊迫感に押しつぶされそうな戦場から、突然現実に帰ってきたからだ。グレートベイの潮騒が色を取り戻す。 「どうした!?」すかさずリンクが肩を貸した。 ゼロは額の汗を拭った。のどはカラカラだった。 「イカーナ王国……」 『えっ?』 チャットが聞き返した。彼は一拍置いて、声を絞り出す。 「そこに、昔のオレがいたみたい」 やっとそれだけ言うと、荒く息をつく。顔からは血の気が引いていた。 チャットには思い当たる節があったらしい。沈黙を保つアリスに目線を向けながら、 『イカーナって、確か』 『谷のロックビル近くにある王国です、ただし――何百年も前に滅びています』 ぴくりと肩が震えたが、ゼロは顔を上げない。 表情一つ変えず、リンクが足に力を込める。 「立ち上がるぞ」 「……うん。ありがとう」 助けを借りて、なんとか立ち上がった。 『ゼロさん……』 アリスが心配そうに寄り添った。普段なら安心させようと笑顔になるゼロだが、今その余裕はない。 誰もが言葉を失う中、リンクが一歩前に出た。限られた歩幅のたった一歩なのに、力強くて優しい距離感をつくりだす。 「ちょうど良かったな、次の目的地は谷だ。俺も一緒に行ってやらないこともない」 腕組みして傲岸不遜に言い放つ彼は、尊大な口調に反してゼロを励ましているのだった。物理的にも、精神的にも「立ち上がれ」と力づけている。 「ひとまず、他のお面はまた次の機会だな。 ――おまえの正体が何であろうが、自分で見たもの、聞いたものを信じればいい」 少なくとも自分はそうしていると、冬の空をうつした瞳は語っていた。 ゼロはしっかりとうなずいた。 「オレは行かなくちゃいけない――イカーナ王国へ!」 求めてきた答えがそこにあると信じて、二人は谷を目指す。 ←*|#→ (96/132) ←戻る |