月と星






 ふと気づけば、ゼロは薄暗い洞窟の中にいた。
 鏡のような浅い泉には見覚えがある。その中心に緑の光が生まれて拡散していく様子を、うつろなまなざしで眺めていた。傷口が熱を持ち、思考が揺れている。

『――お久しぶりですね、ゼロ』

 全ての命を慈しむような表情を浮かべた、海の大妖精が姿を現した。柔らかなまつげが瞬く。はじめの三日間で出会った美しい妖精が、再び目の前にいる。
 彼は、朦朧とする意識のままで返事をした。

「オレのこと、覚えてたんですか……?」

 肯定の微笑みがかえってきた。

『さあ、こちらに来て。怪我を治しましょう』

 導かれるまま、泉に足を踏み入れた。不思議と、腕の痛みは感じなかった。

『では少しの間、目を閉じて』

 あたたかい波動が足元からこみ上げ、頭の天辺へと抜けていく。痛みでどんよりとしていた右腕は軽くなり、こびりついた血糊を落とせば、切り裂かれた衣服以外はすっかり元通りだ。
 と。

(うん?)

 さらされた肌に、赤い奇妙な文様が見えたのだが――気のせいだろうか。
 一瞬後にはそんなことも忘れ、ゼロの顔に笑みが広がった。

「わ……すごい! ありがとうございます」

 礼をした拍子に、まともに大妖精の緑の瞳をのぞき込んでしまった。どきっとする。この世のものとは思えないような美しさは、毒にもなりうる。

「あ、あの、弓矢すごく役に立ってます」
『それは良かった。これからも、どうかあの少年を助けてあげてください』
「リンクを、ですか?」

 言われなくてもそのつもりだった。わざわざ大妖精に念を押されるのはどうしてだろう。

「もしかして海の大妖精様は――」

 オレのことを、何か知っているんじゃないんですか。
 ゼロは続きを飲み込んだ。どんな質問をしても、底の見えない緑色に溶かされてしまいそうだったから。

『また、いつか会いましょう』

 洞窟を抜け出ると、そこには仲間たちが集っていた。すっかり太陽は傾いている。久々にのどの渇きと空腹を感じた。

『良かった、ゼロさん……もうお怪我はよろしいんですよね』

 真っ先に声をかけたのはアリスだ。心配そうに光を明滅させる。

「うん、大妖精様のおかげで」
『全くもう。他人に迷惑かけないでよね』

 あ〜あ、とチャットはため息をついた。ゼロは苦笑するしかない。
 そして、リンクは。

「遅い。この阿呆」
「う、ごめんね」恐る恐る表情を確かめようとすると、リンクはついと視線をはずした。

(もしかして、怒ってる……?)

 そういえばしばらく名前で呼ばれていない気がする。「グヨーグから庇うなどと余計なことをしてくれたな」もしくは「勝手に怪我なんかして足手まといだ」と思われているのかもしれない。

 声をかけようとしたとき、リンクの背後の海面が大きく持ち上がった。

『よくやったリンクよ。コレでゾーラの戦士の魂も安心して眠りにつけるじゃろ……。ワシもいにしえのおきてに従い、ふたたび長い眠りにつかねばならん』

 飛沫をあげながら出現したのは、神殿まで二人を送ってくれた巨大なカメだった。

『じゃが、このあたりにただよう邪気は、完全には消えたわけではなさそうじゃ』
「そうなのか」
『ああ。遙か東によからぬ気配を感じるぞい』

 東といえば、クロックタウンを通り越した先に、最後の目的地である谷がある。
 カメは目を細めた。

『もう少し、ここでルルの歌声を楽しんでからお別れするとしようかのう……。それくらい神様もおゆるしになるじゃろう。ふぇふぇふぇっ』

 小刻みに首をふるわせてから、瞼を閉じた。甲羅のヤシの木はそのままなので、じっとしていれば生き物だとは分からないだろう。
 ゼロはおそるおそるリンクに問いかける。

「あのさ、これからどうするの?」
『とりあえずグレートベイから魔は払ったわけだし、さしあたり用は済んでるわよ』

 行動の指針を提示してもらおうと、全員がリンクに注目した。

「……。お前はどうしたいんだ」

 小さな勇者の視線が、鋭角でゼロに突き刺さった。

「え、オレ?」

 ご指名を受けた当人は、戸惑いつつも提案してみる。

「そうだなあ。海洋研究所あたりで一晩ゆっくりして、明日ゾーラホールに行けたりしたら、最高なんだけど」
「じゃあそうするか」

 二つ返事で了承し、くるりときびすを返すリンクを、急いで追いかける。

「え!? 本当にいいの」
「別にかまわないだろ。急ぎの用事もない」

 凛とした横顔からは、どんな感情も伺えなかった。怒っているのか違うのか、ゼロにはさっぱりわからない。

「じゃあさ、ミカウのことは……どうするの?」

 リンクは眉間にしわを寄せた。海賊と交戦してミカウが命を落としたことは、彼の友人たちは誰一人として知らない。おまけに一日目にリンクがゾーラホールを探索したせいで、大勢のゾーラが生きているミカウの姿を目撃してしまっている。
 たとえ魂の宿る仮面があっても、死んだ者を復活させることはできない。リンクは神様でも何でもないのだから。

「俺なりに、決着をつけてみたい。それが奴との約束だ」

 明日は「三日目」だ。時が巻き戻れば、今日の記憶は消えてしまう。うれしいことも悲しいことも――。
 それでも、時の繰り返しに意味があると信じているから、リンクやゼロは旅を続けるのだ。


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