リタルダント


※サイト五周年記念。五章後、メインキャラのドタバタ劇


「うわあ、すごい雨」

 昼間穏やかに降り注いでいた天の涙は、やがてバケツをひっくり返したような豪雨へと変わった。もうクロックタウンに明かりが灯る時刻だが、次の日まで続きそうな勢いである。
 ルミナは憂鬱そうに息を吐いた。彼女はナベかま亭の二階、大部屋ではなくゼロの部屋に居座っていた。たまには一人になりたいときもあるのだ。それに、ここには腰掛けるのにちょうどいい高さの窓台がある。

 明くる日は「三日目」、一座でゴーマントラックに避難する日。往路がドロドロなのは勘弁願いたい。

(またリンクたちの仕業かな)

 時を巻き戻すなどという非常識なことをしている彼らなら、嵐を呼ぶなど造作もないだろう。そう思ってルミナは忍び笑いをした。
 ふと目線を落とすと、まさに今考えにのぼった人物が宿に向かって駆けていた。噂をすれば影だ。

 少女は部屋に常備されている乾いたタオルをありったけひっ掴むと、階下へ急いだ。
 ナベかま亭玄関には、びしょ濡れになったリンクとゼロがいた。

「おかえり」

 ルミナがタオルを手渡す。リンクは軽く目を見開いて、

「あ……ああ。ありがとう」

 受け取った。
 その隣で袖口を絞っているゼロに、少女は尋ねた。

「これ要る?」
「えっ。そりゃ、タオルは欲しいけど」

 質問の意図が分からず、不思議そうな顔をしている。

「きみ、雨とか好きそうじゃない!」
「だからって、濡れたままは気持ち悪いよ……」

 彼は苦笑しながらタオルをもらった。
 ごしごし髪を拭っているうちに、ゼロはあることを思い出してはっとする。ふところで守っていた袋を、あわてて開いた。

「アリス! 大丈夫だった」
『ええ……』

 弱々しく返事をし、青い妖精が這い出てきた。そのやり取りを見てルミナは首をかしげた。

「どうしたの?」
「羽が濡れないようにしていたんだ」リンクが帽子を取れば、中からチャットが飛び出した。
『もう、ちょっと雨がかかったじゃないっ』
「その分俺の頭は濡れずに済んだな」

 彼は済ました顔で言う。
 ルミナが軽く笑いながら、

「この大雨ってリンクの仕業だよね」

 少年は、ちょっとだけ眉をひそめた。

「東の谷で『嵐の歌』を吹いたんだ。その雨雲が風で流されて、ここまできたんだろうな」
「もうびしょびしょになっちゃったからさ。今日はのんびりしようって、帰ってきたんだ」とゼロが引き継ぐ。

 それを聞いて、ルミナは顔を輝かせた。

「なら、夜はみんなで遊ぼうよ! わたし花札持ってるんだー」
『花札? 何よそれ』
「いいからいいから、二階上がってよ」

 階段の方へと二人の背中を押したところで、ちょうど夕食のトレイを持ったアンジュと遭遇した。

「あらルミナ、いいところに。これ、おばあちゃんに持って行ってくれないかしら」

 彼女は祖母の食事係なのだ。

「えっ。わたしが?」

 リンクとゼロに視線を送ると、彼らは揃って首を縦に振った。

「はいはーい……」

 頬を膨らませたルミナは、先ほどまでと正反対の感情をもって、階段に足をかける。

『アンジュさんのおばあさまは、どんな方ですか』

 アリスが尋ねた。何度も宿に訪れている彼女だが、祖母の姿はほとんど見かけない。

「会ってみる? 面白い話してくれるよ。ちょっと眠くなるけど」
「へー!」

 ゼロの瞳がきらりと光った。

『なら、退屈しない方がいいわね。怪談話なんてどうかしら』

 チャットの言葉を聞くやいなや、ルミナは固まった。「え……」
 にわかに変化したその様子に気づかず、ゼロはのんきに賛成した。

「怖い話かー、楽しそうだ」

 リンクの位置からは、彼女の持ったトレイが小刻みに揺れていることが、はっきりと目視できた。

「……あのおばあちゃんの怪談、シャレにならないよ」

 心なしか顔が白い。唇がわなないている。

「そのくらいの方が楽しいって!」

 だがゼロは、あっけらかんと言い放った。彼の致命的な鈍さにため息をついて、ルミナは最大限に譲歩する。

「それなら条件をつけるよ。――リンクが一緒にいてくれないと、やだ」

 指名を受けた少年は肩をすくめた。

「何故そうなる……」

 呆れながらも、こういう頼みは断れない彼だった。
 ナイフの間と廊下を挟んで反対側に、祖母の寝室はある。ノックして入ると、ルミナはアンジュの料理を脇におき、

「おばあちゃーん、怖いお話して!」

 両手を合わせて頼み込んだ。

「おやおやトータス。怖い話かい」

 しかし祖母は彼女に見向きもせず、リンクだけを視界に入れていた。

「トータス?」目を白黒させるゼロに、ルミナは耳うちした。
「失踪したアンジュのお父さん」
『なるほどね』複雑な家庭事情のニオイを感じ取り、チャットはそれ以上の追及は避けた。

 人間三人は別の部屋から椅子を運んできて、座った。準備は万端だ。
 祖母はトータスが友達を連れてきたと信じ込んでいるのか、柔和な表情のままだ。

「何の話をしようかね……そうだ、幽霊船の話なんてどうだい」
「幽霊船かあ」

 ゼロはわくわくしてきた。一方ルミナは早くもきゅっと唇を引き結び、黙って続きを促す。

「グレートベイよりもっと西に行った海では、月が半分かけた夜にだけ、その船が現れるんだ。折れたマストに、ボロボロの帆をつけた船がね。たくさんの青白い人魂を引き連れて、静かな海をゆらゆら漂っている。
 ある時、不運にも幽霊船と遭遇した釣り船があった。もちろん漁師は驚いたが、その人は勇敢だったからね、船に乗りこんでみたんだ。すると――」

(勝手に動き出すのか?)

 リンクは予測した。

「甲板は静まり返っていた。幽霊も誰もいないんだよ。こうしてみると、朽ちかけただけの普通の船に思える。その漁師は震える足にムチを打って、船室まで探検した。
 何があったと思う? ……たくさんの石像だ。それも、全て人間をかたどったものだ。不気味に思った漁師が、ふっと寒気を感じて振り返ると――」

(石にされるんだな)

 おおよそ物語を楽しむと言う行為が向かないのだろう。リンクはせっかく祖母がつくった迫真の「間」を、脳内で台無しにしていた。
 退屈を感じて隣をちらりと確認してみると、ルミナはひたすら震えているし、ゼロに至ってはなんと船を漕いでいた。
 さすがのアリスもさじを投げたのか、もしくはあえて彼の自由意志を尊重しているのか。情けない相棒に対しては沈黙を守っている。

「オイ」リンクは青年をひじで小突いた。
「はっ! い、今オレ寝てた?」
「そろそろ話のオチだぞ」

 いそいでゼロは首を持ち上げるが、

「――というわけなのじゃ」

 起承転結の中でも一番重要な部分を聞き逃してしまい、淋しそうにうなだれる。
 ルミナは自分が怖がるのに忙しくて、他人に気を配る暇が無いようだ。

「うえー、やっぱり怖いよぉ」
「……どのあたりが?」

 リンクは心底疑問だった。
 ひとつ話し終えた祖母は調子が出てきたのか、安楽椅子から身を乗り出した。

「まだまだあるぞ。トータスは学校って分かるかい?」

 リンクが答えられなかったので、代わりにルミナが相づちを打つ。

「子供が行くところだよね。読み書きを習ったりする」
「そう。むかしむかし、遥か遠い――天界とも呼ばれる場所には、騎士を目指すための学校があってな。生徒は皆、寮で暮らしておった。
 ある日の夜、誰もが寝静まった頃。ふと目覚めたある生徒は、寮のどこかから響く悲しげな声に気づいた。トイレだ。トイレから、女のすすり泣きが聞こえるんだよ」

 ぶるりとルミナの肩が大きく動いた。身近な例が出てくると、恐怖にも拍車が掛かる。

「その生徒はご不浄に行き、おそるおそる扉を開けてみるが、誰もいなかった。ついさっきまで、泣き声が聞こえていたはずなのに。奇妙に思いながらも、生徒はトイレを後にしようとした。
 そのときじゃ。背中の方から『カミをください』と一言、声がした。怖々振り返ると、なんと便器から一本、手が飛び出しているんだ」

 ルミナは我慢できずに小さく叫んだ。

「生徒はびっくりして逃げてしまった。幽霊に紙をあげることもなく、な。不吉な出来事を忘れようと、ふとんを被ってそのまま寝てしまった。
 次の日から声は聞こえなくなった。代わりに、女は手だけの姿で、例の生徒の夢の中に出てくるようになった。それから一生、毎晩ずっと――」

 真っ青な顔をしているルミナに目をやって、リンクは嘆息し、

「こんなもんで、いいだろ」
「ふへ!? あ、うん、もう寝る時間だもんねっ。おばあちゃん、ありがとう」

 一刻も早くこの場から逃げ出したい、と言わんばかりに腰を浮かせる。

「トータスはもうおねむかい? おやすみ」

 祖母はそう言って微笑んだが、眠気でいうと、リンクよりもゼロの方が深刻だ。
 居眠り魔は軽くのびをする。

「うん、確かにシャレにならない眠さだった……。今度はお昼に聞こうよ」
「お前は怪談話の意味を分かっているのか」

 と言いつつも、怪談を楽しめないという意味ではリンクも彼と同じだった。
 三人は妖精を連れて、それぞれの部屋に引き上げた。リンクとチャットはナイフの間、ゼロとアリスはいつもの部屋、ルミナは一座の大部屋だ。

 そして夜、雨音すら遠のいた時刻。

「ね、リンク起きて……」

 少年はルミナに揺り起こされた。気配で分かっていたので、すぐに目が覚める。

「なんだ?」
「お手洗い行きたいんだけど、その――ドアの前までついてきてくれない?」

 リンクは彼女を見つめる。お前は何歳なんだ、と瞳が問うていた。
 いかにも面倒そうに、隣の部屋との仕切りの壁を指差す。

「俺より適任がいるだろう」
「ゼロが起きてくれるわけないでしょ!」

 その主張には、かなり説得力があった。脅威の快眠体質である彼を叩き起こせる自信は、リンクにもあまりない。納得した少年は重い腰を上げた。
 二人で廊下を渡る。隣の少女がべったりくっついてきて、少し歩きにくい。建物として壮年を迎えたナベかま亭の床板は、強く踏むと音を立てる。そのたびルミナはいちいち息をのんでいた。

「リンク、あんな話聴いて何で平気なの」
「ん、ああ……」

 怪談話というと「話が通じない亡霊」が主役だ。そういった霊の邪魔を積極的にするつもりはないが、相手が襲ってくるなら戦うしかない――という思考回路が彼の中に出来上がっているせいで、怖い話を現実的に捉えてしまうのだった。
 亡霊との遭遇は、もはや日常茶飯事となっている。逐一驚いてはいられない。すっぱり割り切らなければ、イカーナ地方を探索することなど不可能だ。

 トイレの前までたどり着くと、

「じゃ、ここで待ってて」

 ルミナはおっかなびっくり中に入った。
 廊下でリンクがおとなしく待っていると、「ぎゃーっ」と中から色気のない金切り声が上がった。

「どうした!?」扉越しに確認するが、返事はない。迷った末に蹴破る直前、内側から勢いよくドアが開け放たれた。リンクは飛び出してきたルミナの下敷きになった。
 ドタンバタンという物音に、さすがに飛び起きたらしいゼロが、廊下の惨状を見て絶句する。

「ふ、二人とも……?」

 ゼロにまとわりついていた眠気が一瞬で吹っ飛んだ。

「かかか紙が紙がっ!」

 あらぬ方向に目をさまよわせながら、ただただ同じ単語を繰り返すルミナ。呆然としているゼロを見つけて、リンクは下から、

「いいから紙だ。持ってこい」
「あ、え、うん」

 何が何だか分からないまま、ゼロは部屋からメモ用紙を取ってきた。
 おずおずと手渡されたそれを携え、彼女は力の入らない足を奮い立たせてトイレに向かった。やっと圧力から解放されたリンクは盛大に息を吐く。
 ルミナは何故か、

「おっお願いだから成仏してくださいトータスさんー!」

 と言っていた。何を勘違いしているのか。
 やがてトイレから出てきた彼女は、何ともいえない顔をして、

「……終わったよ」

 と報告した。
 ゼロはひとつ大あくびをした。

「なんだか知らないけど、オレもう寝ていい?」
「あれっ。いつの間にいたの、ゼロ」
「……」彼は目元をこすり、無言で寝室に戻った。

 ようやく恐怖から解放されたルミナが、悔しそうに地団駄を踏む。

「もう、中に入ってるなら、鍵くらいかけてよ〜っ!」

 全くだ。と心の中でリンクは同意した。

 翌朝。快適な睡眠によって復活したゼロは、息巻いていた。

「オレ、なんとかして夜更かしのお面見つけるね!」
『どうしてですか?』
「だってアンジュさんのおばあさんの怖い話、最後まで聞きたいから」

 ルミナが悲鳴を上げる。

「それはもうやめて!」

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