歩くような速さで


ナナシさんとの相互記念。二章2と3の間の話、三章2のネタバレあり。ゼロとアリスのほのぼの話


 ――近づいてくる、らしい。

 タルミナ平原のなだらかな丘の上に、ぽつんと突き出た石碑のようなもの。雨風に晒されて磨耗したのか、表面はつるつるしている。片側に彫られた「涙を流す目玉」のシンボルが、まるで顔のようだった。

 ――声がする、らしい。

「わあ、気持ちいい。まさしくピクニック日和って感じだよね!」
『目的はピクニックではありませんけど……』

 雪のように白い髪と穏やかな紅茶色の瞳をもつ青年が、鼻歌混じりに平原を闊歩していた。青い妖精が呈した苦言にも耳を貸さず、

「沼は水の綺麗なところなんでしょ? きっといい景色だよ。ついでに観光気分を満足させればいいんだって。
 さ、ここらへんでお昼にしようかな。ああっ!?」

 ――見事につまづいた、らしい。

 よそ見していた青年は石碑に足を引っかけてしまい、草むらに突っ伏した。ギリギリのところで風呂敷に包まれたお弁当だけは死守する。
 強打した額をさすっていると、出し抜けに耳元で叫ばれた。

『ボヨヨーン! ただいま十三時四分で〜す!』
「うわ」

 肩を跳ね上げた後、青年は目を白黒させた。

「あ、あ、アリス……今この石しゃべったよね?」

 アリスと呼びかけられた妖精が、きらきら光をこぼす。

『これは……ゴシップストーンですよ!』
「ゴシップストーン?」
『いろいろな噂を知っていて、仲間と見なした人にはこっそり情報を流してくれます』

 青年がにわかに活気づいた。こういう「面白そうなもの」が大好きらしい。

「へえ! 不思議な石だね。どうやったら仲間って認めてくれるのかな」
『これを作ったのは、同じ目玉模様を奉った一族だったと聞きました』
「この模様を。ああ!」

 心得た様子でしゃがみ込み、手近な小石を手にとって地面をえぐり始めた。土のキャンバスになにやら複雑な曲線を描いていく。
 アリスが怪訝そうな声を出した。

『ゼロさん、それは?』
「えーと、あの模様を真似してみたんだけど。……だめだ、反応がないや」

 ミミズの這いずり回ったような線が広がっていた。お世辞にも、ゴシップストーンの文様と同一とは言えない。目玉というよりも目玉焼きに近いのではないか。

 ――どうやら彼は絵が下手、らしい。

「今胸にグサっとくることを指摘された気がする」
『えっ』

 アリスが耳を澄ませども、透明なゼリーの魔物・チュチュが気ままに跳ね回る音や、鳥の魔物・グエーとタックリーによる縄張り争いの喧噪が聞こえてくるばかりだ。
 ゼロという名の青年は首を横に振った。

「いいや、諦めよう。それよりもお昼を食べなくちゃ! せっかくナベかま亭で包んでくれたんだから」

 土を軽く払い風呂敷を解くと、食欲を誘う香りがふんわり漂ってきた。思わず顔をほころばせる。
 食料目当ての飢えた魔物が近くにいないか、念入りに確認し、

「いただきまーす」

 きっちり手を合わせる。本日のメニューは、新鮮な野菜をたっぷり挟みこんだサンドイッチだった。

 少し遅めの昼食を、晴れた空の下のんびり食べる。ただそれだけのことが、どうしようもなく幸福に思えた。
 最初の一口を胃に押し込んでから。ゼロは瞳を閉じて、摂食の必要がない妖精に語りかけた。

「アリス。なんだか分かんないことだらけでさ、本当はもっと混乱すべきなんだろうけど……」
『はい』
「オレは結構、楽しいんだよね。むしろワクワクして仕方ないんだ」
『分かるような気がします』

 優しい声色だった。

 町の大妖精の不在を知って、不安に押しつぶされそうになっていたあのとき。アリスは、ゼロの(脳天気とも呼べる)言葉にずいぶん励まされたのだ。出会って間もない彼のことを、自分なりに精一杯サポートしていきたい。そう思った。

 本来なら、三日という限られた時間の中、できるだけ無駄を排した行動をとるべきだ。時の繰り返しだって今度はどうなるか分からないし、永遠に続くとは思えない。月の落下がくい止められないまま、いつか「最期の時」を迎えてしまうかもしれない。
 それでも彼らは自然体で、日々を満喫する。悲壮にならないことで、この状況に立ち向かっているのだ。二人は歩くような速さで旅を続けていく。

 ゼロはいつもの笑顔で、妖精に語りかけた。ゴシップストーンを指しながら。

「ねえアリス。オレたちは情報を受け取れないけどさ、逆に噂を流すことならできるんじゃない?」
『と、言いますと?』
「このゴシップストーンは、仲間にこっそり噂を伝えるのが役目なんでしょ。じゃあ情報源は仲間以外でもいいんだよ。むしろ、そっちの方が量としては多いだろうね」

 時に、彼は鋭い。アリスは感心した。

『確かにそうですね。何か噂を知ってるんですか?』
「うーん、オレはタルミナに疎いからなあ。
 あ、海で聞いた話なら覚えてるよ! ほら、ダル・ブルーのメンバーのこと。ファンなら垂涎モノじゃないかな」

 ゼロはゴシップストーンへ向き直る。この上なく心弾ませながら、ヒミツを口にした。

「実は歌姫のルルさんは」
『ちょっと待ってください! いくらなんでも”あのこと”を話してしまうのは、デリカシーがなさすぎますよ!』
「えっ」

 きょとんとしたゼロに対し、アリスは青い光をほんのりピンクに染めて、まくし立てる。

『ゼロさんはそういう配慮が足りないんです! いつも女性に会えば顔を赤くして。婚約者がいるアンジュさんにだって――』

 飛び上がりかけた。反射的に辺りを見回してしまう。

「ち、違うって! 誤解だよ、ゾーラバンドのもめ事じゃあなくてさ。海の大妖精様が言っていた話。今はちょっとゴタゴタしてるけど、ルルさんとミカウさんがコンサートで共演して、大成功を収めるって!」

 あわてた拍子にサンドイッチの中身をこぼしそうになりながらも、なんとかアリスをなだめる。やっと勘違いに気づき、彼女は一気に白くなった。

『わっ、私はなんということを』
「いいよいいよ。言葉の後半は、えっと、オレも反省してることだから」
『すみません……』

 今にも消え入りそうな声だった。気まずくなったゼロは話題転換を図った。

「ね。こういうことだから、ゴシップストーンくん。カーニバルのダル・ブルーのライブには是非遊びに来てね! キミは無理だと思うけど」
『でも、ルルさんやエバンさんは、もう私たちのことを”知らない”んですよね』
「……そっか。じゃあにわかファンとして、心の中で応援するよ」

 たとえ相手に忘れられても、一度知り合ったことは紛れもない事実。そう考えれば、時の繰り返しも苦にならなかった。いつか刻のカーニバルとコンサートを実現させるため、ゼロはダル・ブルーにとっては「知らない人」として、月落下を阻止するつもりだ。

「なんか宣伝みたいになっちゃったな。噂ってこんなのでいいの?」
『ええ、きっと大丈夫ですよ。ゴシップストーンは意外と、取り留めもない噂を拾うことが多いそうですから』

 ゼロはぱんぱんと柏手を打った。完全に何かと思い違いをしている。

「この噂が、誰かに届きますように……」

 ――彼は遠くを見るような目をしていた、らしい。





 ――近づいてくる、らしい。

『あー、なんたらストーンってあれのこと? 確かにタルミナじゃ珍しくないわね』
「俺の前いた場所でも、よく見かけたんだ」

 緑のチュニックを着た少年と、白い妖精だった。雪深い山の真っ白な下地に、鮮やかに浮かび上がっている。少年が、奇妙な目玉模様が描かれたお面を片手に、まっすぐ石の方にやってきた。

『この”まことのお面”ってのを被っていれば、有益な情報をもらえるのね』
「そのはずだ」

 ――涙の流れる目玉模様は、確かに仲間のあかし。最近聞いたばかりの、新鮮ぴちぴちとっておきの噂を教えてしんぜよう。

『ゾーラバンド”ダル・ブルー”のカーニバル講演は、見所たっぷりらしい……』

 妖精は呆れかえった。

『なにそれ。気楽なもんよね、ただ待ってる奴はさ。アタシたちがやらなきゃ、永遠にカーニバルは来ないってのに。
 まったく、時間の無駄だったわ』
『ちなみに妖精と人間の痴話喧嘩が流行っているらしい』
『ちょ、それってアタシたちのこと!?』

 ぎゃあぎゃあ騒ぎ始めた妖精を後目に、

(妖精と人間――まさか「あの」マップ描きに春が来たのか?
 奴は三十五年も待ったんだよな。比べて俺は十年も待たなかった。しかし、なぜこんなにも敗北感が……)

 少年は一人悶々としていた。

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