Beautiful Boy



「……これはまだ静雄には言ってないことなんだけれど」

そう、新羅は切り出した。
彼に出されたコーヒーを飲みながら、臨也は足を組み直す。

「彼、どうやら生殖能力が無いみたいなんだ」
「……それは無精子症ってやつ?」
「似たようなものなんだけどね」

新羅の話によると、静雄はその特異な進化の影響で通常の精子を作ることが出来なくなっているらしい。つまり、静雄と同じような進化を遂げた人類でなければ受精することが出来ないのだと。
そう言われると、臨也も納得できた。静雄は全てが規格外なのだ。通常の人間とは血中成分も精子の作り方も違っているのだろう。

「でもシズちゃんは俺と付き合ってるんだし」
「それはそうなんだけどね……。この話はまだ静雄にはしてないから」
「俺の口から言えって?」
「君に任せるよ」



新羅の家を後にしてから、臨也の頭の中には新羅に言われたことがぐるぐると渦巻いていた。
子供が作れない。
臨也は結婚したいと思ったことも、ましてや子供が欲しいと思ったことも一度としてなかった。自分にとって人間とは全て愛情を注ぐ対象であり、そこには家族や恋人という区別はない。尤も、恋愛としては高校生の頃から同性であり人間ではない静雄だけを愛していたので、その真偽は不確かなものだったが。

(シズちゃんはどうなんだろう)

彼も、自分と同じように子供なんていらないと思っているのだろうか。彼が子供好きだなんて聞いたことがなかったし、臨也以外に好きな人がいるとも聞いたことはない。

(俺と付き合ってるんだし、子供を作る機会なんて無いよな)

電車から見る夕暮れは妙に眩しい。
臨也は早く恋人の待つ自宅へ帰りたかった。



「ただいま」
「おう、おかえり」

臨也が家に帰ると、静雄が夕食の準備をしていた。焼き魚の得も言われぬ良い香りがしてくる。静雄は存外に料理が得意だった。

「新羅んちで何話してきたんだ?」

何と答えればよいのか。臨也は言葉に詰まった。
静雄は食卓に料理を並べていた手を止め、こちらを見る。その目に不信感など宿っていなかったが、臨也は鷹に睨まれた蛇のように固まった。次に口を開けば、世界が滅んでしまうような気がしたからだ。

「何だよ、俺に言えないような話だったのか」
「違うよ……、仕事の話さ」
「ふーん」

特に興味も無さそうに、静雄は台所へ戻っていった。
平静を装っていたが、臨也の心臓は張り裂けそうなほどに強く鼓動を打っていた。背中には冷や汗が伝っている。仕事柄表情に感情を出さないことには慣れていたので助かった。静雄は妙に勘が鋭い。

「今日は魚?」
「秋刀魚。安かったから」
「美味しそうだ」

誉めると静雄はくすぐったそうに笑った。この笑顔を曇らせることなんて臨也には出来ないのだ。静雄は自分と同じ気持ちなのだと信じたかったし、信じていたが、それを問うことは出来なかった。



新羅から聞いた話を臨也が大分忘れた頃、世間は冬になっていた。
年末年始まではまだ日があるが、世の中は徐々に騒がしくなっていく。臨也の趣味も忙しくなり、静雄も取り立ての仕事に追われているようだった。およそ同棲状態と言っても、静雄はまだアパートを借りていたし、臨也も新宿以外の事務所で作業することも多い。気付けば二人は一週間以上顔を合わせていなかった。臨也からメールをすることはあったが、元来筆無精な静雄は返事を一度も返さなかった。
二人の関係は冷めてしまったのだろうか。
ふと、新羅から聞かされた話が脳裏をよぎる。子供を作れないということは、静雄にとってどんな意味を持つのだろう。臨也は急に不安になってきた。
焦って静雄に電話をかけようとしたとき、玄関の鍵が回る音がした。静雄だ。

「臨也ー、いるか?」
「……やあシズちゃん、久しぶり」
「おう。……メール返さなくて悪かったな。忙しくて疲れてたからよ……」
「別にいいよ。コーヒーでも飲む?」
「ああ」

言いながら臨也は椅子を立った。静雄がコーヒーを飲むか飲まないかなんてどうでもいい、とにかく間が持たないと思ったのだ。逃げるように台所へ入った。
普段自分で淹れはしないコーヒーを探す。生憎豆は切らしていて、粉末状のインスタントコーヒーしか無かった。静雄はコーヒーなど飲めればいいとしか思っていないようだが、自分が納得できないものを出すのは彼に対する裏切りのような気がして、罪悪感に駆られる。
なるべく何も考えないように、手早くコーヒーを淹れる。しかしそれはその分だけあの息苦しい空間に戻る時を早めるということだ。どうすればこの窮地から逃れられるのか。そんな術は無いと分かっていながらも、臨也は考えずにはいられなかった。どうすればいい。どうすれば彼を傷つけないで済む。どうすれば俺は傷つかないで済む。どうすれば。どうすれば。

「なんだ、もう入ってんじゃねえか」
「! シ、ズちゃん。ごめん。ちょっとボーっとしてて」
「いいけど」

突然現れた静雄に驚いてしまったが、彼は気付いただろうか。テーブルの上を見れば、とっくにコーヒーは湯気を立て出来上がっていた。静雄はそのマグカップを持ち、リビングへと戻っていく。彼に俺の不誠実はばれてしまっただろうか。


リビングに戻ると、静雄はコーヒーを啜りながらテレビを見ていた。静雄が欠かさず見ているバラエティ番組だ。もちろんそこには、弟の幽平が出演しているからという理由しかない。

「今日さあ」
「ん?」
「新羅んとこ行ってきたんだわ」


一瞬思考が止まった。
再び頭が動き出した時には、自分と静雄の今後に関わる重大な事件が起きたことを理解してしまっていた。この部屋の外の世界が滅んでしまったかのような錯覚。この先、何事もなく部屋の外へ出ることは出来ないのだろう。その意味では世界はこの部屋を残して滅んでしまったのかも知れない。

「お前、知ってたんだってな」
「シズちゃん、それは……」
「いいんだ。こんなこと、面と向かって言えねえよな」

ああ、やはりあの話を聞いてしまったのだ。臨也は頭から血が引いていく感覚を嫌というほど味わっていた。静雄はコーヒーを置いて、テレビを切った。部屋の中に静寂が広がっていく。なぜわざわざ沈黙を濃くするような真似を。静雄は笑って許すようなことを言っていたが、静寂は臨也を逃がす気がないようで、指一つ動かすのもはばかられる感覚に臨也はとらわれた。

「…………子供、作れないんだってな。俺」
「……そうらしいね」
「マジかよ、って思ったけどよ、まあ、なんとなく予想はしてたんだわ」

いつもと変わらない様子で話すので、臨也の緊張は少し解れた。彼にとっても、大した問題では無かったのだろうか。ずっと心にこびり付いていたしこりが流されていくようだった。

「残念だけどさ、まあ、仕方ないよな」
「シズちゃん……。大丈夫、俺が」

幸せにするから。そう続けるつもりだった臨也の口は、それ以上動かなかった。静雄の顔を見たからだ。
静雄は泣いていた。ぼろぼろと大粒の涙をこぼしながら、口元は笑っていた。彼のこんな表情は見たことが無くて、臨也は何も言えなかった。大した問題では無かったと思ったのに。全て上手くいくと思ったのに。自分が思っていたより、これは静雄にとって重大な問題なのだ。

「そもそも、男と付き合ってる時点で子供作る機会なんて無いんだけどよ」
「…………」

いつもなら不必要なまでに回る口も、今はすっかり大人しい。何か上手いことを言って彼を励ましたいのに、何も言えない。静雄は気にする素振りは見せず、コーヒーを持ち、一口啜った。コーヒーを啜る音と、鼻を鳴らす音が聞こえる。相変わらず静雄の目からは涙が流れ続けている。
何かをどうにかしたかったが、臨也はあまりに無力で、静雄は泣き続けている。

静雄はテレビを付けた。また、バラエティ番組の無神経な笑い声が響きだす。臨也は動くこともできず、ただただ立ち尽くしていた。




 


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