想ひそめしか
「……シュヴァーン・オルトレイン、只今帰還しました」
「ああ。報告を」
此方を見ようともせず、アレクセイは自らの作業を続けている。
「エステリーゼ様は別室にて昏睡しておられます。……静かに事を運ぶために少々、手荒な手段を採らせて頂きました」
「構わん。どうせもうじき死ぬ身だ。役目を果たすまで死ななければそれでいい」
若かりし頃の、帝国への忠誠心などもう欠片も残っていないのだろう。どこで間違ったのか。あれほどに人民のことを想っていた男が。
物思いに耽っていると、何時の間にかアレクセイが目の前にいた。視線を顔まで上げる前に髪を掴まれ、引き上げられ、目線の高さを揃えられる。
「お前は本当に優秀な道具だ。もう少し、もう少しで我が願いは成就する。お前には最後まで役に立ってもらうぞ、シュヴァーン」
そういう瞳は狂気に満ちていても、その言葉は優しかったあの頃のアレクセイと似通っていた。
『お前は本当に優秀な部下だ。お前のような男に支えてもらえるとは、私は恵まれているな。』
そうしてもしかしたら、あの頃に戻ってくれるのではないか、まだ間に合うのではないかと幻想を抱かせる。
「……おい、おっさん?」
青年に声を掛けられ、はっと辺りを見回す。バウルの運ぶ船はザウデ不落宮の上空付近を飛んでいた。
「なーに、青年」
「いや、なんかぼーっとしてたからさ」
いけない。
この間のことを思い出していた。
結局アレクセイは死に、自分は生きている。
(まさかこうなるとはねぇ)
「おい、レイヴン? どうしたんだよ。」
「どーもしてないわよ、青年。……おっさんちと疲れちった。部屋で寝るとするわ」
「ああ……」
「おっさん!」
「何よー。青年も世話焼き病ねー」
「……無理は、すんなよ」
そう言ったユーリの目が思いの外、強く自分を射抜いていたので、驚いて視線を外す。
「……大丈夫よ。ありがとね」
自分で思っていたより隠しごとが苦手なようだ。
船室のベッドは少し堅く、帝都の地下牢を思い出す。
(大将は結局シュヴァーンの恋心に気付いてくれなかったわね)
青年は気付いているのだろうか。シュヴァーンの想いとレイヴンの想いに。かなり観察力があるから、気付いていたのかも知れない。
(眠い………)
ベッドからはみ出した手から、幻の桜の花びらがこぼれる。
(ハルルの………桜が………)
ハルルの花が散る。
シュヴァーンとアレクセイ、それにキャナリ。巡行で訪れたときはちょうど満開の時期だった。桜吹雪、アレクセイとキャナリが向こうに見える。
二人とも吹雪に隠れてしまう。
手を伸ばすが届かない。
自分が泣いているんだか叫んでいるんだか分からなくなる。
(置いていかないで)
その時、アレクセイだけが此方を振り返った。
柔らかく微笑んでいる。
(アレクセイ様)
「お前は私たちを置いていけ」
パチリと目を開くと、ベッドの縁にユーリが腰掛け自分の髪を撫でていた。
その手を緩く掴むと、甘えん坊だな、と笑われた。
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