ワンダーランド・サーチライト
3.風鈴




静雄がおかしな世界に迷い込んでから、一週間が過ぎた。

ぎこちないながらも、取立ての仕事をトムとこなした。報告書の作成なども静雄の仕事になっていて、非常に苦戦しながらも静雄は書類の作り方というものを覚えた。
ただ、生まれ持った怪力は変わっていないようで、取立てに行けば誰も彼も静雄に恐れをなしてすごすごと滞納金を支払った。
トムは大抵、金額の確認やスケジュールの調整を受け持っていて、あまり一緒に行動する必要はないのでは、と考えたが、そういえば自分はその程度の仕事も出来ていなかったと、静雄はトムに申し訳なく思った。


こちらに来て以来、自分の家には戻っていない。ずっと臨也のマンションに寝泊りしている。

臨也は静雄をとても甘やかしていた。
炊事洗濯全てを臨也がこなし、静雄には何もすることがなかった。居候の身で働かないというのは居心地の悪いものであったが、臨也は「シズちゃんは居てくれるだけでいいんだよ」と言うだけだった。それに対しこの世界の自分がどうしていたかなど分からないので、静雄は大人しく従った。臨也はそれに何も言わなかったので、恐らく静雄の選択は正しかったのだろう。
臨也はこれでもかというほど静雄をでろでろに可愛がったのだ。波江や正臣など周囲の人間は、それが当然のように振舞っていた。一度、臨也が静雄を押し倒し、事を始めようとしたとき(静雄はそのあと臨也を壁にめり込ませた)に波江が部屋へ入ってきたことがあったが、その時も彼女は眉一つ動かさず「今日が期日の仕事は片付けなさいよ」とだけ言ってさっさと出て行ってしまった。これには静雄も困惑したが、臨也は気にも留めていなかった。

自分たちがこれほどまでに甘い関係になるなど、静雄は考えたこともなかった。
臨也への恋心こそ抱いていたものの、それが叶うとは思っていなかったし、万が一叶ったとしても普通の恋人たちのように温かな関係になることは無いだろうと思っていた。実際こっぴどく振られたのだが。


恋人といえば、面白かったのは新羅とセルティの関係だ。
こちらでも二人は恋人同士だったが、先に惚れたのはセルティの方だという。
一週間の間に何度かセルティと話す機会があったのだが、そのたびにセルティは「お前たちがうらやましい」だの「新羅が浮気したらどうしよう」だのと言っていて、静雄はそれが可笑しくて仕様が無かった。が、笑えばセルティは怒った。「真面目に考えてくれ!」と。自分がいた世界でもセルティは新羅の浮気を気にしていたようだったが、どう見てもそんな心配が要らないのはこちらの世界でも同じだった。



「シズちゃん、今日は一緒に買い物行こうよ」
「え……」

この世界で2回目の日曜に、臨也はそう提案した。
外はよく晴れていて、外出には最適だと思われた。が、静雄はあまり気乗りがしなかった。

「何買いに行くんだ?」
「特に決めてないけど。あ、新しいキーボードは欲しいかな。前から目を付けてるのがあってね」
「そうか…………」
「……シズちゃん、行きたくない?」

正直に言えば、あまり行きたくなかった。まるでデートのようで。実際臨也はデートのつもりで言っているのだろう。
それに、二人で外出をして、買い物をして、静雄はボロを出さない自信が無かった。きっと、様子が変だと臨也に感づかれてしまう。この一週間をしのいだだけでも奇跡なのだ。

「行きたくないわけじゃ……ない」
「良かった。じゃあ行こ?」

そういうと、臨也は立ち上がり仕度を始めた。静雄はそれを暫し見つめてから、自分も着替え始める。

本当は、今日は行きたくないと言うべきだったのに。そう言うことが、この関係を長続きさせるためには必要だったのに。
静雄はこの男とデートできるという事実に、少なからず酔いしれていた。



二人ははじめに家電量販店へ行った。臨也の言う「目を付けてるキーボード」を買うためだ。

「こういうの、どれも一緒じゃないのか?」
「んー、まあよっぽど高いのじゃないと、あからさまな差は無いよ。でも個人によって使いやすいかどうかってのはある」
「そんなもんか」

静雄はあまり機械には詳しくないので、話半分に聞いていた。
ここまで電車で来るときから、臨也との距離が近すぎるように感じられて気が気でないのだ。ふとした時、横を向けば臨也がいる。
かがんでキーボードを見ていると、臨也が間近で「これもいいかも」と言った。そのときに、臨也の吐息が静雄の頬をかすめた。静雄が驚きのあまり急に立ち上がると、上で覗き込んでいた臨也の顎に静雄の頭がクリーンヒットした。

「うぐ!」
「あ! わ、ワリぃ」
「いひゃ、いいへど……」

臨也は涙目になりながら顎をさすっている。その様子がなんだか可愛くて、静雄はクスリと笑ってしまう。

「何笑ってんの……」
「ふ、ワリい」
「いいけど、ホントに痛かったんだからね?」
「分かってるよ、ごめんな」
「…………うん」

何故だか臨也は、驚いたような目で静雄を見た。
が、すぐに笑顔を浮かべて「やっぱりネットのほうが安いみたい」と言い、売り場を離れようと静雄の手を引いた。
静雄は気恥ずかしかったが、周りにはあまり客もいなかったので、その手を取った。
臨也の手のひらは少しだけ汗ばんでいた。


次に二人は、静雄の服を見て回った。山の手線で秋葉原から渋谷へと移動した。
静雄は元々バーテン服以外を着る機会が少なく、加えて今は臨也の家へ寝泊りしているため、まともな外出着は今着ている簡素なTシャツにジーンズだけしか持っていなかった。臨也はそれを見て、「今度のデートで着る服を買おう」と言った。
今でさえ夢のようなのに、次のデートなんて静雄には想像も出来なかった。しかし、臨也はシズちゃんにはどんな服が似合うかなあなんて言い、静雄の手を引きながらさっさと行ってしまう。

いくつか店を回り、臨也は静雄に、白地に大きなプリントの入ったTシャツとスキニーのデニムパンツ、グレーのスニーカーを買い与えた。
静雄には普段着ているものと大差ないように思えたが、値札を見て目を疑った。ただのプリントTシャツが静雄の半年分の服飾代に相当していた。

「いいのかよ、こんな高いの……」
「俺が買ってあげたいの。それに言うほど高くないでしょ?」
「お前金銭感覚狂ってるぞ」

さっきはキーボードの値段をどっちが安いか見比べていたくせに。
臨也が店員から袋を受け取るのを見ながらそう言った。臨也はケラケラと笑うだけだった。


駅に向かって、静雄と臨也は肩を並べ歩いていた。

「いっつも黒い服ばっか着てっから、俺にもそういうのを選ぶのかと思った」
「まあ、俺は黒が好きだけどね。……シズちゃんにはあんまり黒は似合わないと思うよ」

そう言った臨也はどことなく寂しそうに見えて、静雄は自分から臨也の手を握った。
臨也は何も言わなかったが、静雄の手を確かに握り返してきた。



池袋に戻ると、臨也が今日の夕飯の材料を買おう、と言うのでスーパーへ向かった。
臨也の料理の腕前はなかなかのもので、静雄はいつも食事の時間を楽しみにしていた。こういうのも餌付けの一種なのか、と悩むこともあったが。

「シズちゃん、今日は何食べたい?」
「別に、なんでもいい」
「そういうのが」
「一番困る、だろ。……お前の作るもん何でも美味いから。何でもいい」
「……嬉しいこと言ってくれるね」

くしゃりと笑う臨也に、何だか恥ずかしくなって顔を逸らした。顔全体が耳まで熱くじんじんとして、きっと赤くなっているのだろうと思った。

「じゃあ唐揚げにしようか。好きだよね?」
「ああ」
「シズちゃん子供舌だから」
「うっせ」

肘で小突こうとしたがひらりとかわされる。
カートを押しながら、臨也が何か欲しいお菓子あったら持ってきて、というので、静雄はビスケットを選んだ。帆船の柄がチョコレートに模られているものだ。これも商品名が鏡文字で印字されているが、それを読むのももう慣れたものだった。

「もっと高いのにすればいいのに」
「俺はこれが好きなんだ」
「ならいいけど。…………ね、シズちゃん」
「ん?」

臨也はさっきと同じように、暖かく笑っている。

「こういうのってさ、何だか幸せだよね」
「…………ん……」

そうだな、と答えようとしたが、喉が震えて声は出なかった。しゃくり上げそうになるのをなんとか堪える。

「え、シズちゃんどうしたの? 俺何か悪いこと言った?」

臨也が心配そうに見てくる。何とか大丈夫だ、と一言だけ搾り出したが、頬を伝う涙は治まりそうもなかった。


(元の世界でそう言って欲しかったと願うのは、わがままが過ぎるんだろうか)

そう考えると悲しくなってきて、静雄には自分が嬉しくて泣いているのか悲しくて泣いているのか分からなかった。




 


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