仕組んだのは誰だ



俺は力を無くした。
もう俺の手は道路標識を曲げない。
もう俺の腕は自動販売機を投げない。
もう俺の足は自動車を蹴り転がさない。


もう俺の力は、俺を守ってくれない。



そんなようなことをトムさんに話したら、「だったらウチに来いよ」と言われた。肌寒い秋の日だった。
それから数ヶ月、俺はトムさんの家に居候させてもらっている。いや、匿ってもらっている、と言ったほうが正しいかもしれない。
俺が力を無くしたという噂はあっという間に池袋中に広まり、俺に恨みを持つ連中はみんな俺を探した。今の俺にはナイフどころかささくれ立った木の棘だって刺さる。俺のアパートはそんなやつらによって荒らされきってしまった。そのことをトムさんに話したら、トムさんの家に来いと。

最初の1ヶ月は、それは心臓に悪いものだった。
俺のことを執拗に狙う奴らは、四六時中付け回しているようで、職場でも何度か襲撃事件にあった。トムさんはその度に笑って許してくれて、自分のことのように心配してくれた。俺はそんなトムさんに苦労をかけてしまうのが心苦しくて仕方なかった。だが、そんな俺をトムさんはまた心配して、許してくれた。
俺は優しいトムさんに嫌われるのが怖くて、でも力無い俺には奴らを追い払うことさえできなくて、ただただ怯えるだけだった。

それから数日して、トムさんはしばらく仕事を休んではどうだと提案してきた。確かに今の俺では取り立ての手伝いにすらならないし、仕事中に俺を恨んでいる連中に絡まれることも何度もあった。
社長もそれに同意してくれて、俺は好意に甘えてそうさせてもらうことにした。
トムさんが仕事に出ている間、俺はずっと家にいる。幸いここに俺がいるという情報は広まってないらしく、悪漢が乗り込んでくるようなことは無かった。
日がな一日、テレビを見たり、トムさんの本を読んだり、音楽を聴いたりして過ごした。トムさんは文学にも音楽にも造詣が深くて、たくさんの本やCDが家には並べられていた。俺はそれらを見ながら、トムさんの趣味嗜好に思いを馳せた。

トムさんはヴァローナと2人で仕事をしているようだった。若くて美人なヴァローナと二人きりで行動しているというのは、いくらか俺をやきもきさせた。トムさんはそれに気付いて、「お前以外誰も見てない」と言ってくれた。すごく嬉しくて、俺は何も答えられなかった。



それから数ヶ月そんな生活をして、現在に至る。
俺は実質無職状態で、外出すらままならない。トムさんに大きな負担を強いているのは明らかだったが、トムさんは気にするなと言ってくれる。俺はいつもトムさんの笑顔に絆されてしまうのだが、今日は、今日こそは何か役に立とうと、こうしてスーパーに夕食の買い物に来ている。

(カレー粉と、玉ねぎが無かったな)

久々に外に出たので、ここに来るまでサングラス越しでも日光が眩しかった。
幸い俺を憎んでいるものには出会っていない。ノミ蟲にも。まともに力仕事さえしない今、俺の筋力は平均のそれをも下回っている。見つかれば多分、一巻の終わりだ。

買い物を済ませ、帰路につく。まだ春は遠くて、俺は寒さにコートの襟の中へ首をうずめた。

「静雄」
「え」

振り返ると、すぐそばにトムさんがいた。とても冷たい目で俺を見ている。こんなトムさんは見たことがない。

「トム、さん……」
「何してるんだ? 静雄」
「夕飯の買い物をしようと思って……俺、トムさんに何もお礼ができないから、せめてこんくらいはって思って……」
「…………」

ハァ、とトムさんはため息を吐いた。とても不機嫌そうで、俺は怒らせてしまったのかと怖くて仕方がない。無意識に腕が一度だけ震えて、手に提げたビニール袋がガサッと大きく音を立てた。

「静雄」
「は、ハイ……」
「ありがとな」

トムさんは微笑んで、俺の頭を撫でてくれた。トムさんの手は暖かい。

「お礼なんかいいけどよ、お前が俺のために夕飯準備しようとしてくれたのはすげー嬉しい」
「トムさん……」
「でもよ、まだお前を狙ってる奴らはゴロゴロいる。危ないから、勝手に外出るのは……止めてくれ」
「はい……」

そんだけだ、帰んべ、とトムさんは言って、2人で一緒に帰った。ぶつかりそうな位に肩を寄せ合いながら。
そばにいるトムさんの匂いに、俺は言いようのないほどの幸せを感じていた。


それから、俺は外に出ることを止めた。トムさんに心配をかけたくなかったからだ。
トムさんはずっと家にいる俺を見て、奥さんみたいだな、と言った。気恥ずかしかったが、嬉しかった。本当にそうなれたらいいと思った。
幸せだ。
生活は楽とは言えないし、俺も相変わらず命を狙われていたが、トムさんと2人で暮らすこの家は楽園のようだった。


ピンポーン、と、玄関のチャイムが鳴った。
俺はトムさんに言われた通りに、ドアにチェーンをかけてから開ける。

「臨也……」
「久しぶり、シズちゃん」

俺を殺そうとしている奴の筆頭、折原臨也だった。

「てめぇ何しにきやがった」
「これ、開けてよ」

臨也はチェーンをつまみながら言う。その目には、いつもの人を馬鹿にした色は無かった。

「んなこと誰がするか」
「…………そう」

ドアの隙間から、臨也は部屋の中を覗く。相変わらずの覗き趣味に、その目を突いてやりたかったが、今の俺ではこいつにすら勝てない。

「シズちゃん、田中さんと仲良くやってる?」
「てめぇにゃ関係ないだろ」
「…………うん」

臨也は目を伏せる。どこか悲しげに見えたが、ノミ蟲のことなど考えないようにした。

「シズちゃん、ずっとここに飼われてるつもりなの」
「飼われてるってなんだよ」
「田中さんに飼われてるじゃん」
「……ああ゛?」
「…………俺も、強く言うことはできないんだけど」

ノミ蟲は意味の分からないことばかり言う。トムさんと暮らすようになって感情が高ぶることは滅多に無かったが、久々に怒りがふつふつと煮立ってくるのを感じた。

「……シズちゃん、ここから出ておいでよ」
「俺が力無くしたの知ってんだろ」
「俺が守ってあげるから!」


急に大きな声を出されて、ビクリと肩を震わせてしまった。
守る、とは、臨也が俺をという意味だろうか。
臨也の顔を見ると、頬が赤らんでいる。それはきっと寒さのせいだけではなくて、俺はそういうことか、と気付いた。
この男に好かれていたとは。
以前の俺なら何を馬鹿なことをと認めなかっただろうが、トムさんに深く愛されている今なら、こいつの恋心が見える。

「……いつからだ」
「ずっと。高校で初めて会ったときから」

臨也は金属のように光る目で俺を見ている。こいつの感情が突き刺さるようで、少し嫌だった。

「……シズちゃん、駄目だよ……。ずっとここに閉じこもっているの? 幽君にセルティと新羅やドタチン、帝人君や正臣君も心配してるんだよ」
「……まあ、みんなには悪いと思うけどよ」
「だったら、」
「でも、俺にはトムさんがいる」


そう、俺にはトムさんがいる。
池袋のみんなには申し訳ないが、俺にはトムさんがいればそれだけでいい。
臨也は絶望感に満ちた表情を浮かべている。いつもならもっとしつこい筈だが、臨也は俯いて黙り込んでしまった。

「用事はそれだけか」
「……それだけ。じゃあね、……またいつか」

臨也はそう言い残し去っていった。その姿が階段を降りて行くのを確認してから、ドアを閉める。
――なんなんだ一体。
告白だけしにきたようだったが、何故今日だったのか。高校の頃から好きだったというなら、さっさとそう言えば良いものを。散々人の人生を滅茶苦茶にしておいて、今更好きだ守ってあげるからなどと言われても、その思いに答えられるわけがない。
ただ、仕事をクビになりまくった末、トムさんと同じ仕事に就けたのは、感謝してやってもいいかなと思う。
もう臨也のことを考えるのは止めよう。どのみち二度と会うことは無いのだ。俺はこの部屋から出ないのだから。

春が近いとはいえ、まだまだ寒さが残る。すっかり冷えてしまった両手をすり合わせながら、晩飯の用意をするため台所に向かった。



「ただいまーっと」
「おかえりなさい」
「良い匂いすんな。晩飯何?」
「カレーっす。あとサラダと、福神漬け」

テーブルに皿を並べる。俺の料理のレパートリーはまだまだ少なくて、いつも似たり寄ったりな献立になってしまう。それでもトムさんはいいと言ってくれるが。

「今日さあ、あれ、オリハライザヤ、来なかったか?」
「…………え」

トムさんはスーツをハンガーに掛けながら、何でもないことのように言う。

「何か言われたか?」
「いや、その、……ここから出ないか、とかそんなことを」
「ふーん……そうか」

トムさんは自分から聞いておいて、さして関心も無いようだった。
それが、俺にも関心を失ってしまったかのように感じられて、俺は必死に弁解する。

「もちろん、嫌だって言いましたよ、俺にはトムさんだけっすから!」
「ハハ、分かってるよ、落ち着けって。……もうオリハラも来ないだろうしな」

何故トムさんがそう言えるのかは分からなかったが、トムさんが言うならもう臨也は来ないのだろう。それでよかった。

冷めちまう、早く食おうぜ。
そう言ってトムさんはテーブルについた。俺も同じようにする。
今日は変なことがありすぎて、まともに味は感じられなかったが、トムさんは美味しいと言ってくれた。嬉しかった。


夕食後、二人でテレビを見ていると、トムさんが紙袋を1つ、俺に差し出した。

「これ、なんすか?」
「開けてみ」

その言葉に従い袋を開くと、中には赤いビロード生地の張られた小さな箱が入っていた。それを取り出し、開けてみる。
そこには、銀色に光る指輪が入っていた。

「トムさん、これ……」
「婚約指輪。サイズ、合ってるはずだからよ」

そっと、指輪を取り出す。トムさんの方を見ると、填めてやるよと言われ、俺は言われるがままに指輪を渡した。
ドキドキと高鳴る心臓の音を聞きながら、ゆっくりと左手の薬指に指輪を通される。冷たい金属の感触が指を舐めていった。

「トムさん…………」
「これからは、お前は俺の奥さん、だべ?」

俺は堪らなくなって、トムさんに抱きついた。かなり強い力で抱き締めてしまったが、トムさんは何も言わず俺の頭を撫でてくれた。涙が少しこぼれて、トムさんの胸を濡らした。

「な、静雄……俺にも指輪、填めてくれよ」
「いいんすか……?」
「おう。みんなに自慢しちゃる」

ニカッとトムさんは笑って、つられて俺もふにゃりと頬が緩む。
トムさんの手をとり、そっと指輪を通した。トムさんは何度か拳を握っては開き、その感触を感じているようだった。

「ん、ぴったりだ」
「…………いいんすかトムさん。俺なんかで……」
「なんかとか言うな。俺はお前がいんだよ」

トムさんは指輪を填めたその手で、また俺の頭を撫でた。申し訳無くて嬉しくて、俺はボロボロと泣いてしまう。

「おいおい、泣くなよ」
「だっ、て……嬉し、くて」

涙は止まらない。
夕方あれほど怒りに満ちていた心は、今、堪えきれない喜びでいっぱいになっている。
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった俺を、トムさんは優しく抱き締めてくれた。俺のようにきつくするのではなく、ゆっくりと、柔らかに。


「静雄……?」
「はい……」
「これからは、もう自分で自分を守らなくていいからな」
「え?」

言葉の意味がよく分からなくて、顔を上げる。
眼鏡が反射していて、トムさんの表情はよく分からなかった。

「これからは俺が守ってやる」
「トム、さん……」
「だからどこにも行くな? ずっと、俺のそばに居てくれ」
「…………当たり前じゃないっすか……」


そう、俺はもうどこにも行かない。これからはずっとトムさんが守ってくれるのだ。
何故だか力は失ってしまったが、もうあんな、単なる暴力になってしまう力など必要ないのだ。どんなに非力な俺も、トムさんが守ってくれるのだから。


「トムさん、俺、幸せです」
「俺もだよ、静雄」

そう言って俺の手を握ったトムさんの手は、冬の寒さにそぐわずなんだか生暖かかった。




 


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