ワンダーランド・サーチライト
2.星雲






「シズちゃんてばホント脳筋だよねえ」
「ああ? 何を訳の分かんねえこと言ってんだテメェ!」

大きく振りかぶり、ゴミ箱を投げつける。臨也はそれを軽々と避けた。

「そんな難しいことは言ってないつもりだけど。……やっぱ、俺とシズちゃんは分かり合えないんだねぇ」
「テメェのことなんざ分かりたくもねぇ。さっさと死ねノミ蟲!」

ずきんと、胸が痛んだ。理由は考えたくなかった。

「俺もシズちゃんのことなんて知りたくもないよ。……例えば、君が恋してる相手だとか」

ざあざあと血の流れる音がする。鼓動が早まることはこうもはっきり知覚できるのかと静雄は感嘆した。
そうして、目の前が暗くなった。





「…………ッ!」

静雄が跳ね起きると、そこは知らない部屋だった。自分は真っ白なベッドに身を横たえている。
徐々に意識がはっきりしてくると、ここが知らない部屋ではないことを思い出した。

(ここ、臨也の家だ)

昨日、自分の恋人だと名乗るこの世界の臨也に連れられ、彼の自宅へ来たのだ。
まだ自分が別世界の人間だとは言っていない。言ったところで信じるとは思えないし、自分でも何と説明していいか分からなかった。

「シズちゃん、起きた?」

ドアが開いたかと思うと、臨也が入ってきた。柔和な笑みを浮かべたその表情は、この世界に来て初めて見たものだ。この臨也の知る静雄は、どんな表情で彼を見ていたのだろう。きっと同じように微笑み返していたのだろうが、自分もそうして見せる自信は静雄には無かった。

「大丈夫? やっぱり昨日から元気無いみたいだけど」
「ああ。……何でもない」

今の自分は自然に笑えていただろうか。あとで鏡を見ながら表情の練習でもしようと静雄は考えた。

「今日明日はお仕事休みでしょ? 今日も泊まっていきなよ」
「ん、そうする」

じゃあ俺は朝ごはんの準備するね、そう言って臨也は出て行ってしまった。
勝手が分からない静雄は、とりあえず顔を洗おうと洗面所を探す。それは部屋を出て左手に向かったところにあった。ということは、自分の知る臨也の家では右側にあるのだろうか、と静雄は考えたが、くだらない妄想だと首を振った。元の世界において、自分があの宿敵の家へ行くことがある筈がないのだ。あれだけ憎み合っているのだから。
顔を洗おうと洗面台の前に立つと、そこには歯ブラシが2本立ててあった。ひとつは赤く、もう一つは青。一目見て、この世界の臨也と静雄のものだと理解した。根拠は無いが、はっきりとそう伝わったのだ。きっと自分なら、臨也なら、この色の歯ブラシを選ぶのだ。静雄はそれを使うべきかと手を伸ばしたが、この世界の臨也と近づいてしまうのが恐ろしくなって、止めた。
鏡を見れば、全く生気の無い自分が映っている。これでは笑顔の練習なんてとてもできない。
水で適当に顔を洗い、かけてあったタオルで乱暴に拭った。

リビングに行くと、臨也が朝食を並べているところだった。甘い香りが鼻腔をくすぐる。見てみれば、焼きたてのハニートーストがテーブルに載っていた。

「ハニートースト。好きだよね?」
「ん、」

頷いて肯定して見せたが、実際には静雄はハニートーストを食べたことはなかった。しかし臨也がそう問うのなら、この世界の自分はそれが好物なのだろう。甘いものは好きなので、きっと自分も気に入るはずだ。
席に着き、周りを見回しながらトーストをかじる。思っていたよりも普通の部屋だった。観葉植物や箱ティッシュ、リモコンなどが住む人の活動に合わせて置かれている。静雄は、臨也の家はもっと無機質なのだと想像していた。家主と同じく、生活臭のしない乾いた部屋なのだと。そんな想像をしていたことが、今は少しだけ申し訳ない気がした。が、怨敵にそう思ってしまうことは、静雄をいくらか苛立たせた。

「……どうしたの? もしかして美味しくなかった?」
「え? いや……んなことねェよ。美味い」
「眉間に皺が寄ってる」

静雄は驚いた。この世界の自分は、この男の前で普段、眉間に皺を寄せることをしなかったのか。そんなにも柔和な表情を見せていたのだろうか。先ほどから感じていた苛立ちは、嫉妬だったのだと、静雄はこのとき気付いた。
この男に愛される自分へ、静雄は嫉妬していた。





「……例えば、君が恋してる相手だとか」

ざあざあと血の流れる音がする。鼓動が早まることはこうもはっきり知覚できるのかと静雄は感嘆した。
そうして、目の前が暗くなった。

「バレてないと思ってた? 残念だけど、俺は情報屋だからね。君が誰にも話したことのない情報だって知ってる」
「……どうやって知った」

自分でも驚くほどに、覇気の無い声だった。じわじわと視界が戻ってくる。
本当にこの男が、自分の好きな相手を知っているのかなど分からない。ただ、遠回りにいやがらせをするのではなく、直接そう告げるのなら、きっと知っているのだろう。臨也はそういう人間だ。

「この俺が宿敵の部屋に何も仕掛けてないとでも? 盗聴器盗撮カメラその他もろもろ、君の部屋からわんさか出てくるはずだよ」
「っ……このゲス野郎が」
「酷いなあシズちゃん。好きな子はいじめたくなるタイプってわけじゃないでしょう?」

拳をきつく握り締めすぎたのか、爪が手の腹の柔らかい部分をえぐった。指の隙間に血が滲んでいく。

「俺だってこんな情報知りたくなかったけどねえ。シズちゃんてばずーっと俺のこと考えてるから」

臨也はへらへらと笑ってナイフを取り出す。そしてパチンと小気味良い音を響かせ、ギラギラと輝く刃を露にした。
静雄はなおも手から血を流し続けている。


「俺は、シズちゃんのこと大嫌いだよ」




 


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