ワンダーランド・サーチライト
1.月光






平和島静雄が目を覚ますと、そこは自宅だった。


昨晩、仕事を終えた静雄は上司と一緒に飲みに行った。あまり酒は強いほうでは無いが、むしゃくしゃしていたのだ。飲まずにはいられなかった。上司は何度も程々にしておけと忠告したが、静雄は返事ばかりで聞く耳を持たなかった。二件目の居酒屋を出た辺りまでは覚えているが、その後の行動が記憶に無い。

(トムさんに電話するか)

携帯電話はいつもそうしているように、枕元で充電されていた。パカリと開く。

「あ? ……なんだ、これ。壊れてんのか?」

そこには逆さまの文字盤の懐中時計が映っていた。携帯の待受画面が、登録した覚えの無いものに変えられていたのだ。それだけならば誰かの悪戯かとも思うが、何よりも大きな違和感が一つ。
文字の表記が、全て左右反対になっている。いわゆる鏡文字だが、こんな表示になっているのを静雄は初めて見た。メニュー画面、アドレス帳と開いてみるが、どれも鏡文字になっている。気味が悪かった。

「まあ、電話は掛けられるよな……」

上司の名前を探してみると、『田中 トム』と登録されている。自分は確か、『トム先輩』と登録していたはずだ。違和感を感じたが、とりあえず電話をかける。

「あ、もしもし」
「あー、静雄先輩。おはようございます。どうかしたんすか?」
「は……?」

上司は、俺をからかっているのだろうか。電話の声からすると、自分の上司で間違っていないはずだ。彼は自分の上司であり、先輩だ。まさかヴァローナかとも思ったが、流石に彼女がそんな悪ふざけをするとは思えなかった。

「トムさん、俺のことからかってんスか……?」
「え? 何言ってんすか? ……てか、トムさんなんて止めてくださいよ。いつもみたいにトムって呼んでください」
「はぁ……。ん? ……!!」

どうやら俺のことを担いでいるわけではないらしい。静雄は部屋を見回して気付いた。
部屋中の家具の配置が、昨日と逆になっている。カレンダーの文字も鏡文字で、自分はアパートの二階に住んでいたはずだが、窓の外を見れば、どう見ても一階。ドッキリにしては手が込みすぎている。

「ト、ム……、出社時間は10時だよな?」
「ええ、いつも通りっすけど」
「ん……ワリィ、何でも無かった。また会社で」
「はぁ、了解っす」

通話を切る。こちらがため口で話しても当然のように返事をしたところを見ると、いよいよおかしなことになってきた。
とりあえず出社しようと、クローゼットを開ける。そこには、いつも着ていたバーテン服は一着も無く、トムが着ているものと良く似たスーツが掛かっていた。他に通勤に向いた服が見当たらないので、仕方なくそれを着る。
まだ出社時間まで時間がある。テレビを付けてみると、いつも通り朝のニュースが流れていた。文字が反対になっている以外におかしなところは見当たらない。
これが悪い夢であるようにと祈りながら、静雄は食パンをオーブントースターに入れた。





その後、出社するまでにも様々な変化があった。
まず、信号の色が逆になっている。いつも通り青で渡ろうとした静雄は、危うく轢かれかけた。そして、東西南北も逆になっている。いつもは池袋駅の南口から東口へ抜けるのだが、そうしてみるとそこにはあるはずの無い百貨店や劇場などが立ち並んでいた。



いったい全体どうしてしまったのだろう。
上司だったはずの男は、自分の後輩になってしまっている以外におかしなところは見当たらない。まさかと思ったが、バーテン服は着ていなかった。吸っている煙草の銘柄も同じだし、トレードマークのドレッドヘアーだって変わらない。ただ、年齢は自分の一つ下になっていた。自分よりも若い上司は見慣れなくて違和感を禁じえない。
最近出来た後輩のヴァローナは、いないことになっていた。そもそも露西亜寿司があるかどうかさえ怪しい。
やはりこれは夢かと頬を抓ってはみたが、痛いばかりで覚めることはない。目が回りそうな光景に疲れ切った静雄は、さっさと取り立ての仕事を終わらせ公園のベンチに座っていた。手の中の缶コーヒーに印刷された文字は、やはり反転している。味がいつもと変わらないことに静雄は感謝した。

(ここは一体何なんだ。……俺は元の世界に帰れるのか?)

溜息をついてみても世界は元には戻らない。もしかして今までいた世界が偽物だったのだろうか?全ては夢で、今いるここが現実なのだろうか?
静雄は思案に明け暮れるが、一向に世界が戻る気配は無い。もうこのままこの世界に適応する努力をしたほうがいいのだろうか、と静雄が諦め始めたとき、見慣れたコートが視界に入った。


「てめ、臨也……!」
「あれ、シズちゃん……?」

こんな世界でさえ憎き宿敵に出会うとは。まさかもしかしなくてもこの不可思議な現象はこいつの仕業ではなかろうか。とりあえず一発殴ろうと静雄が立ち上がると、臨也がこちらに向かって走ってきた。いつも通りナイフを突き刺そうというのだろう。刺さりはしないと理解しているが、咄嗟に身構える。

「シズちゃん、探したよ!」
「っ、は……?」

だが当たった衝撃は硬質なものではなく、柔らかい感触。数拍置いてから、静雄は臨也に抱きしめられているのだと理解した。

「恋人の俺にも何にも連絡しないでいなくなっちゃうんだから……。心配したんだよ?」
「…………」



なんということだろう。まさかこいつとの関係さえ、一番変わることの無いであろう関係さえ反転してしまうなんて。





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