22.
「私達の将来に全面的に影響するかもしれないのよ。」
『…』
真面目な顔、深刻そうな声音で、ハーマイオニーが言った。
名前はコクリと頷いて同意したが、ハリーとロンは聞いちゃいなかった。
「僕、魔法薬をやめたいな。」
「そりゃ、ムリ。」
二人はこれからテストでもを受けるような、憂鬱そうな顔をしてリストを眺めている。
三年生で選択する科目を決めなければいけないのだ。
復活祭の休暇中に、二年生である名前達は選択を迫られていた。
三週間ほどの長い休みだったが、それを理由に、名前は帰国する事を止めた。
「これまでの科目は全部続くんだ。
そうじゃなきゃ、僕は『闇の魔術に対する防衛術』を捨てるよ。」
「だってとっても重要な科目じゃないの!」
ハーマイオニーは見ていたリストから顔を上げて、悲鳴に近い声音で言った。
けれどもロンは意に介する様子が無い。
挑戦的な表情で、むしろ言い返してみせた。
「ロックハートの教え方じゃ、そうは言えないな。
彼からはなんにも学んでないよ。
ピクシー小妖精を暴れさせる事以外はね。」
『…』
ロンとハーマイオニーのそんな会話を聞きながら、名前はリストに目を通す。
多くの二年生が何を選択するか、頭を悩ませている。
先輩に助言を求める者、
親しい友人と同じ科目を選ぶ者、
身内に意見を押し付けられる者など、
個人の考えはともかく、各々情報を求め、与えられ、選択した。
そんな中、ハーマイオニーは誰からの助言も受けずに全科目を登録した。
名前は名前で、一通り科目に目を通すと、戸惑う事なく全科目を登録した。
「ナマエ、全科目受けるんだ。」
『…。』
頷く。
「本気かい?ナマエ…」
ロンは目を見開いてから、名前のリストを覗き込む。
途端に顔を歪めた。
「信じられないよ。」
『…』
「…でも、宿題とか、教えてくれる?」
「ダメよ、ロン。自分の力でやらなきゃ意味無いじゃない。
ナマエ、一緒に頑張りましょう。」
『…頑張ろう。』
ロンは不満げな顔をしている。
だけどいざというときには、ハーマイオニーは教えてくれるのだ。
授業を終えた名前は、図書館に向かっていた。
就寝時間ギリギリまで図書館にいるのは、珍しい事では無い。
『…』
館内は人気が無い。
司書のマダム・ピンスがカウンターにいるのみだ。
それもそうだろう。
明日はクィディッチの試合があるから、皆その話で盛り上がっている。
それに何より、こんな時間に図書館へ来る生徒は滅多にいない。
『…』
図書館の奥の奥を目指して歩く。
名前の定位置と言ってもいいだろう。
お気に入りなのかもしれない。
『…、……。』
名前は立ち止まった。
目指していた椅子。
その隣に座る者がいた。
こちらに背を向けている。
その背を、名前はじっと見詰める。
近付いていた足音が、すぐ側で止まったせいだろう。
体を捻って、名前の方へと顔を向けた。
「やあ。」
『…
トム。』
トムだった。
名前がいつも座る椅子、
その隣。
トムは歓迎するように、穏やかな微笑みを見せた。
まるで、名前が来るのを待っていたかのようだ。
「久し振りだね、ナマエ。」
『…』
「座って話さないかい?椅子は空いているよ。」
『…』
トムは、隣の椅子―――名前がいつも座っている椅子―――を、手で示した。
名前へ座るように、促したのだ。
立ち尽くしていた名前は、その手を見詰めた。
それからゆっくりと動き出して、椅子に腰掛けた。
『…』
腰掛けたきり、名前は俯いたまま口を開かない。
図書館に来たのだから、本を読むか借りるかするのが普通だろう。
しかし名前は、図書館に来るという行為。
その行為から考えうる理由のどれもを否定するかのように、微動だにしない。
今の名前は、本が目当てではないようだ。
トムは首を傾げている。
「…ナマエ、どうしたんだい?
もしかして、僕と会うのが久し振りだから、緊張でもしているのかな?」
『いや…、
トム。何かあったのですか。今まで…』
「僕は来ていたよ。
きっと、入れ違いになっていたんだろうね。」
『…』
「もしかして、心配させてしまったかな。」
『…』
僅かに顎を引いた。
心配していたらしい。
『…
あなたに会えたら、……』
「ん?」
『あなたに会った時に、聞こうと思っていた事があったんです。』
「おや。ナマエが僕に聞きたい事があるなんて、珍しいね。
何だい?」
『T・M・リドルという人物を…ご存知ですか。』
「知っているよ。『特別功労賞』をもらったんだから。
だけど、どうしてそんな事を聞くんだい?」
『彼の日記を拾ったんです。』
「日記を?」
『拾ったのは俺ではないです。
…見せてくれました。』
俯いていた顔を上げる。
それからゆっくりと、トムの方へ顔を向けた。
先の見えない闇のように黒い瞳。
じっとトムを見詰める。
『何も書かれていませんでした。』
「…」
『…何か仕掛けがあると思います。だけど…』
「…」
『何も書かれていない、五十年前の日記を…どうして捨てたのか、分からないんです。
どうして、それが今なのか…分からないんです。』
「…」
『日記は五十年前のもので、トムは彼を知っている。
…俺は、彼が、…
五十年前の秘密の部屋が開かれた事…
関係していると、そう思うんです。』
「…そうか。それで、つまり。
ナマエは僕に、話してほしいということかな?」
『…はい。』
「彼のこと?
それとも事件の様子?
被害者の名前?…」
『はい。』
「君が思った通り。確かに僕は知っているよ。
でも。
残念だけど、話せない。」
『…どうしてですか。』
「君は頭が良い。約束も守ってくれる。とても律儀だ。
だからこそ話せないんだ。」
『…』
「僕が話せば、君は全てに気付くだろう。
気付いた君は、何もせずにいてくれるかい?」
『…』
名前は唇を真一文字に引いた。
視線をさ迷わせている。
「そう。君は、知らないふりなんかできない。」
『…』
「けれどもナマエ、分からないのかい?
知れば知るほど、危険なんだ。
僕は、君が危険な目にあってほしくないから、こうして忠告しているんだよ。」
『…』
さ迷わせていた視線を、徐々にトムへ向ける。
『トムは、どうして。…』
「ん…?」
『そんなに…
俺の事を心配してくれるんですか。』
「友達の事を心配するのはおかしいかい?」
『…友達…だと、……
思っているのですか。…』
「そんな言い方はよしてくれ。傷つくじゃないか。」
『ごめんなさい。傷付けるつもりは無かった。ただ、
…俺は俺の事を、一緒にいて楽しい人間だとは思えない。』
「そう卑下することはないさ。
僕は友達だと思っているよ。お互いに足りないものを補っている。
パズルのピース…そんなところかな。
それに何より、僕は君が好きなんだ。」
爽やかな笑顔を浮かべながら、そんな事を言うのだ。
自身と対極的な笑顔を向けられた名前は黙るしかない。
「ナマエはどう思ってる?僕の事。
…
合わない?嫌っているのかな。」
『…』
「君の事だから、遠慮してしまうかもしれないけど…はっきり言ってくれて構わないよ。
その方が僕は良い。曖昧にされてしまうと、僕はこれから…
君に嫌な思いをさせてしまうかもしれない。」
『…』
「ナマエが僕を嫌っていたらの場合だよ。どうかな?
…
どう思ってる?」
『…』
ボーン、
ボーン。
図書館の壁に掛けられている、今にも壊れてしまいそうなくらい古い時計が鳴った。
「就寝時間だ。」
言いいながら、トムの顔は時計の方へ向けられた。
それからゆっくりと、再び名前へ視線は戻る。
「寮に戻らなきゃね。…
おやすみ。ナマエ。」
『おやすみなさい。トム。…』
落ち着いた声。
穏やかな微笑。
赤い瞳は僅かに弧を描く。
名前に向けられる、普段と何も変わらない表情だ。
しかし今は、普段見せるその表情が、少し寂しげに感じさせた。
点された蝋燭の、仄かな明かりのせいか。
答えを述べられなかったせいか。
それをトムが自ら断ち切ってしまったせいか。
『…』
椅子から腰を上げた名前は、トムのその表情をじっと見る。
秘められた心情を探そうとしているのか。
はたまた、この場から離れる事を戸惑っているのか。
トムは笑みを深くする。
この場から離れる事を促すように。
『…おやすみなさい。』
もう一度、名前はそう言った。
体を図書館の出口に向けてから、少しだけ、また躊躇するように立ち竦む。
それからようやく、図書館を出ていった。
そうして寮に戻った名前は、ハリーから日記が盗まれた事を聞くこととなる。
その後再び、トムは図書館に現れなくなった。
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