21.-3






「あ?
あ―――っ
何だ!?

レフェリー
ストップの合図だ!!」





レフェリーが両手を交差させている。

会場内が一気にざわつく。





「し…
試合終了か!?」





ざわめきが消える。

時が止まったかのように、皆が言葉を失っていた。





「何が…
一体…

一体何が起こったのでしょうか!?

レフェリーが突然…
試合終了の合図を…」





柳岡が千堂の前に屈んだ。
そして、そっと左手を伸ばす。

千堂の右手。
膝に置かれた、グローブ。

触れた途端、それはズルリと膝から落ちた。





カンカンカンカンカン



「し

試合試合〜〜っ!?

千堂、4ラウンド開始のゴングに応じられません!!

棄権負けです!!」





ゴングの音に混じって、驚きを隠せない実況者の声が響いた。





「会場中が言葉を失っています!
まだ事態がのみこめません!」





ゴングが鳴り止んだ会場内には、実況席の実況者の声しか響いていない。





「いや
一番のみこめないのは幕之内か!?
呆然としたまま青コーナーを見詰めています!」





リングの上で立っている幕之内。

椅子に腰掛けたまま動かない千堂を、じっと見詰めている。





「今、担架が用意されました!
どうやら千堂は意識を失っているもようです!」



「あのテンプルの一打ですね。」





やって来た担架を見て、観衆がざわめきだした。

千堂の状態を、やっと理解し始めたのだろうか。





「第3ラウンドのラッシュの際
幕之内が死に物狂いで放った右のテンプル。
おそらく、あの時から、千堂の意識は途絶えていたのでしょう。

勝敗に関わらず、試合の記憶が無いということは
ボクシングではしばしばあります。」





実況席から、落ち着いた声で、マイクを通して伝えられる。





「肉体や精神の限界を超えて本能のみで闘っているのです。
そしてその本能を突き動かしていたのは、

他ならないこの体育館を埋め尽くした
大観衆の声に違いありません。」





観衆が見守る中、千堂はリングの上から担架の上に乗せられる。





「今、幕之内の手があがりました!
フェザー級全日本新人王の勝ち名乗りです!」





リングの上で、レフェリーが幕之内の右手を持ち上げた。

持ち上がった右手は天井を向く。

赤いグローブがライトに反射している。

鮮やかに輝いてさえ見える。





「そして青コーナーの向こうに千堂が運ばれていきます!
まだ意識は戻っていません!」





担架に乗せられた千堂。

付き添う柳岡が、心配そうに千堂の側を歩く。





「原形をとどめていない勝者の顔と
ピクリともしない敗者の様子が死闘の跡を物語ります!」





肩で息をしながらも、幕之内は千堂の方を見詰めている。

眉を寄せている。

この状況を理解出来ていない表情に見えるし、
千堂の身を案じているようにも見える表情だった。





「注目の大一番の名に恥じない
名勝負でした!」





観衆のざわめきが波紋のように広がっていく。





「間違いなく
全日本新人王史上に残る
語り継がれていく一戦になるでしょう!」





担架で運ばれていく千堂。
観衆の目が集中している。





「千堂―――っ!」





どこからか、声があがった。





「お前最高やあっ!

最後の最後までお前はワイらのロッキーやったで!!」



「そやっ!
お前やっぱり浪速のロッキーや!
ずっとずっと応援してくで!」





ロッキー!
ロッキー!
ロッキー!…





盛大な拍手。
そしてロッキーコール。

会場内に響き渡ったそれは、この建物そのものを振動させるほどだった。

意識の無い千堂には、聞こえるはずもない。





「…」





リングの上で、呆然と、棒立ちの幕之内。
目は、担架で運ばれていく千堂の姿を追っている。

やがて千堂の姿は見えなくなった。
それでも幕之内は、千堂の消えた扉から目を離さない。





『…』





扉の向こうに消えた千堂。
名前もその姿を見送っていた。
そして幕之内と同じように、ただ見詰めている。

相変わらずの無表情だった。
涼しげな目元も変わらない。

ただ、真一文字に引かれた唇。

緊張をたたえたそれのみが、名前の心情を表していた。





『…』





やがて名前は動き出した。

もたれていた壁から背中を離して、やや猫背気味の体勢で歩き始める。
長い足を使い大股で歩けば、会場の出口なんてすぐである。

僅かに身を屈めて、扉をくぐるようにして廊下に出た。

扉を閉めて歩き始めても、拍手とロッキーコールはなかなか鳴り止まなかった。

















『…』





「西軍控室」の貼り紙のあるドアに辿り着いたのは、それから数十分ほど後の事だった。

初めて来た建物。
名前は見事に迷子になった。
けれども辿り着けたのだ。

「西軍控室」

確めるように、貼り紙をじっと見詰める。





コンコン



「はい」





控え目なノック。

中から聞こえてきたのは、柳岡の声だった。

ノブが回り、ドアが開かれる。
顔を出した柳岡と目が合った。





「名前くん!」



『…』
ペコリ、お辞儀をする。





柳岡は穏やかな笑みを浮かべて、名前を部屋の中へ招き入れられた。

既に意識を取り戻したらしい。
千堂は簡易ベッドに座っている。

名前と視線が合うと、千堂は大袈裟なぐらい目を見開いた。





「とりあえずは大丈夫みたいや。
精密検査受けたわけやないから、詳しいことはわからんけどな。」



『…よかったです。』





ドアを閉めながら柳岡が言う。

名前は案じていたらしく、そんな言葉を返した。

しかし抑揚の無い声音で、しかも無表情でそんな言葉を返すのだ。

真実味が無い。





「名前…何でここに…」



『試合を…見たかったんです。』



「………」





千堂は名前をまじまじと見詰める。

名前はそんな千堂を見詰めて、首を傾げている。





「(…まだ学校ある時期やないんか?
イギリスの学校ってどないなっとるんや…日本の学校とちゃうんか?)」





名前が首を傾げている。
それに気付いた千堂は、自分の世界から帰ってきた。

そして少し焦った様子で口を開いた。





「わ、ワイの試合見るためだけに、わざわざ帰国したんか…」



『はい。』





素早い返事に、千堂はまたもや言葉を失う。
そしてまた自分の世界に入ってしまった。

事実、名前はこれからまたイギリスに向かうつもりだった。
とんぼ返りである。





「(ホンマに律儀なヤツやな…
帰れない理由は、いくらでも作れたはずやのに)」





珍しいものでも見るように、千堂は名前をじろじろと見た。
若干呆れも含んでいるかもしれない。

じっと見詰められてわけがわからない名前は、その視線の意味を理解出来ない。
悪い意味が無いことを祈るばかりである。





『…千堂先輩。』



「なんや?」





見詰められたくない。
名前の事だ。そんな思いからだろう。
咄嗟に飛び出た言葉だったらしい。
名前を呼んだ後で黙り込んでいる。

話す事があるにはあるが、話せるほどにまとまってはいないのだろう。

しかしだ。

「何でもない」とでも言ってみよう。

たとえボロボロのガタガタのズタズタのこの状態でも、掴みかかってくることは容易に予想出来る。





『…』





何を話そうか?

1.試合の感想
2.初めから見てはいないこと





『…』



「なんやねん?」





RPG風に、そんな考えが脳裏に浮かぶ。

言いたいことはある。
しかしやはり言葉がまとまらなかった。





「早く言わんかい!」



『す…すみません。』



「まったく…何でキサマはいっつも考え込むんや。
言いたいことまとめてから話せや。」



『…』



「…」



『…』



「…早く話さんかい!」



「千堂、あんまり大声出すんやない。
安静にしとき。」



『…』





まとめようとしたのに、辛辣である。

名前には到底無理な話だ。





『あの、…』



「なんや。」



『…』



「…」
眉間の皺が深くなっていく。



『…』





千堂はベッドに座っている。
そこで黙って、名前が口を開くのを待っている。

千堂の眼光は鋭い。
加えて、吊り上がった三白眼だ。
ただ見詰めているだけなのに、睨まれていると錯覚してしまう。

見詰めている対象である名前は、その視線に戸惑っているらしい。
目が泳いでいる。






『…格好よかったです。』



「……」
目をぱちくりさせている。



『…あなたの後輩でよかったと、思いました。』



「…」





やっとこさ口を開いた。
しかし言葉数は少ない。

それだけ言うと、名前はまた口を閉じた。

千堂は、目を見開いたままだ。

名前の言葉が意外だったのか。
話したことに対する驚きか。
少ない言葉数に呆れたのか。

瞬きもせずに、名前を見詰めている。

それから我に返ったのか、短く息を吸った。
そしてぷい、と顔をそらした。





「そんなん、無表情で言われても、真実味無いわ…」





僅かに尖らせた唇が、もごもごと動く。
ぶっきらぼうな声だ。

けれど頬はほんのり赤くなっていた。

彼の言葉が、照れ隠しからのものだと如実に語っていた。





『…』





言わなければならない事は二つほどあった。

一つ、「試合の感想」は伝えられた。
二つは、「実は初めから見てはいない」事だが。

何だか機嫌がいい。
言うべきだろうか。



名前はまた考え込み、黙り込むのだ。

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