21.-1






まだ誰もが夢の中であろう早朝に、名前は目を覚ます。

辺りは真っ暗だ。





『……』





ベッドの中で横たわったまま、しばらく瞬きを繰り返す。

それからやっと起き出して、静かに着替えを済ませる。





『…』



カサリ。





部屋には誰かのイビキと寝息が響いている。

そんな中で、乾いた音がした。

音からして、床に落ちたらしい。

それを拾おうと手を伸ばした。





『…』





暗闇の中、手探りでそれを掴む。

手にとってみて、それが手紙であるらしい事が理解出来た。





『…』





名前は手紙(らしきもの)をスウェットのポケットにしまう。

それから静かに部屋を出ていった。



日課の走り込みをしなければならない。















『………』





名前は息を弾ませながら、目の前にそびえ立つ建物を見上げた。

大阪府立体育館。
一般入口の前。

―――全日本新人王決定戦―――
と、書かれた貼り紙。
深呼吸をしながら、貼り紙を見詰める。





『…』





呼吸を整えながら、ポケットに手を入れる。

一週間程度のハーフタームを利用し、わざわざ日本に帰国したのは、
この「全日本新人王決定戦」を見るためと言っても過言ではない。

ポケットから引き出したのは、そのためのチケットだ。

手紙の内容はそれだった。
名前の父親が知らせたのだ。
「千堂先輩の試合があるよ」と。

相手である「幕之内一歩」の拳の怪我が原因で、試合は出来ないと聞いていたが。
ギリギリ、試合が出来る状態にしたらしい。





『…』





チラリ。腕時計を見遣る。

既に試合は始まっているだろう。





『…』





呼吸が元に戻った名前は、入口をくぐるようにして入った。

早足で試合会場へ向かう。

余裕を見て来たはずが、遅刻してしまった。
早く行かなければならない。





「千堂…

ダウ〜〜ン!!」





『…』





会場の扉越しに、そんな声が名前の耳に届いた。

慌てた手付きで扉を開ける。

会場内に入った途端、まとわりつくような熱気が名前を包んだ。





「第3ラウンド32秒!!
幕之内の右アッパーが火を噴きましたぁっ!!

千堂ォ
ダウ〜ン!!」



『…』





足を踏み入れ、歩を進める。

ライトアップされたリングが見えた。





「強〜〜烈な一発!!

逆転に次ぐ逆転!
しかし、これがピリオドになるかあ〜〜〜〜っ!?」



「ニュートラルコーナーへ!」



『…』





リングの上。

千堂が横たわっていた。

傍らには、千堂の物であろう、
マウスピースが落ちている。





「1!!」



「大応援団が息を呑んで見守ります!」



「2!」



「しかし無情にカウントは進む!
立てるか
千堂!!」



「3!!」



「立てるか!?

それとも
地元で散るのか!?」



「4!」



「千堂
大の字のまま微動だにしません!」



「5!」



「カウントは5!!

しかし
千堂動こうとしません!!

これは立てそうもないか!?」



「6!」





千堂が上半身を起こした。

微かに震えるグローブ。
マウスピースを掴む。

レフェリー、幕之内。
二人とも驚いたように、ぽかんと口を開いていた。





「あ
あ―――っ!!

千堂
マウスピースを拾った!

そして

くわえた!!」





ざわつく観客。

それはすぐに声援へと変わる。





「7!」



「あ―――っと
立つか千堂!

足元が覚束ない!

ダメか?
ダメか!?」



「8!!」





何とかといった様子で、千堂は立ち上がった。
しかしすぐによろめいてしまう。
目の前に立っていたレフェリーの肩を掴んだ。
そうでもしなければ、立っていられないのだろう。





「9!!」





千堂は立ち上がった。

レフェリーを押しどけるようにして、自らの足で立った。





「うわ〜〜っと
立ちましたっ!!

カウント9
ギリギリで千堂が息を吹き返したあっ!!」





沸き立つ歓声。
鼓膜がビリビリする。

地響きでもしているようだ。





「さあロッキーコールだ!
この大歓声に千堂
応えることができるか!?」



「ファイト!!」





試合が再開された。

千堂は構えている。
しっかり相手の幕之内を見詰めている。





『…』





名前は壁に背中をくっ付けて、もたれ掛かる。

ふう、と。
唇から、微かに吐息がもれた。

知らず知らず、息を凝らしていたようだ。





「あ―――っと千堂!!
ジャブでヨロけた!!

やはり
ダメージは深刻か!?」





視線は真っ直ぐ、リング―――正確に言えば、リングの上の千堂に向けられた。

席に座らなければいけない。
名前の手元にはチケットがある。

けれども名前は動かない。
壁にもたれかかったまま、じっと千堂を見詰める。





「幕之内
勝負に出た!

どうしのぐ
千堂!?」





目に止まらぬ速さで、幕之内は千堂を打つ。





「千堂
右―――っ!!

しかし体が泳いだ!

そのままロープにもたれる!!」





ダメージが残っているらしく、千堂の足には力が入らない状態だ。

追い詰められる千堂。
名前にとって、それは初めて見る千堂の姿だ。

ジムでの練習振り。
戦績。

とても優秀だったから。
考えられない姿だった。





「さあ幕之内
フィニッシュにかかる!

左から
右―――っ!!」






幕之内のパンチを、千堂はガードしてばかりだ。

もたれたロープが大きくしなっている。





「あっと
これはうまい!

千堂
体を入れ替えた!」





タックルでもする勢いで、幕之内のパンチを避ける。

千堂は幕之内の脇腹を掴み、ぐるりと幕之内の背後へ回り込んだ。





「今度は
幕之内がロープを背負…

あ―――っ
左―――っ!!」





幕之内の鳩尾目掛けて、千堂が打った。





「打った千堂もヨロける!

も〜〜のスゴイ根性だ!!」





一旦はよろけた両者だが、すぐに態勢を立て直した。

睨み合っている。





「千堂うまく体を入れ替えた!

今度は幕之内がロープを背負って防戦か!?

しかし千堂
足にきている!」





名前の場所からでも、千堂の足が震えているのが見えた。

幕之内が拳を構える。





「うわ―――っ
千堂
右!!

まだ力を残しています!!」





幕之内はガードをして防ぐ。
グローブ越しに鈍い音がした。

足に力が入らない者のパンチではない。





「今度は幕之内!!」





千堂もガードをして、幕之内のパンチを防ぐ。





「千堂返したあっ!!」





パンチの応酬が続く。
それは徐々に速まり、互いの身に当たった。

しかしどちらも止めない。





「も
ものスゴイ打ち合いになりました!!
両者の強打が鋭い音をたてて炸裂します!

それにしても
千堂凄まじい気迫!
先程のダウンを全く感じさせません!

このファイトに
地元応援団も呼応します!

お聞き下さい
この大歓声!!」



「いけいけ―――っ!!
それでこそ浪速のロッキーや!!」
「さっきのダウンのお返ししたれえっ!!」
「ブっ殺したらんかいっ!!」



『…』





試合の激しさに対してか、
歓声の激しさに対してか、

名前の顔色は良くない。

普段から良くないが。





「相打ち―――っ!!

両者の動きが止まった!」





互いの顔面に拳が当たった。
鈍い音がした。





「あ―――っ
千堂
左!

打ち勝ったのは千堂!!」」





顔を歪めながら、幕之内は防ぐ。

歓声は激しくなるばかりだ。




「右―――っ!!」





ガードをすり抜けて、掠めるようになってきた。





「幕之内も返す!!

こちらのファイトもスゴイ!!」





幕之内のパンチが、千堂の顔面に当たった。

しかし千堂は怯まない。
拳を構える。





「あ―――っ
左!
入ったあ!!」





今度は千堂のパンチが幕之内の顔面に当たった。

歯が折れそうな位置だ。





「幕之内仰け反った!!

きいたか
きいたか〜〜っ!?」





態勢を立て直した幕之内。
パンチを繰り出す。

そのパンチを避けた千堂は、拳を構えた。





「うわ―――っと
スマッシュ!!

必殺のスマッシュが顔面を
ジャストミートォ!!」





下から突き上げるようなパンチは、幕之内の顔面に当たった。

フックにも、アッパーにも似たようなパンチ。

千堂がスマッシュの練習する姿を、名前は何度か見ている。





「これはきいたあ〜〜っ!!

幕之内崩れる〜〜っ!!」





前のめりに幕之内が倒れ込む。

千堂はすぐに拳を構えた。





「あ―――っ
下から突き上げた!

倒れるコトを許しません!」





幕之内の顔面に、抉るようなパンチが当たった。





「千堂
怒濤のラッシュ!!

幕之内
打ち返す力がないか!?」





千堂が攻めかかる。
歓声は大きくなっていく。

幕之内は防ぐばかりだ。





「左―――っ!!」





パンチを出そうとしたのか。
幕之内がガードの手を崩した瞬間、千堂のパンチが幕之内の顔面に当たった。





「幕之内
両手がダラリとのびた!

千堂は…

千堂はスマッシュの態勢だ!

これはトドメになるか〜〜っ!!」





ガードをする力が無いのか。
幕之内はロープにもたれた状態だ。

ズルリ。

体が前のめりに倒れていく。





「あ―――っと

幕之内、体が崩れたのが幸いした!

間一髪!
スマッシュをかわしたあっ!!」





振った拳は当たらなかった。
風を切るものすごい音がした。

踏み止まった幕之内。
背中を丸めたまま、見上げるようにして千堂の方へ顔を向けた。

千堂は横目で幕之内を見る。
それから、幕之内の方へ顔を向ける。

その振り向きざまだった。





「あ―――っ

幕之内
右―――っ!!」





態勢を立て直すとともに、幕之内が拳を振った。





「ガラ空きの千堂のテンプルへ

幕之内の右が直撃―――っ!!」





千堂の顔は横へ向いたが、しっかりと立っていた。

幕之内はパンチを放った流れで体がふらついている。

もう一度。
千堂は幕之内の方へ顔を向けた。

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